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遅々として進まぬ私の掃除と大人計画
家のささやかなリヴィングには60年代、アトランティックのスタジオ、マッスル・ショールズで活躍したダン・ペンとスプーナー・オールダムのモノクロ・ポートレイトが飾ってある。そろそろ年末だから掃除でもしようかと、ふと壁を見ると、その写真の端が波打っている。ちゃんと額に入れてあるってぇのにてぇへんだ! 彼らが『Moments
From This Theatre』というダブリンでのライヴを収録したアルバムをリリースした後、来日した時に撮影されたもので、そりゃぁもう、私にとって家宝といってもいいような代物。
私は15歳くらいから古いR&Bを聴き始め、特に60年代のアトランティックが大好きだった。80年代当時、方法はあったのかもしれないけれど、中高生には皆目、どこを当たっていいのやら。アトランティックものは、貸しレコード屋で見つけたアーメット・アーティガンが編んだコンピ盤を愛聴していた。ジェームス・ブラウンなどは、いまはなき笹塚のレコード屋の店員さんたちとカタログを見ながら、「ジェームス・ブラウンだったら何がいいだろう」と相談しながら、結局、レコードは注文しなくてはならなかった。手にしたのは『セックス・マシーン』。鼻高々、感激したけど、でもその実、中学3年女子に無理なんだけどね、あのしつこさは。トゥーマッチ、まったくのチンプンカンプン。
いろいろ聴き進んでいくと、好みもあるのか、まったく飲み込めない音楽に出会う。同じ60年代でいえば、モータウンが駄目だった。ジャクソン5はまだしも、マーヴィン・ゲイのなよなよぶりもダイアナ・ロスのかわいこちゃんぶりも、マジひいた。あのピラピラなサウンドよりもどすこいアトランティックの方を愛してやまなかったのである。
だから、ずいぶん経ったある時、仕事で聴き直すまで、モータウンは棚で埃をかぶっている音楽だった。
今回、映画『In the Shadows of Motown(邦題:永遠のモータウン)』を観て、その理由もがてんがいったというもの。端的に言えば、洗練されすぎ。この映画は、モータウンの、彼らが言うところの“snake
pit(蛇の穴)”である、スタジオに缶詰になってあまたのヒット曲のバック演奏を務めた”The Funk Brothers”にスポットを当てている。「スモーキー・ロビンソンのバックで演奏してたのは?」と聞かれれば、誰だって「ミラクルズ!」って答えてしまうじゃない? 南部から北部の工業都市・デトロイトへ出稼ぎに来た黒人たちもかなり交じっていて、彼らはジャズも演奏する名うてのミュージシャンだったわけ。そう、私はジャズが苦手です。あぁ、やっぱり。ベン・ハーパーやジョーン・オズボーンら現役とのライヴも収録されているから、なかなか楽しい。というか、もう年取ってるから立ってんのキツイし、腹も出すぎているし、でも演奏は若いもんには負けんね、と腰掛けて演奏するじいさんたちを観るのが私は好きなのよ。
同じくライヴに参加したミシェル・ンデゲオチェロは、ベーシストのボブ・バビットに尋ねる。「アトランティックではアレサ・フランクリンのバックバンドも全員白人で驚いたけど、キング牧師の暗殺後、黒人は黒人の道を行くじゃない? モータウンはどうだったの?」。モータウンはアトランティックと比べると、創始者のベリー・ゴーディー以下、関わっていたのはミュージシャンを含め黒人が多い。「いや、関係なかった。みんな親しみを持って接してくれたよ」という気のよさそうなバビットの顔は、しかし、こわばり、とうとう押し黙ってしまう。なんと酷な。白人で、両親ともにジプシー音楽の歌手だったという彼は、子供の頃、クラシック音楽の練習をしつつ、両親が寝静まった夜半のキッチンでラジオから流れる"race
music(人種音楽)"を密かに聴いてベースの練習をしていた。ハメルンの笛吹きについて行った子どもみたいに、持って行かれちゃったわけだ。映画には当然、60年代後半の争乱期のことも出てくるが、この映画の場合、黒人の方がそのことについていくぶん気楽に答えているような気がする。不思議と。
しかし、私も彼女と同じ疑問を持ったことがある。ダンとスプーナーのインタビューに立ち会った時。「黒人と白人が、別々にそれぞれの音楽を作るようになったのはいつですか?」って。彼らがスタジオで一緒に仕事をしたオーティス・レディングが私の永遠のアイドルなのはもちろん、そのオーティスがカーラ・トーマスと歌った「Tramp」は夫婦喧嘩の歌で、キング・カーティスの「Memphis
Soul Stew」はシチューではなくメンフィスのもう一方の名物、音楽を料理する歌。若いもんが惚れた腫れただけじゃないのね、音楽は。英語はおぼつかなくても、音楽が饒舌で、まだ知らぬアメリカに住む人々の日常のやりとりまで見えてくるようだった。女のコの冷やかし方やら間抜けな同級生のからかい方やら。白人が黒人の音楽を真似した音楽、たとえばエルヴィスなどはもっと唯我独尊で、私を寄せ付けない。双方が情熱を持って関わっていた音楽が好きだったんだもん。そして、以後のアメリカ音楽は、お前はお前、俺は俺という風情が見え隠れする。そうなったのはいつ?
「マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された時」。あまりの躊躇のなさに二の句が継げない。「ひとり、ふたりとスタジオに来なくなった」とダン。そして独りぼっちになったのか。それまで20年来、ものの本で得た私のはなばなしい知識は、無用の長物だったわけさ。黒人音楽を聴き始めると同時に、キング牧師やマルカムXなどに関する本も読みあさって、でも、ほぼ白人だけが通う学校に行くようになる私にとって、いま思えば、方向性は明らかに誤っていたのだけれど。いくら知識を蓄えても、大切なものと直結しなければ、この身はえぐられないなんてまことにお粗末さまでした。
きらびやかなモータウンサウンドを好きになるにも、自分の頭でっかちさ加減が身にしみるのにも20年。悠長なことで。でも、以後、よく分からないからって、音楽を押しやるのは止めにした。かといって、無理に理解しようと努力はしないけれど。いつかまた出会うこともあるかもしれないし、これからも長いつき合いになるだろうし。
※映画『永遠のモータウン』はDVD化されています。ぜひおひとつどうぞ。
To スズキの助さん
そういえば60年代ロックの時代には、白人と黒人が一つのバンドでにが多々あったのに、最近はとんと見かけない気がします。80年代以降の音楽トレンドは黒人がヒップホップ、白人はカントリーにシフトしてしまい、両者が音楽を通して共同作業をしている現場を見つけるのが難しくなってきている。それは白人にノウハウを提供することをもう止めたからさとする黒人側のコメントもあるようですが。MTVも黒人チャンネルと白人チャンネルとあるし、スーパーも黒人用、白人用、それに韓国人用、それぞれ別々に営業しているロスのような街もあります。「双方が情熱を持って関わっていた音楽が好きだったんだもん」とするスズキさんの気持ちが、とてもよくわかる気がしますね。もうそういう音楽は出てこないのかな?
ところでアメリカでの買い付け中に、アメリカ人作家によるミステリーを読むのが好きです。小説の舞台になっているそれぞれの街の事情や人種や文化の背景が身をもってよくわかるから。などといっても読み飛ばしているだけだから、生意気なことを言うのは気が引けるのですが、なかでもトーマス・H・クック著「熱い街で死んだ少女」は心に残りました。「マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された時」をさかのぼること5年前。黒人と白人の対立が激しかった1963年のアラバマ州バーミングハムを舞台にした小説。たしか公民権運動を巡る表裏が、詳しく描き込まれた内容だったはず。そうだ、書棚を探し出して今一度、読み返してみることにします。(大江田)
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