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 数ヶ月ぶりのNational Holidayのおかげで三連休。
 本当に年末年始以来かも知れない祝日と、素晴らしく爽やかな初夏の晴天のおかげで、忙殺されていた毎日から少し解放された気分を味わうことが出来ました。May Flower風薫る五月。思えば去年のこの日、Memorial Dayの夜にイーグルスのコンサートを見にUSバンクアリーナに出かけ、保険やら税金やら家の賃貸契約やらの質面倒くさい手続きと、不慣れな仕事の連続に埋没していたウップンを、大量のBud Lightと聞き馴れたロケンローで気晴らししいたのでした。あれからもう一年。光陰矢の如し Time Flies とはよく言ったもので。

 この1年間でたぶん東京にいた頃の5年分くらいのコンサートを見て、買ったまま読みきれずにいた3年分くらいの本を読み、まるで興味の無かった大相撲やら大河ドラマを食い入るように見るようになり、10年分くらいの距離をドライブしました。幸い仕事の量は微増程度、でも車での通勤が楽チンなのでこれは◎。でもそのせいでちょっとしたアクシデントに巻き込まれてしまい、今年の保険が倍増して×。なんて具合にいろいろ振り返ってみるとたった一年の間とはいえ、どうもじつは云われの無い不利益を被ったり理不尽な大損をしていたり、思い出してもむかっ腹の立つようなことの多いこと多いこと。
 昨年の春ハイファイの皆さんにこのような機会を戴いて、自分の海外生活体験のある一面を残していくことが出来たらこれも楽しいかなと思い、以来毎度拙い文章をお送りしておるわけですが、この一年分を読み返してみるといやはや。

 これじゃなんだか毎週末照りつける太陽の下で炭火焼きのBBQにがぶりつき、浴びるようにライトビールを飲みつつ野外で奏でられる音楽に身を委ねている・・・みたいな。まるで『Paradise And Lunch』、飯付き天国みたいな内容ばっかりでしたね。

 もちろんの事ながら、そんな能天気な毎日ばかりではないわけで。で、今回は僕自身が忘れてしまわないためにも、未だに腹の虫が収まらないこと。不愉快極まりない思いをしたこと。そんな記憶のいくつかを掘り起こして今さらながらぼやいてみたいと思います。

 「責任者出て来いっ」。

 まずいちばん最初に新生活の出鼻を挫かれたのは、先ほどもチラリと触れた自動車の関係。一台は前任者の所有していたトヨタ車を譲り受けたのですが、その人の帰国の前日夕方に慌ててBMV(陸運局みたいなお役所ですね)に所有者名義の変更を申請。ドタバタと何枚かの書類にサインをして、僕もその翌々日に一時帰国。日本で引越しの準備や歯の治療なんかを済ませて、2週間後に再びオハイオに戻ったのですが、とりあえずのホテル住まいの間はレンタカーを利用。また3週間ほど仕事の catch up や生活の準備に没頭。ようやく一段落したところで免許の取得に取り掛かり、預けてあった車もピックアップして先のBMVからナンバープレートを購入、Emission Test(一種の排ガスチェック)も済ませてそろそろ落ち着いたかなと思った矢先に、BMVから一通の封書。名義変更申請をしてから、30日以内に自動車保険に加入していた証明を提出せよとの通知。

 何で俺にだけ聞くんだよぉなんて思いながらよく読んで見ると、「あなたはランダムに選ばれました」なんて言い訳が一応書かれておりましたが、まあ見慣れぬ外国人の名前で選ばれたであろうことは、おおよそ判りました。どうも同時期に僕の他にも結構な数の日本人が同じ通知を受けていたらしく、皆さん然るべき証明書類を提出していたらしいのですが、僕が困ってしまったのは申請後の30日間の半分を日本で過ごし、正式着任後もずっとレンタカーで移動していたので、自分の車の保険の手続きを済ませていなかったのです。もちろんレンタカーには保険のカバーがありますし、実際に無保険状態で車を運転したことはまったく無いのですが、そのあたりの事情をローカルのBMVに説明してもまるでラチがあかず、あっちに聞いてみろとかここに電話してみろとか散々たらい回しにされたあげくに、州都コロンバスの当局に掛け合っても「あなたはその同意書にサインをしているではないか」の一点張りで、一切の陳情を拒絶する氷のような対応。しかも証明できる書類が提出できないのであれば、まず3ヶ月間の免停分、さらに向こう五年間違反者専用の指定保険の購入を義務付けるとのこと。

 絶望的な気分でロビーに出て行くと、今度は待ってましたとばかりに自動車問題専門の弁護士・代理人みたいな連中がハイエナのように寄ってたかってきて、お困りですか?是非とも私どもにお任せを・・・なんて言い寄ってくるもんだから、思わず寺内貫太郎状態に。気が付いたらブチ切れとりました。今は昔の学生時代、彼女との突然の別れ話に呆然としていた新宿東口の路上で、「最高ですか?」といきなりオレンジ服の集団に取り囲まれた時以来の公衆の面前での怒号一喝。

  「うるさいっ、どけボケ」。

 でも、ふとここが異国であったことを思い出し、慌てて我に返って冷静を装いつつ駐車場まで早足で戻り車の中で深呼吸。役所の中で暴れたなんて因縁つけられて、ミッドナイト・エクスプレスみたいなことになったりしたらどえらい問題ですからね。ここは一つグッとこらえて、その後の対応策を考えることだけに集中するように努力しました。今でもJohn Hiatt のCDを聞くとこの時の惨めな気分を思い出します。


 とにかく素人が丸腰で戦っても勝てる相手ではなさそうだったので、翌日からあらゆるツテを伝って日本人の弁護士先生に片っ端から電話をしまくり、そのうちこうした個人のトラブルにも相談に応じてもらえる事務所を訪問。すべての関係書類を準備して、検討に検討を重ねた結果、出国前に医療保険取得までのバックアップに購入しておいた旅行保険の損害賠償のカバレッジを盾に再交渉することに決定。さらに話せばとてつもなく長くなる紆余曲折を経て、3回目の陳情嘆願書が受理されて晴れて無罪放免となったのが8月の末。かれこれ半年間に及ぶドタバタ劇でありました。最後にBMVから送られてきた通知にも「今回は大目に見ておいてやるが、自動車保険に加入することの重要性を再度認識するように」だと。なんとまあご丁寧にもお説教が書かれてありましたよ。
 バカタレ。クソして死ねと書きながらまたまた思い出しプンスカ。

 「怒るでしかし、正味の話が」。

 まあ、このお役人体質は万国共通ということで大目に見てやるとしても、もうひとつ、この国のバカヤロは中古車ディーラーであります。この連中がまた曲者揃い、イタチ野郎でして。売るまでと売った後とこれが同一人物かと疑いたくなるほど態度も豹変、口約束なんてクソ喰らえってなもんで細かいフォローなんてやるやるって言っておきながら何一つやりゃあしません。ボイスメールを残したってコールバックなんてよこしゃあしません。

 ただこうした業界体質に憤慨しているのはアメリカ人も同じのようで何て言ったか思い出せませんが こちらの人の使う言い回し表現で、日本語で言う「蕎麦屋の出前」みたいなヤツで。中古車ディーラーを見事に揶揄したフレーズがあって、いや、もう、わたくし、それを初めて聞いた時には思わず膝を叩いてしまいましたね。どんな言い回しだったか思い出せないのが間抜けですけど。
 いずれにしてもこの国でたぶん一番 crock 扱いされているのが保険屋とガソリン屋と中古車屋、ということで決まりでしょう。なんて偏見の塊みたいな結論でスミマセン。

 それ以外にもハイウェイで前を走っていた53フィートのフルトレーラーの後輪タイヤが突然ブラストして目の前の視界が一瞬にして真っ白になったことや(ハクション大魔王でも出てくるのかと思いました)、同じく前を走っていた砂利トラの荷台からごくごく小さな小石が落下して、道路で跳ねてコツーンと僕の車のフロントガラスに当ったなーなんて思っていたら、小さなクラックが出来てしまって。早めにケアしようと思ったのも束の間、その夜は氷点下の冷え込みで、一晩明けたらまるで蜘蛛の巣みたいに全面にヒビ割れが拡がってしまい、泣く泣く全取替えのハメになり総額ウン百ドルの出費也。
 いきなり鹿のファミリーがハイウェイを横断しようと飛び出してきて、慌てて隣車線によけたら後続車と接触寸前で、この世の終りみたいなクラクションを鳴らされたことも。そうそう深夜のハイウェイでシェリフに追跡された時も、心臓が止まるかと思いましたね。後を走っていた車が急に猛烈な勢いで青と赤のサイレンをフル回転し始めて、でもスピードは守っていたはずなので俺のはずがないと必死で自分に言い聞かせつつそのまま運転を続けていたら、次は大音量で止まりなさい、止まりなさいとの警告。

 もうバシバシ、パッシングしてくるし、コレはさすがに止まらなければと覚悟を決めて路肩に停車。だってもう暗闇の中で目が潰れるくらいのスポットライトを当てられて、『Band On The Run』状態でしたもんね。

 「何の用でしょう?」と聞いたら「貴殿の蛇行運転は危険である。免許証を出しなさい」なんてイチャモン付けられて、無線にてしばし身元確認など。「疲れているのですか?」なんて聞かれたりしながら、結局最後には「Drive Safe! 」とリリースされましたけどね。そんなにラリッた運転をしていたつもりは毛頭無かったのですが、あの時はホント、ビビリましたね。未だにパトカーが近寄ってくると、トラウマのように全身に緊張が走ります。

 とまあ、車関係の話だけでも尽きないわけですが、何かにつけこの年齢で初めての経験となることが多いので、印象は強烈です。初めての経験と言えば、ガラリと話は変わるのですが、今年は17年に一度という蝉の大発生の年でありまして。これもまた奇異な体験でした。その名は周期蝉。
 なんせ17年に一度という現象なので地元の人たちも前回の記憶は殆ど失われているようでした。

 まず五月の初め頃から約一ヶ月の間、コレでもかというくらいの蝉たちが地中から湧いて出て来て、一番ひどい時には庭の木の葉が抜け殻でほぼ被い尽くされるほどの状態になり、ハイウェイを車で走っているとフロントガラスにボカスカと当ってくる始末で。ただイナゴの大群などと違って群れないものですから 気にはなるけどまだ幾分楽しめる範囲でしたね。それに自然の生物とは思えないほど動作がのろまで、飛んでいる時でも素手で捕まえられるような呑気な連中でした。

 一説によれば種の保存のために超大量に発生することで、外敵から攻撃されても子孫を残せるようにと17年に一度の集団大発生らしいのですが、そりゃあんな緩慢な飛び方じゃ捕まえられるだろうよと奇妙な納得。
 でもいくら17年に一度とはいっても、こっちの人たちの悪ノリぶりにはいささか閉口しました。ディープフライにして季節のメニューにするレストランなんかもあったりして、そりゃ素材はその辺りにごちゃまんといるし、アメリカ人大好きのフィンガーフード、クリスピーだしアペタイザーにいいよなんて言っている人もいましたけどね、ホントだかどうだか。

 そんな感じで一年が過ぎ、生活の酸いも甘いも大まかに判りかけてきて、この街での季節ごとのイベントなんかも細かに情報をキャッチできるようになったので、今年は春からまたたくさんのライブを見つけました。予算の関係もあり、気になったもの全てに足を運べたわけではないのですが(特にギリアン・ウェルチとk.d.ラングは行くことができずに残念でした)、去年までは場所も知らなかったような小さなスペースで、ひっそりと地元の人のためだけに行われたコンサートのいくつか、ご紹介したいと思います。

 まずはいささか古い話で恐縮ですが 去年の11月のライル・ラベット。
 いいですねえ、やっぱこの人。His Quasi Cowboy Band なるバンドを率いての登場だったのですが、開演と同時にこのバンドだけでの演奏が始まった時、ああここは異国だなあと、今更ながら突然にあまりに完成された異文化の壁を目の当たりにして、自分が異邦人であることを強烈に痛感しました。

 「思えば遠くに来たもんだ」っていう感じ。それは去年テネシー州ノックスビルからの帰り道に方向を失い、その圧倒的な広大さに戸惑いながらも緊張と興奮に包まれた、あの時の感情に似ていました。

 西へと進めど進めどまったく我が家に近づいている気がせず、気がつけば夏なのにもう日も暮れかかり、思わず車を停めて星空を見上げ地図を広げた時。地平線の上に沈みかかった太陽に映し出された何頭かの馬とカウボーイの影を見た時。 そう、まるでアーロ・ガスリーの 『The Last of the Brooklyn Cowboys』のジャケットの風景。

 あの風景の中にぽつんと一人立ち尽くした時には、もう自分は二度と日本に帰れないんじゃないか、どこか違う星にでも迷い込んだのじゃないか、という気さえしていて。
 でも旅の感情ともまた違う、疎外感と開放感が交差するような感情に妙に気持が昂ぶり、あと何時間どっちに向かって走らなければならないのか見当もつかないまま、またアクセルを踏み出した時。その時の記憶が『deja vu』のように頭の中に鮮明に蘇ってきておりました。

 すぐ目の前で演奏されているのに、まるで映画のワンシーンのように枠に縁取られて完成されている。
  ライル・ラベット本人が出てきた時には近寄難いような一種の神々しささせ漂わせていました。
  ま、でもこちらもすぐに、この男がジュリア・ロバーツと寝ていたのか・・・なんて不埒な想像をめぐらせあっという間に煩悩だらけの現実世界に舞い戻っていましたけどね。もちろんショウの内容は文句の付け様なし。大好きな「That's Right You're Not From Texas」も演ってくれたし。ちょうど映画音楽関係のコンピレが出たばかりだったので、あわよくばロバート・レッドフォードの「Quiz Show」でクロージングに唄われた「Moritat・Mack The Knife」、大好きなのでお願い、なんて思いながら見てました。

 このいささか異形な Texan の醸し出す音楽、典型的なアメリカ南部の縮図のようでありながらそれだけにまとまらない好奇心がいつも見え隠れしていて、実に刺激的で深い味わい。僕的にはビル・フリーゼル、カエタ-ノ・ベローゾ等と並ぶ新譜が出たらまずは買いのうちの一人であり、今のアメリカで最も優れたアーティストの一人、これからも聴き続けていきたい人だなと思い入れを強くした次第であります。




 年が移り、今年になって初めて出かけたのは Asleep At The Wheel。

 場末という雰囲気を絵に書いたようなKY州コビントンの寂れた通りにある小さなホールで4月の末に行われたライブ、観衆は100%、いや正確には我々夫婦を除いた全員が白人で、中には頭からつま先までカウボーイ・カウガール・スタイルで決めて仲良く手を取りご来場のMr.&Mrs. なんかもいて、とても微笑ましい雰囲気でした。ステージの前にちょっとしたスペースが設けてあって、踊りたい人はいつでもそこに出て行って踊りまくりで、座って飲んでいたい人はそのすぐ後方のテーブルで思い思いにくつろいでいる、そんな具合です。でも周りのみんな、よほどその場に日本人がいたことが珍しかったらしく、何度もいろんな人に入れ替わり立ち代り「AATW, 好きなの?」、「日本でも人気があんの?」なんて質問攻めでした。でもそのうちの一人に「気に入った!おい、この二人にビール、お届けして。It's on me! 」なんて笑顔でゴチになってしまい、いやぁケンタッキー野郎の心意気を感じましたね。あのさりげない絶妙な振舞い、僕のこれからのオヤジ道に大いに参考にさせていただきたいと、しかと心に刻んでおきました。

 夜9時を過ぎた頃にバンドが登場。理屈抜きに楽しいステージ。でもなんだか中央の長身のリーダー、レイ・ベンソンがいかりや長さんに妙にイメージがかぶってしまって、メンバー紹介の時もハイ、次は志村!なんて風に見えなくもなく改めて合掌。次に日本に帰った時はゼッタイ全員集合のDVD買うぞと決意も新たに、でも最近、大爆笑シリーズが全く収録されてないことを知りちょっと気が萎えてしまって・・・・・話題を元に戻しましょ。「Get Your Kicks On Route66」、ボブ・ウィルスの「Take Me Back to Tulsa」などあまりAATWに詳しくない我々もウェスタン・スイングの楽しさを満喫いたしました。さすがにステージ前のスペースには出て行かれませんでしたけど。
 でも何人か子供たちも嬉しそうに踊っていましたよ。実になごんだ可愛らしい場面でした。デジカメを忘れて写真をお送りできないのが残念。

 5月の中旬には我が家から10マイルほどの近所の街の、これまた小さなシアターでJohn Pizzarelli Jr。今度は立ち見スペースはありませんでしたが、どこでも好きなお席にどうぞといったシーティングで、少し早めに着いていた我々はステージの目の前で見ることができました。最前列は地元の名士らしきご一行様のために reserved になっていましたけどね。

 開場直前に中からあまり背の高くないジェントルマン数人が、やあやあ、どうもどうもいらっしゃいなんて感じで出てきたのですが、よく見れば他でもないご本人達でらっしゃいました。仕立ての良いスーツに身を包み軽やかにスウィングしまくるピッザレリ、確かに甘いマスクでカッコイイんですけど、とにかくお喋り好き。日本で人気のあるイタリア語講座の人、一時サッカー番組にもやたら出ていたジローラモさんでしたっけ、あんな感じです。

 

 彼の兄貴がベースでサポートをしていたのですが、「ねえマーティ、今夜オヤジはどこで演ってるんだっけ?ルイジアナにいるんだっけ?なんてったってうちらのオヤジは世界的に有名なギタリストだからね、レス・ポールっていう」なんて、多分今まで何百回と使い回されているであろうネタやら、ピーター・フランプトンに憬れてギターを始めた話(『Comes Alive!』のジャケットの物真似は最高に可笑しかった)、ジェームス・テイラーの「Your Smiling Face」をボサ・ノーヴァ・アレンジで決めたあと、今度は「Fire And Rain」を同じように演ろうとしたけど、だめだこりゃ、合わない・・・って中断するギャグ、見事なくらい芸人さんでしたね。でも ひょっとしてこの人、器用貧乏なのかな、なんて気も。

 途中、アントニオ・カルロス・ジョビンの孫だという青年が join して、少し恥らいながらも native の天然ポーチュガルで囁かれたボサ・ノーヴァは、蒸し暑い宵の口に一服の清涼剤でした。が、ひとたびピッザレリ本人のボーカルになると微妙な、でもはっきりした違和感が漂って、正直言うと何でアナタがボサ・ノーヴァを?なんて身も蓋も無い疑問さえ感じながらではありましたが、それでもナット・キング・コールやビートルズのカバーが楽しく、良質のエンターテインメントを味わうことができました。

 と、ハイファイお墨付きのアコースティック・スウィング系二組の次はガラッと変わってAretha Franklin。確かこの人、飛行機恐怖症とかで来日公演は有り得ないなんて話を聞いたことがあったので(違っていたらゴメンナサイ)、週末ちょっと離れた街までドライブして拝みに行って参りました。
  アリーナでの公演でしたが、ちょっと集客が弱く空席が目立ち、開演前は少し気の毒な気さえしていたのですが、そういうことは関係ありませんでした、このお方。まず体格にビックリ。それに一度マイクを握ればもうまったく完全無欠のアリーサ。レコードで聴くあの声量そのままでグイグイ歌いまくりでした。


 観衆の興奮度は推して知るべし。こんなに大勢のアフロ・アメリカンに囲まれたのは僕も初めてでしたが、やっぱり彼らにとっても特別な存在なのでしょう、誰もが「Respect」の眼差しで彼女を盛り上げていたように感じました。アトランティック時代のクラシックから、近年のローリン・ヒルとの作品まで幅広く演奏。個人的にはルーサー・ヴァンドロス・プロデュースの81、82年あたり、アリスタの頃のナンバーで大興奮でした。あの時代、毎晩23時FENのドン・トレーシーの番組で夢中になって聴いてたもんなあ。
 中盤ご本人の休憩を挟んで約2時間弱、アンコールは無し。一曲として手抜きの無い完璧なステージではありましたが、あの体型を見ちゃうとですね、ああきっと肉体的な限界なんだろうなと、失礼承知で申し上げますが、自分の体を自分の足では支えられてないようでしたからね。あれはちょっと。
 でも生きたアリーサをこの目で拝み、拍手打ってきましたから、もう満足。
 あとは今度日本帰ったら『Soul '69』とか『Hey Now Hey』あたり、 久しぶりにレコードで聞きたいなあと今から楽しみにしている次第です。

 さて、そろそろ終りに と思ったのですが最後にもうひとつ。NRBQ・・・・
 続けてもいいですか?? よござんすね。

 6月17日。場所はシンシナティの東端のはずれにあるオハイオ川沿いの遊園地コニ-・アイランド。
 その中に Moonlite Garden というちょっとしたステージがあって、たぶん普段はプレスリーのそっくりさんとかCCRのコピーバンドみたいのが演奏したりしている場所。すぐ隣には、色褪せたメリーゴーランドがたいして人も乗せずに廻り続けているような、そんな場所。でもある意味、NRBQのライブを見るにはかなりイイ線いってる場所だったのかもしれません。あの寂れた遊園地が、かつてたくさんの子供達で賑っていた昔を思い浮かべる時の切ない気持と、NRBQの音楽にいつも響いているおもちゃ箱のようなきらめきが、まるで生まれてくる前の遠い記憶みたいに妙にどこかで繋がるんですよねー。
 なんちゅうか、こう。もちろんこっちの勝手な想い込みかもしれませんけど。

 もう 細かいことはどうのこうの書きません。て言うか書けまへんねや。プチ・へべレケ状態だったので。
 またここでも 地元のおっちゃん達にビール、おごってもらっちゃいまして。
Q,好きなの?日本人?ホントかよ。俺なんかもう5−6回観てるんだ。おう乾杯乾杯、なんだもうお前サンたちの空っぽじゃねえか、車だからって、なぁにをシケたこと言ってんだよ、King Of Beers一杯おごらせてくれよ。こんなバルコニーで見てないで始まったら下行こうよ。大丈夫、雨なんかすぐ止むからさ。バンドの目の前で一緒に見ようよ。大丈夫、The Who みたいな事にはならないからさ。

 落雷の危険があるので天候の回復を待って開演します、なんてアナウンスがあったのにもかかわらず、その直後にドタバタとオヤジ達が舞台に現れたと思ったら、そのまま約3時間ぶっ通し。真っ黒な雷雲もどこかに吹き飛ばされて、もうあとは連中のなすがままに脳ミソ真っ白にして遊ぶだけ。ステージのすぐ前は何人かの子供達と、筋金入りらしきQマニアの皆さんで陣取られていましたが、この二人に目の前で見せてやってくれよと、頼んでもいないのに割り込ませてもらってもう脱出不可能。
 さっきまで入り口でTシャツ売ってたオッサンがステージに担ぎ出されて一曲。またコレが最高。( P.J.O'connell の「Happy-Go-Lucky」でした。最高ね。)
 MCの途中に突然女の子からステージ上のテリ-・アダムスに手渡されたファン・レタ−。テリ-ちゃん,素敵。今夜ずっと私と一緒に居て。さもないと xxxxx だからネ・・・ 。 またこれも最高。


 バンドに夢中になっている女の子達を片っ端からナンパしまくっていたハゲオヤジ。終いにはそのうちの一人の連れらしき巨漢に、イエローカードを受けていました。その顛末が可笑しくて最高。
 Qマニアらしきお兄さん、ヤンキ−スみたいなピン・ストライプのベースボール・ジャージに背番号25。背中の名前はNRBQ, 胸のエンブレムはQ。もう最高。俺もゼッタイ欲しい。松永さん、あれってどっかで買えますか?じつは一枚くらいお持ちじゃないですか?
 僕らをステージ前まで呼び寄せてくれた酔っ払いのトムとマイク、テリ-・アダムスのクラビネットが炸裂する度に、周囲の視線などお構いなしに大興奮。隣にいた8歳くらいのボクがこのおじさん、変だよ。なんて横にいるお母さんに言いつけている様子が爆笑モノで、これまた最高。
 ドラムスのトム・アルドリーノ、アンコール最後にはカラオケで”New York , New York”、歌ってくれてもう最高。


 地元の情報誌には the most smile−inducing good time R&R band on the planet と評されておりました。たしかに誰もが笑顔で、しかめっ面してたら彼らにどうしたのよ?なんて聞かれちゃうくらい。
 意外にも?演奏途中にテリ-の口から飛び出した現政権批判、楽しさの余りにその時は気にも留めていなかったのですが、その翌週、この辺りの大統領支持者主催の本人を囲んでの激励会とかで、我が家の周囲も冗談みたいな物々しい警備で囲まれ、会社からの帰り路もハイウェイが完全に遮断され、いつもは30分ほどで帰れる道のりが、なんと2時間半。腹は減るし、大渋滞だし、クソ暑いしで、頭に来ちゃいました。僕もこの際 テリーに激しく同意します。
 ”Bye, Bye, George !!”


 では、また。皆様、どうぞ楽しい夏休みを。




To 嶋田歩さん
 アメリカ暮らしも楽しいことばっかりという訳にもいかないかもと思っていたら、なるほど大変な日々が続いていたのですね。お役人さんの堅苦しさと、中古車ディーラーのいいかげんさ、こりゃ、
たまりませんね。と書きながら、もっともっと怒っちゃってる嶋田さんのお話、伺いたいです。だって、おもしろいんだもん。
 それにしても出向いておられるコンサートの数々、いいですねえ。なんてったって、田舎街で聞くコンサートが一番なんですよね。アメリカ暮らし、大変には違いないだろうけれど、やっぱ嶋田さん、音楽は楽しんでおられるようで、なによりです。
(大江田信)

 
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