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第一回 John Fahey
『Of Rivers And
Religion』
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音響派からの賛辞をきっかけとした昨今の再評価に続いて、『モンド・ミュ−ジック2001』における巻頭特集、そして来日コンサートまで行われてしまうという、長い間の飢餓状況とも等しい情報不足のなかにいたJohn
Faheyファンにとっては、驚くべき急展開ぶり。そしてついには、ハイファイの阿部広野がワーナー・ミュージックジャパンの名盤探検隊シリーズの1枚として発表された「リヴァーズ・アンド・リリジョン」(WPCR-10357
税込
¥2100)のライナー・ノーツを執筆するに至った。これがなかなかの力作なので、ぜひ皆さんにお読みいただきたくBi-Monthly
Magazine
Hi-Fiに再掲載させていただく。そうこうするうちに来日中のJohn
Faheyにインタビューするという仕事まで阿部に舞い込んだ。よしこうなったら、ライナー原稿、インタビュー原稿、そして「もっともっとちゃんとしたJohn
Fahey論を書きたい」とつぶやく阿部広野の未だ見ぬ草稿も視野に入れて、John
Fahey三連発といってしまおうというのが、このシリーズである。(大江田)
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「リヴァーズ・アンド・リリジョン」
(WPCR-10357 税込 ¥2100)
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「思いどおりにやらせてくれたよ。だからその二枚は俺の大好きなレコードだ。レコーディングのスタッフも俺に選ばせてくれたしね。クラリネットにルイ・アームストロングを呼んだりね。レコード・レビューには俺がスタジオ・ミュージシャンを使ったって書いてあったけど、あれは嘘だ。ニューオーリンズから昔の仲間達が来てくれたんだ。あの録音は、最近になってミス・チューニングのギターを弾くようになったことを除けば、俺の人生で一番楽しかった出来事だ」(ガジェット4編・著、アスペクト社刊『モンド・ミュ−ジック2001』より)
英雑誌「The
Wire」に掲載されたジョン・フェイヒィとジム・オルークのインタヴューでのフェイヒィのひと言である。その二枚とは、名盤探検隊のシリーズで先立ってリイシューされた『After
The Ball』(73年)、そしてこの『Of ReversAnd
Religion』(72年)。のっけから個人的な話で誠に恐縮なのだが、僕はこれまで音楽に関する記述の中でこんなにも心に残るものはなかった。ジョン・フェイヒィはこのアルバムをどう思っているのか。自身のタコマ・レーベルの同時期の作品、例えば『America』(71年)や『Fare
Forward Voyagers(Soldier's
Choice)』(73年)といった凄まじい作品をまるで否定するかのようなこのアルバムの完成は、本当にフェイヒィが望んだものだったのか。なによりも僕自身フェイヒィのアバムの中で一番好きなこの『Of
Revers And
Religion』を、果たして彼は気に入っているのか。長い間この疑問を持ち続けていた僕はなんだかフェイヒィに認められたような気がしてうれしくてしょうがなかった。それほどまでにこのアルバムは、フェイヒィの長いキャリアを辿っていく上で、どうしても避けられない重要な作品であるとともに、とても不可解な作品なのである。昨今の著しい再評価のきっかけとも言える、フェイヒィの音楽に付きまとうある側面−アヴァンギャルド・ミュージック〜フリー・ミュージック的側面−を外側から眺めているようなアルバム、とでも言ったらいいのだろうか。フェイヒィ独特の強烈な音響センスが、ここではかなり立体的に展開されながらも、いつものあの息の詰まるような張り詰めた空気がどういう訳か希薄な不思議なノスタルジーの世界。今世紀初頭の実験音楽家、チャールズ・アイヴスからの影響などを知るはずのない僕の知人に「フェイヒィのレコードってなんかフォークとかブルースじゃなくクラシックを聴いてるみたいだ」なんて言わせてしまうフェイヒィの作品の中で、最も濃密にポピュラー・ミュージックを感じることのできるアルバムなのである。タコマ・レーベルにおける実験的なフィンガー・ピッキング・スタイルのアルバムや、ヴァンガード・レーベルの『Requia』などで試みられたサウンド・コラージュを始めとする前衛的なスタイルにフェイヒィならではの魅力を感じている方は、このもわーっとした映像的なノスタルジーの世界にちょっと面くらってしまうかも。ライ・クーダーの『Jazz』や、レオン・レッドボーンの『On
The Track』、はたまたジム・クゥエスキンの『Jim Kweskin's
America』といったアルバムで繰り広げられているオールドタイム・ミュージックへのアプローチと聴きくらべてみると非常におもしろいのだが、フェイヒィのこの『Of
Rivers And
Religion』は、まずはじめに映像ありき、なのである。ノスタルジックな音楽なのではなく、ノスタルジーを物理的に視覚化するような映像的な音楽だ。つまり、<可視感>がこの作品のキーワード。『American
Primitive
Guitar』と形容されるフェイヒィのギター・プレイが、今までにない形で目的を持ったアルバムなのである。アメリカン・ミュージックの突然変異みたいなジョン・フェイヒィのこれまた突然変異を思わせるアルバムだ。
初めてフェイヒィに接する方は非常な困惑があると思う。音楽の内容ではなく、呼名にである。ジョン・フェイ?ジョン・フェイヒィ(ここではこう表記します)?それともジョン・フェイフィなの?この問答は非常におもしろい!ひとつは日本における最近のフェイヒィの捉えられ方を表しているからである。というのは、彼の音楽が重要視されなければこんな問答は起きていないから。ジョンソンかジョンスンか位の騒ぎだったはず。それと、架空のブルース・マン、ブラインド・ジョー・デスを演じてみたりする、彼の欺瞞に満ちた(決して悪い意味ではなく)謎の多い過去の活動。アーティスト名でさえ呼名が統一されていないということは、笑ってしまうほどフェイヒィの音楽的スタンスの受け取られ方の核心を付いている。
フェイヒィの記念すべきファースト・アルバム『Blind Joe
Death』は59年に自主製作という形でリリースされた。脈々と受け継がれることになる、ブルースをレパートリーとした白人によるフィンガー・ピッキング・インストゥルメンタル・アルバムの誕生である。フェイヒィは、60年代のフォーク・ムーヴメントではあまり表舞台に立つことはなかった。当時のブルース・リヴァイヴァルにおける代表的アーティスト、例えばデイヴ・ヴァン・ロンク、エリック・フォン・シュミットといった白人ブルース・マンたちの作品を聴き、そしてこのファースト(59年、64年、67年と、数度に渡って録り直されている。セカンド、サード・エディションが『TheLegend
Of Blind Joe
Death』としてタコマ/ファンタジー・レーベルよりCD化済み)を聴くと、しごく当然のような気がしてくる。明らかに音楽的視点が違うのである。フェイヒィ自身も明言しているが、その視点とは、やはりハリー・スミスの『Anthology
Of American Folk
Music』の視点。先ごろスミソニアン・フォークウェイズより復刻され大きな話題を呼んだことはこのCDを手にとった方ならご存じと思う。誤解を恐れず乱暴にひと言で言うと、この84曲のコンピレーションは、一人の希代のコレクターが自らのセンスだけをもとに『ヤバイ��音源』(...特に第三巻目!)を集めたアンソロジー。そしてここが大事なのだが、フォーク・ムーヴメントにおけるブルース・リヴァイヴァルの牽引者の役割を果たした多くのアーティストたちは、『Anthology...』に収録されている音源に影響されたに対し、フェイヒィはハリー・スミスのその独創的なコンパイルの視点、音楽を見る視点に共感を覚えた。
「僕とハリー・スミスは同じ結論に達するに至った」と『Anthology...』のライナーにもある。それは、表面的なギターの音色の後ろに必ず含まれる、フェイヒィの作品を難解に聴こえさせてしまう原因ともいえる、音としては聴こえてこないある種のプラスアルファのようなものにはっきりと現れていると思う。『Anthology...』から匂いたつハリー・スミスの視点に相当する、いわく言い難い強烈なプラスアルファだ。
例えば前述のファーストに収録されている「St.
Louis
Blues」。知らない人のいない有名曲、全くもってトラディショナルな奏法、実験のじの字もない素直な演奏なのだが、聴かれた方はギターの後ろに響く聴こえないプラスアルファのデータの豊富さに驚かれたと思う。それは、個人的私感では決してないと僕は思っているのだが、プレイヤー=アーティストの視点とはかけ離れた『レコード・マニア』の視点の現れではないだろうか。フェイヒィの著書『Charlie
Patton』(1970年、英スタジオ・ヴィスタ刊)や、ブッカ・ホワイト、ロバート・ピート・ウィリアムス(彼のアヴァンギャルドなタコマ盤は最高!CD化希望)といったカントリー・ブルースの巨人たちの録音を例にあげるまでもなく、ブルース研究家としての高名に「フェイヒィの自宅のレコード棚を覗いてみたい!」と思うカントリー・ブルース・ファンは多いと思う。実は前述のライナーの引用には中略がある。「僕やハリー・スミスのようなレコード・マニアは、大量のレコードをふるいにかけながら、とうとう同じ結論に達した」フェイヒィ自身のレーベル、レヴェナントより編纂・リイシューされているドック・ボッグス、ジェンクス・カーマンといったカタログから発せられる強烈なプラス・アルファは、『Anthology...』のそれと同種のもの。つまり、60年代に活躍した多くのフォーク/ブルースのアーティストたちは『Anthology...』の盤面から聴こえる音楽を聴き、フェイヒィは聴こえてくる音楽の背後を見ていた。ハリー・スミスが『Anthology...』を通して伝えたかった膨大なプラスアルファを正確にキャッチしていた。聴こえてくるギター・プレイ、メロディ、歌詞と一緒に、『ヤバイ』音源の発露ともいえる演奏者の人間的魅力や、録音部屋の状況、SP盤にはつきもののサーフェイス・ノイズにまで耳を傾けていた。そういったことを考慮にいれなければ、彼のあまりにも立体的な音像をともなった過去の作品群は納得のいかない部分が多い。フェイヒィは音楽を聴かずに見ていたのである。そういうところでフェイヒィの音楽を『音響』と結び付けることができるのならば、『音響』はハリー・スミスにまで遡ってしまう!60年代中期〜70年前後にリリースされた、タコマ・レーベルを中心とした一連の作品(半分以上がCD化されているので、興味のある方はぜひ聴いてみてください)は、単にギターの奏法といった直接的な引用という意味だけではなく、最も重要な、ハリー・スミスと共通する視点というポイントも含め、マジックボックス『Anthology...』に収録されているような異端ルーツとフェイヒィ自身のアイデンティティとの間を行き交うものではなかったのだろうか、といまさらながらに思う。そういうことを考えていると、なおさらこの『Of
Rivers And
Religion』は大切なものに思えて仕方がない。トラディショナルに、ノスタルジックに聴こえるこのアルバムは、『Anthology...』とフェイヒィに共通する視点を、他のどのアルバムよりも強烈に伝えてくれるからだ。それは、オールドタイム〜ポピュラー・ミュージックという耳慣れた音楽を介してくれたからこそである。この先は『Of
Rivers And
Religion』を聴かなければわからない。ちなみにこのセピア色のジャケット写真は、ディズニー・ランドで撮影されたもの。アルバム『Requia』に収録された、凄まじいテープ操作に度肝を抜かれてしまう、4部からなる大傑作コラージュ・チューン「Requiem
For
Molly」は、ロスにある古き良きアメリカを体験させてくれるテーマ・パーク、ナッツ・ベリー・ファームのモリーなる女性の精神錯乱を表現したものだそう。フェイフィはテーマ・パーク好きなの?なんてことを考えながらいつもこのジャケを手にとってしまう。 このアルバムはアナログではサイドA(CDでは4曲目)までが『Rivers』、その後が『Religion』というテーマで構成されている。ワイゼンボーン・ギターによるハワイアン・スタイルの一曲目「Steamboat...」は、それまでのフェイヒィのハワイアン・ギターには見られなかった展開。タイトル通り蒸気船がぽんぽんと進むような映像が目に浮かぶ。しかしこのブルース・フィーリングたっぷりのピッキング。これですよ、このセンス。うっすら聴こえるダブル・ベースも効果大。続くメドレーはディープなフィンガー・ピッキング・チューンだが、『河』を連想させるような様々な工夫が凝らされている。「Dixie
Pig Bar-B-Q
Blues」はオールドタイミーなストリング・バンド・スタイルの演奏。ひろがりのある立体的な音像が素晴らしい。
「Texas And Pacific
Blues」はホーンの入るこのアルバムならではのジャズ・バンド形式の曲。クリス・ダロウのドブロがすごい!フェイヒィのセンスが乗り移ったようなプレイだ。『Religion(宗教)』の始まり、「Funeral
Song For Mississippi John
Hurt」は66年に他界したミシシッピ・ジョン・ハートに捧げられた曲。これはアルバム『Requia』に収録された「Requiem
For Mississippi John
Hurt」の別テイク言える。オープンCチューニングによるフェイヒィ得意のスタイルだが、「Requiem...」は裏打ちの特殊なベース・ラインを強調した無機的・機械的なヴァージョンだったのにくらべ、こちらはざっくりとした目の荒らいエモーショナルな演奏。『Religion』サイドのメドレーと「Lord
Have
Mercy」は同レーベルからの次作につながるスタイル。最後を飾る「Song」は、メロディーの持つ力強さと全体の空気間のバランスが絶妙の名曲だと思う。アルバム全体のシークエンスも完璧。オールドタイムにさらに接近した楽曲が楽しめる、リプリーズ・レーベルからの次作『After
The
Ball』もぜひ聴いてみてください(当時のフェイヒィを取り巻く状況は鈴木カツ氏、最近の活躍は佐々木敦氏の解説にも詳しい)。
フェイヒィの過去は、膨大なデータの量からいっても、話の面白さからいってもそれこそ一冊の本が出来るくらいのヴォリュームがある。ここではあまり紹介されていない興味深いものを一つだけ。フェイヒィは1939年、ワシントンD.C.にほど近いメアリーランド州タコマ・パークに生まれる。幼い頃より音楽に親しみ、ブルーグラス・バンドでギターを弾いていたらしい。その彼がブルースに目を向けるようになったのは、13歳のときにあの戦前ゴスペル・カントリー・ブルース・シンガー、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの「Praise
God I'm
Sanctified」を聴いたのがきっかけと言われている。「稲妻に打たれたように地面に倒れた」と資料に記述があるが、問題なのはフェイヒィにそれを聴かせた友人。彼の名はディック・スポッツウッドといい、アメリカン・トラディショナル・ミュージックを追及する好事家たちが、その名前をいやがおうにも目にする有名人で、ジョー・バザード、ニック・パールズ、バーナード・クラツコ、スティーヴ・ラヴェレ、スティーヴ・カルト、ピート・ウェーレンといった、アメリカの(というか世界の)戦前カントリー・ブルース研究を一手に担っている、いわゆる『ブルース・マフィア』に名を連ねる超重要人物。
僕らが今日聴くことのできるヤズー・レーベルやオリジン・ジャズ・ライブラリー、ヨーロッパのドキュメント・レーベルの音源は、ほとんどが彼らの私物のコピーなのである。『ブルース・マフィア』を始めとするブルース研究のパイオニアたちから、レオ・コッケ、ピーター・ラングといった『Guitar』というレコード棚に分類されてしまうフィンガー・ピッキング系のアーティスト、ウィンダムヒル・レーベル(レーベルのファースト・リリースでもあるウィリアム・アッカーマンのファーストは、内容といい、そのアルバム・タイトルといい、フェイヒィの影響が絶大)に代表されるニューエイジ・ミュージック、はてはジム・オルークを始めとする現在の先鋭的なアーティストたち、と、フェイヒィの人脈を眺めるだけで、アメリカン・ミュージックの、決してポピュラーではないけれどもある太いラインを理解したような気になってしまう。
(阿部広野)(ノア・ルイス) (Thanks
To 鈴木望)
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