WANDERER(ヴァンダラー)

エンブレム画像
WANDERERの成り立ち

WANDERERは、1932年に結成されたアウト・ウニオンの中型車を担っていた。 1930年代のドイツでは名の知れたメーカーの1つではあったが、第2次世界大戦の終了と共に消滅したメーカーの1つでもあった。 創始者は、リヒャルト・アドルフ・イエニケとヨハン・バプチスト・ヴィンケルホッファーの2人。
以下に略歴を示しておこう。

1885年:『ケムニッツアー自転車庫』という英国製自転車の販売・
      修理会社を設立

1887年:『ケムニッツアー自転車製作所』と改称

1896年:『ヴァンダラー自転車製作所』と改称

1902年:ヴァンダラー初のモーターサイクル(1.5psエンジン搭載)
      を完成

1903年:自動車の設計も手がける

1904年:ヴァンダラー初のタイプライター”コンチネンタル”を発売
      して、事務機器にも参入
      同年、初のプロトタイプカーとも言える”ヴァンダラー・
      モービル”を完成させる

1908年:『ヴァンダラー製作所、元ヴィンケルホッファー&イエニケ
      株式会社』と改称

1911年:ヴァンダラー初の4輪自動車”Typ W1 プップヒェン5/
      12PS”を完成

1914年:”Typ W2 5/15PS”デビュー

1916年:加減算のできる計算機”コンチネンタル”発売

1920年:”Typ W8 5/20PS”デビュー

1924年:”Typ W9 6/24PS”デビュー

1925年:ドイツ初のベルトコンベアーによる自転車生産を始める

1926年:”Typ W10/1 6/30PS”デビュー

1929年:”Typ W11”デビュー

1932年:アウディ、ホルヒ、DKWとアウト・ウニオン結成

WANDERERの技術

WANDERERは元々は自転車を制作していた会社である。 でも自転車だけに留まらず工作機械の製造や、モーターサイクルの製造、そして事務機器、 特にタイプライターや計算機、さらに自動車へと食指を伸ばすのである。
しかしながら、WANDERERのメインはあくまでも自転車であって、工作機械や事務機器、 モーターサイクルに自動車の製造販売は一時的に落ち込んだ自転車の売り上げをカバーしようとして 片手間に行っていた事業であったのだが、技術的に優れていたこともあって市場で受け入れられて そこそこのシェアを獲得することに成功している。
たまたま手を出した自動車ではあったが、結構商売になることに気づいた彼らは比重を自動車へと 傾けていった。WANDERERの技術が他のメーカーより抜きん出ていたのは、当時は旧式の サイド・バルブ・エンジンを搭載していたものだが、1911年に初めて自動車を市場に送りだした 時点からOHVエンジンを搭載し続けたことである。これは優れた重量/出力比と高回転が求められる モーターサイクル用エンジンの経験が豊富であったことと無関係ではない。
自動車以外でも例えば計算機では、1923年には15桁もの計算(とはいっても加減算のみだが)が 行えるものを製造していた。後に累算機構が付いて本格的な計算機への第1歩を印した。
以上、技術的に優れていたWANDERERではあったが、激戦区の中型車にシフトしていったため 販売が好調であったにもかかわらず過当競争の波に飲み込まれ、赤字経営へと転落していったのである。
そういった状況の中で第2次世界大戦に突入し、生産工場がことごとく破壊され、終戦後に復興する ことなく市場から消え去ってしまった哀れな自動車メーカーであった。

WANDERERの代表的な車

【WANDERER Typ W1(プップヒェン)5/12PS】1911〜1913年
 水冷4気筒OHV 1147cc 12ps
 2シーター・カブリオレ・ボディ
 ”プップヒェン”とは『かわいこちゃん』という意味である。
 第1次大戦中に軍用車として納入されていたが、軍の将
 校達は「オートバイよりも小回りの効くクルマ」と評価して
 いた。

【WANDERER Typ W9 6/24PS】1924年
 水冷4気筒OHV 1300cc 24ps/2800rpm
 4速トランスミッションを搭載した初めてのモデル

【WANDERER Typ W11】1929年
 水冷6気筒OHV 2540cc 50ps/3200rpm
 ベルトコンベアー方式による本格的な量産車
 後に2995ccまでスケールアップしたスポーツ・タイプも
 存在した。これは初の本格的中型車となった。

【WANDERER Typ W15】1931〜1938年
 水冷6気筒OHV 1700cc
 ポルシェ設計による軽合金製のエンジンが特徴。


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