|
夜来の雨は幾分小降りになったようだ。河原坊から見えるはずの早池峰山は厚い雲に覆われたまま。もとより雨中の登山は覚悟が出来ている。私は意を決してレインスーツを着込み、外に出た。賢治の詩碑に軽く挨拶をして登山口入り口の妖怪ポスト(爆)?(いや百葉箱?)で入山届の記入を済ます。歩き出すとすぐ増水した岳川が行く手を阻んだ。僅かに顔を出した飛び石のルートを危なっかしい足取りでクリアする。こういうことは得意なはずだったが、どうもバランスが悪い。先が思いやられる滑り出しだった。 出発より1時間余、苔むした岩だらけの樹林帯を縫う道はコメガモリ沢に出会って突然終わった。ここからは沢登りになる。やがて頭垢離(こうべごり)。コメガモリ沢の湧出直下より道は尾根沿いに変わる。ここは河原坊コース最後の水場である。最初の休憩をとる。 |
この頭垢離でコーヒーを沸かし、また頂上でコーヒーの為の水を確保するのが、私の早池峰での慣例になった。(コーヒーをいれるなら本当は軟水の方が適している。 エスプレッソだと濃すぎて私にはよくわからないが...) |
さて、いよいよ尾根に取り付く。登り始めてすぐ ハヤチネウスユキソウが目に付いた。そればかりではない。もう既に周りは様々な高山植物が咲き誇っているではないか。「化石バカ」の性で、山に入っても目がいくのは岩の表面ばかりだった私にとって それは初めて見る世界だった。後年訪ねた北海道の雨竜沼湿原は、天国のような場所だと思ったが、では風雨に堪える早池峰の花園はなんと表現すればいいのだろう。現(うつつ)の世の圧倒的な迫力に私は言葉を失っていた。 |
ハヤチネウスユキソウ |
高山植物帯には保護のため両側にロープを張り、立ち入りを制限している。また登山ルートを示す黄色のペイントもある。これを逸脱しないことはもとより足元の花にも気を配って歩きたいものだ。 |
宮沢賢治の時代にも高山植物の盗掘は絶えなかったらしい。「花鳥図譜 八月 (早池峯山嶺)」の中で盗掘者と保護官のやりとりが語られている。だが賢治は早池峰を代表する花、ハヤチネウスユキソウは作品の中に登場させていない。一説にこの可憐な花を守ろうとする意図があったのではないかと云われている。 |
次に私が言葉を失ったのは、この尾根道を歩き始めてからだった。体力的には少々自信もあったのでここまではワシワシとスピードを乗せて登ってきた。頭垢離までは得意な沢登りだから快調だったが急峻なこの岩礫地を同じ調子で登っていたらたちまち息切れしてきた。立ち止まる間隔が徐々に短くなっていく。しまいには数歩歩いては数分休むという始末だった。「歳かぁ?」と天を仰ぐ。体力の衰えを痛感せざるを得なかった... 8合目あたりまで来ると道はゴザ走り岩という大きな一枚岩の脇を通りその上に至る。気がつくと景色の色が変わっていた。陽光が差し始めていたのだ。気圏の底から一枚上の層に出たという感じだろうか、突然モノクロからカラーの世界に歩みでたような鮮烈な世界が拡がっていた。 |
山頂は不思議な光に充ちていた。それは雨上がりの妙な明るさに似ていた。そして眼下には下界を全て覆い尽くす、雲の海が拡がっていた。 私は登ってきた道を見下ろすように立った。前には薬師岳の山頂が、そして遙か北西には岩手山の頂が僅かに見えていた。これほどの雲海を見たのは初めてだったが、一方見たことのある風景だとも感じていた。オホーツクを埋め尽くす流氷が私の心象にあった。『標高1914mの野の花咲き乱れる渚に押し寄せる流氷』...あり得ない世界に私は少し酔っていた。 |
頂上から小田越に向かって歩き出すと(直下に7月、残雪が見られた年があった)間もなく御田植場に出る。別名「お花畑」。平坦な湿地で木道が整備されている。ここには湿性植物が咲き誇るが目立つのはヨツバシオガマやコバイケイソウである。7月初旬ならコイワカガミを見ることが出来るだろう。もうここからは下るだけだからゆっくりと高山植物を楽しみながら歩ける。御田植場を過ぎて岩礫地の下りに入ると河原坊コースの登りと変わらない難コースになる。鎖場や鉄梯子が次々と登場してなかなかスリリングである。ここをかなり年配のかたや幼稚園児までが登ってくるのだからスゴイ。 |
御門口まで下ると道は集束されて人の幅ほどになる。小田越から登ってきた人が初めて開ける岩礫地の風景に目を見張る場所でもある。ここはシーズン中は渋滞するほどの行列が出来る。付近の岩は登山靴で磨かれてつるつるだ。上り優先だから下る人間は列が途切れるまでしばし待つことになる。
樹林帯を抜けると小田越の早池峰神社の大鳥居に出る。わずか数時間で終わる旅の終焉である。 |
早池峰は私の最もお気に入りの山になった。在郷中は毎年のように登ったし、十勝に移住してから登った時はハヤチネウスユキソウを見た後礼文島に渡ってレブンウスユキソウを訪ねるという贅沢をしたこともある。ちょうど奥尻島が南西沖地震の津波に襲われていた時期で(奥尻にも渡るかも知れないと言い残して家を出たので..)その前後音信不通にしていたのでエラク心配をかけてしまったが... 登り方も変わった。登るときは「自分に出来る限り」ゆっくりと、しかし野の花に目をやりながらも決して休まず歩き続ければ山頂まで2時間強でたどり着ける。(登山ガイド等の標準時間は約3時間、私の初登頂は3時間強だった。) |
|
Top Page | 三葉虫標本室 | 北海道の旅 | 宮沢賢治への旅 |