DKW(デー・カー・ヴェー)
DKWは、1932年に結成されたアウト・ウニオンの中心的存在で、
小型大衆車を担っていた。
創始者は、イェルゲン・スカフテ・ラスムッセン(1878年;デンマーク生まれ)。
以下に略歴を示しておこう。
1904年:『ラスムッセン&エルンスト有限会社』設立
1906年:ゾッパウ機会工場を買収
1909年:『ラスムッセン&エルンスト・ゾッパウ=ケムニッツ機械
付属品器具製作所』と改称
1912年:『ゾッパウ機械製作J.Sラスムッセン』と改称
1916年:『DKW(蒸気自動車:Dampf Kraft Wagen)』と改称
1919年:2気筒18psの据置型エンジンを試作
1920年:自動車用2ストローク・エンジン完成
”スラビーベリンガー”というプロトタイプカーに搭載
同年、自転車用小型補助エンジンの生産を開始、
爆発的な人気を博す
1926年:モーターサイクルの生産開始
1928年:DKW初の4輪自動車、”Typ P15”デビュー
同年、清算の危機に直面していたアウディを救済す
べく、株の半数を買い取り、事実上DKWの傘下に
収めた。
1929年:2シーター・スポーツ・モデル発売
1930年:DKW初の4気筒モデル(90度V型だった)”4=8”
デビュー
1931年:Typ F1,F2デビュー
1932年:アウディ、ホルヒ、ヴァンダラーとアウト・ウニオン結成
デンマーク生まれの彼であったが、ドイツに出て機械工学を学んでいる。
ライン地方の機械工場で技術者としての修業を積み、友人と二人で旧東ドイツ南部のケムニッツに、
ボイラー関連の会社(二人の名を冠した)『ラスムッセン&エルンスト有限会社』を設立したのが1904年の
ことである。
彼はただの技術者ではなく、商才にも長けていた。よく、ホルヒ、アウディの創始者であるアウグスト・ホルヒと
比べられているのだが、ホルヒは生粋の技術者で商売気質の経営陣と最後まで相容れることなく、その結果ホルヒを
去ることになるのだが、ラスムッセンは対照的に技術革新と商売の才覚をうまくバランスさせることができた。
最終的に清算の危機に喘いでいたアウディを立て直すのである。
技術革新といえば、一般的に4サイクル・エンジンが4輪自動車に搭載されていたのだが、彼は違っていたのだ。
彼はクランク・シャフト1回転ごとの爆発による高回転と高出力を効率よく生み出す2サイクル・エンジンに目を付け、
以後DKWの4輪自動車全てに搭載され続けたのだ。これはVWの傘下に収まるまでの45年間、脈々と受け継がれた。
商才では、次々と優秀な企業・工場の買収(今で言うM&A)を実施し、ザクセン州に一大コンツェルンを築き上げ、
タイミングよく時代が求める物を安く提供することに成功している。
2サイクル2気筒584cc 16.5ps/3500rpm
木骨構造材の小型軽量(500kg)2シーター・カブリオレ・ボディ
フロント・エンジン、リア・ドライブ
最高速度80km/h
2サイクル90度V型4気筒780cc 22ps/3500rpm
4シーター・カブリオレ
フロント・エンジン、リア・ドライブ
最高速度85km/h
2サイクル2気筒490cc 15ps/3200rpm
2シーター・ロードスター
フロント・エンジン、フロント・ドライブ
2サイクル2気筒584cc 19ps/3200rpm
フロント・エンジン、フロント・ドライブ
F1とF2はFFだ!!70年近くも前に既にFFを実現していた!! 当然、傘下に収めたアウディの技術をそそぎ込んでいるのは言うまでもない。