平成9年10月11日付で、新規開業する京都市交通局東西線と入れ替えに、並行路線の京阪京津線(京阪三条−浜大津のうち京阪三条−御陵間)が廃止になりました。古都の町並みの中をタイフォンを鳴らしながら走る姿も、学生が安全地帯に座って歓談する姿も過去のものとなりました。
ここで撮った写真3000コマほどの中から何枚か選んで公開してまいります。
5月に南部縦貫鉄道を追ったとき、気になったことがありました。
「地元の人は、この廃止前の騒ぎをどう見てるんだろ?」
何日追っかけても、いくら思い入れが強くても、自分はよそ者でした。
では地元の立場から見るとどうなる?「直前の騒ぎ」はいつ頃から始まる?
5月の末(南部縦貫鉄道休止と同じ月)、この時点ではまだ表だった廃止の知らせが出ていない、しかし地下鉄と入れ替えで確実に廃止となる京津線の蹴上駅に立ったときから、約半年にわたるロングラン追いかけを開始しました。
近場だし練習ということで、フィルムテストまでかねて気軽に活動してきました。
でも季節は既に絵になる桜も雪も過ぎていった後で、濃くなっていく緑と、夏の日差しと、ホーム上に数の暴力で迫ってくる学生達にかこまれた電車達を追いかける日々が続きました。
途中で、ずっと前から沿線で活動している方に出会ったり、9月からは続々と毎週追いかけを始める人たちを見つけるなど、徐々に写真を撮る人が増えていきました。しかし自分はいたってマイペースで、早朝から夕方まで1日沿線で過ごすこともしばしばでした。
よもや普通ならパスすべきはずの台風接近の雨の日が、この路線では濡れた路面に光が反射しで綺麗なことを知り、傘と三脚をかかえて走り回っていました。ぶれまくりで失敗作の山でしたが、そこそこ決まったときはうれしかったものでした。
碓氷峠シンドローム明けの10/3,4と10/10,11の土日は、東京など遠くから来た人も多く、案内役までやってました。南部縦貫の時におられた方もいました。「なくなるから来た」の人の波で、すごいところはカメラマン達の三脚、脚立、座り込みで3〜4段の雛壇が出来てるところまでありました。
そして、最初の疑問「地元の人」たちは…
京津線を生まれたときから見続けて七十数年というおばあさん、
買い物帰りで路面電車がなくなるのを惜しむおじさん、
朝夕に安全地帯の整理に当たる駅員さん、
何年も前から京津線をたどった地元の写真家、
毎日学業の精進とともに乗ってきた学生、
ホームに座って固まったまま電車を見届ける幼子にいたるまで、
自分を含め大勢の方がそれぞれの思いで終焉を迎える電車を見届け、
しかし最後まで日常を捨てることなく電車は走り、
そして去っていきました。
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蹴上 その1
蹴上 その2
蹴上 その3
東山三条 その1
東山三条 その2
日ノ岡
九条山
準急停車駅
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