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ミサンは韓国系二世で、もともとはいとこのクリスの同級生だった。太平洋を渡って来る物好きな東洋人に俄然、興味津々で、大学の夏休みで帰省中、自ら立候補して私に会いに来た。
1年目、確か学校が始まる1ヶ月くらい前、7月の終わりに渡米した。コロンバスの夏の一日は長い。日が傾くのはようやく夜の8時過ぎで、学校は休みだから時間も心持ちゆっくりしている。友人がいない私は、手持ちぶさただ。入学を予定していたクリスチャン・スクールの生徒に叔母が依頼して、ピクニックに連れて行ってもらったりもしたが、どうもすぐにはなじめない。楽しいは楽しいけれど、新しい環境にいかに自分をはめ込むか、とまどいの方が大きくて心底楽しめない。なにはともあれ、まず買ったのは自転車で、それが私に与えられた唯一、自分の意志で動かせる移動手段。しかし、自転車で行ける範囲は、家の前の道が基幹道路にぶつかる交差点のあたりまで、角には小ぶりなドラッグ・ストアとクリーニング屋、美容室があるだけ。家からせいぜい数百メートル。短い。道路は歩行者や自転車のためではなく、車のためのもので、片道四車線の道の向こうに行くには勇気がいる。反対方向に行くと、サイクリング・コースがある州立公園か。
似たようなツー・バイ・フォーの家がどこまでも建ち並ぶ郊外で、移動手段といえば自転車しかない私の顔に退屈の色をまず見て取ったのはミサンだった。赤ん坊もピアスをし、教会のミーティングに来る小学生ですら目にべったりとアイシャドウを塗っている女性たちの中で、あきらかに彼女は違っていた。化粧っ気のない顔、笑うとなくなってしまう一重の目に真っ直ぐな黒髪。大学ではクリエイティブ・ライティングを学び、絵を描いたり、バンドを組んでみたり。持て余しぎみの夏休み、私をダウンタウンの美術館主宰の絵画教室に駆り出してくれたのも彼女だった。それから、彼女はトーキング・ヘッズが好きだった。
ミサンと彼女の友人と私とで、少し離れた町まで『ストップ・メイキング・センス』を見に行ったことがあった。世界各国の映画を年がら年中上映している東京とは異なり、ハリウッドの大作でもない限り、コロンバスでこの手の映画はあまり上映されない。しかし、彼女が情報を聞きつけ、誘ってくれた。まずは移動手段を確保せねば。ミサンは運転は嫌いだし、自分の自由になる車も持っていなかったし、それは私とて同じ。これは、ティーンエイジャーが必ず頭を悩ませる問題。アメリカでは高校を卒業するまで、たとえ16歳で運転免許を取得していても、デートだろうが友達と遠出だろうが、自分で運転したい時は、親の車を拝み倒して使わせてもらう。これが却下されると、都合をつけて、誰かしらに送り迎えをしてもらわないといけない。移動の自由は大人のもの。運転できない中学生や車を調達できなかった高校生がデートする場合、親が送り迎えするんだよ。ホント!
免許なしの私の場合、すべからく後者のケースとなるわけで、これが東京者にとってとにかく煩わしかった。向こうはこちらが思うほど気にしてないのは分かっちゃいるけど、頼めない、これが。確かこの時は、彼女の友人の車で行った。学校や家では、結構、清廉な生活を送っていた私は、興が高じて、観客数名と映画館にて盆踊り風のなんともヘンテコな踊りまで披露してしまったのだが……。
コロンバスから2時間くらいのところにある州立大学に通っていたミサンが帰省するたび、家に行ったり、遊びに行ったり。私にとって、学校や教会で出会ったキリスト教徒のコミュニティと違うアメリカは、ほとんど彼女に寄るところが多い。二人が出掛けるときは、たいてい彼女のお母さん、ミセス・オウが送り迎えをしてくれた。出会って間もない頃、街灯のない、家々から漏れるあかりだけの暗い郊外の道を運転しながら、「私の日本姓は林でした」と日本語で言われたときの驚き。小柄で、運転席をめいっぱいハンドルに近づけて前屈みに運転する彼女の後ろ姿が忘れられない。
このところ、毎晩のようにカエターノ・ヴェローゾの新作『a foreign sound』を聴いて思い出したこと。デヴィッド・バーンの「(Nothing
But) flowers」が収録されていたから。ていねいに歌われるアーヴィン・バーリンやコール・ポーターらによるスタンダード曲も素晴らしく、ただ私にはカート・コバーンの「Come
as You Are」やデヴィッド・バーンの「(Nothing But) flowers」がしっくりきて、くり返し聴いている。「(Nothing
But) flowers」の番になると、なぜか私の頭の中でデヴィッド・バーンも同時に歌い始め、カエターノとの擬似デュエットを楽しんでいる。いや、いつもはポルトガル語で歌うことが叶わないから、ここぞとばかり、私も歌うので三重唱か。へんかしらん。「Come
as You Are」もそうだけれど、カヴァーにもかかわらず、メロディが分かちがたく作者/歌い手と一体となっていて、オリジナルが自己主張していることに改めて気づかされる。それから、もう長らくご無沙汰していた音楽が、実は私の中に潜んでいたことも思う。だって、トーキング・ヘッズのアルバム、実はいま持っていなくて。ずっと聴いていない。熱心に聴いた音楽は身体の中にあって、いつでも引き出せるんだな。他ならぬ私が忘れていたんだな。
To スズキの助さん
熱心に聴いた音楽が身体の中にあるって、わかる気がします。一度覚えた自転車の乗り方や、クロールの泳ぎ方と同じで、いざその音楽を前にすると、いろんな記憶と一緒に、深いところからよみがえってきますよね。言葉もそういうものかも知れない。ぼくもハワイで「私の日本語は、少し変でしょ。もう昔の日本語だから」と、きわめて明晰な発音で九十過ぎのお爺さんから話しかけられた時に、心底から驚いた経験があります。なにしろ素晴らしい日本語だったのです。(大江田)
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