だから一概に、ポルタビアンカが成長してないということではないと思います。たくさんの選択肢を持っているわけだから、気を抜かなければ、まだまだ先に行く。 目標とするべきものとか、やらなきゃいけないことは、この先死ぬほどあるんです。 そのやらなきゃいけないことのどれくらいできてるかって言ったら、その半分どころか15パーセントぐらいできたかな?って感じなんです。 だからまだまだ先は長い。 音楽は、大事なのは<技術>の問題じゃないんですよ。何をやりたいか、です。何をどうしたいか、何をどうして感動したいか。 感動するためには、どのテクニックをどうしたら良いのかっていうことですよね。今までの話で言ったように、表現するテクニックはたくさんある。 表現できる鉛筆とか、色鉛筆とかっていう<方法>ははたくさん持ってる。ポルタビアンカもね。 それプラス、表現したいものとか、表現する時に自分が理解してきた経緯・筋道ってのはたくさんあるわけです。 イコール、表現したいものはたくさんあるし、表現していく方法もたくさんあるわけです。 その表現していく方法がたくさんあって、表現する技術がたくさんあれば、当然、学生のときよりも良いものができることは保障しますよ。 --改めて確認なのですが<技術>ありきではなく<音楽>ありきなんですね? 合:僕たちはITの博覧会しているわけでもなく、技術品評会しているわけでもないですから。 --プロの世界でも当然そうなんですか? 合:もちろん! --現実は<技術>ありきでやってしまっている、ということもないでしょうか? 合:だって、技術見てもつまんないでしょう?けれど、よくありますよ。例えば・・・コンクールとか試験とか聞きますよね。 批判を省みずに言うと、パッとバイオリンとか聴いて、「あー良い楽器持ってるのにねぇ・・・」っていうのはよくいます。 マンドリンもそうだけど、楽器の良し悪しってのいうのは影響するから。パーンと音が飛んできても、中身がペラペラ。 と、こいうことは本当によくある。 逆もありますよ。「この子にさっきの子の楽器を持たせたら、すぐにデビューできるのに」っていうのも、よくあることです。 --今おっしゃったように「中身がペラペラ」とか、これが「良い」とか「悪い」っていうのは、 すごく感覚的な部分があると思うのですが、どこで判断されるんですか? 合:良い悪いっていうのは、個人の趣味とは違いますよ。個人の趣味は、好き嫌いの部分があるわけですよね。 数値的に評価できる部分なんかは、みんなで良いか悪いかを共有する基準になったりする。 Aというカレー屋さんでカレーライスを食べてみると美味しい。ところが「Aっていう店のカレー美味しかったよ」と 言ってみんながが行ってみたら「あ、普通じゃない」ってこともある。 実はその人はAという店のカレーしか食べてない。ところが、Bという店で食ってみると「ああ、さらに美味しかった!」と気づいて Aの店にはもう来なくなるかもしれない。でもCとDとで食べたら「ああ!」ってなるけれど、でもやっぱりAが美味しかったとか。 Zくらいまで食べたら最終的に、ベストはAとGとMだと思った。その時に大事なのは、みんなで「AとGとMはベスト3だね」と話をするけれど、 「でも僕はAが好き」とか「私はGが好き」と思うこと。 でも、ベスト3は一致している。だから、「ベスト3はみんな同じだけど、ベスト1がAかGかMかは個人の好き嫌いだ」ということね。
大事なのは、たくさんのことを理解して、それをみんなが共有しなきゃならないこと。
そして、自分の評価を自分で確認すること。 --うーん、解らないです。 合:教えること。 --なるほど! 合:自分の中で良いと思っているから教えるよね。しかし、相手にその良い事を教える、伝えるためには・・・悩んだこと 沢山あるでしょう?例えば、大学で「こうやって弾くんだよ」とか「それは違うと思うよ」とか教える時、 理解してもらうために「どうやって表現して、どういう弾き方をして、どういうアプローチをして・・・」というようにね。 それは、自分の中にあるものの価値観とかノウハウを整理し直すことなんですね。 整理し直して、プレゼンテーションして、教えることになる。 結局、教えることは自分の中のものを整理し直すことで、とても大事なんです。
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