HORCH(ホルヒ)
HORCHは、1932年に結成されたアウト・ウニオンを構成する4社の中では、
最も旧い歴史を持つメーカーで大型高級車を担っていた。
1930年代には、V型12気筒6.0Lという当時としてはずば抜けた性能を持つ高級車を製造しており、
ドイツにおいてメルセデス・ベンツやマイバッハといったモデルと並び称される名門メーカーであって、
最近一部で『HORCH』ブランド復活の噂が出ている。
創始者は、アウグスト・ホルヒ(1868年;ドイツ、ウイニンゲン生まれ)。
以下に略歴を示しておこう。
1896年:『ベンツ社』のエンジニアに就く
1899年:ベンツを退職して『ホルヒ社』設立
1901年:最初の4輪プロトタイプ(2気筒5PS)完成
1903年:4気筒エンジン搭載車、Typ16/20PS制作
1904年:『アウグスト・ホルヒ&カンパニー・モートルワーゲン・ヴェ
ルケ株式会社』と会社組織を株式会社化
1906年:ヘルコマー・トライアルに出場した22PSが優勝
1909年:アウグスト・ホルヒ、経営陣と衝突してホルヒ社を退職
1914年:第一次世界大戦が勃発し、軍の規制下に置かれて1918
年まで軍用トラックを生産
1918年:『ホルヒ株式会社』に改称
1923年:チーフ・エンジニアにゴットリーブ・ダイムラー(ダイムラー
社の創始者)の息子パウル・ダイムラーが就く
これを境に、ホルヒ社は4気筒モデルを捨てて8気筒以
上のエンジンを搭載する高級車化路線を歩むことにな
る
1926年:ホルヒ社初の直列8気筒DOHCエンジンを搭載するTyp
303を発表
1932年:V型12気筒6.0Lエンジン搭載のTyp600を発表
同年、アウディ、DKW、ヴァンダラーとアウト・ウニオン
結成
アウグスト・ホルヒ、彼は生粋の技術屋である。彼の父親は
鍛冶屋を営んでおり、学業半ばで父の徒弟となるが、それだけでは満足せず自身の働き場所を求めて
ヨーロッパ放浪の旅に出ている。各地を転々としていた彼ではあったが、20歳でザクセン州の工科
学校に学び、後にライプチヒで造船所の設計事務所に就職し、魚雷艇の設計等に関与していた。
1896年にベンツ社を興していたカール・ベンツの門をたたき、自身を売り込んでエンジニアの地位を
獲得している。機械工学に長けていたアウグスト・ホルヒはベンツの工場支配人にまでポジション・
アップを果たしている。そんな彼にスポンサーが付き、弱冠30歳そこそこで独立してホルヒ社を
興すのである。最初は整備工場としてスタートするが、根っからの技術屋がそれだけでは満足せず、
4輪ガソリン車の製造を始める。クルマを売るにはレースに出場して勝つに限ると、レース活動に
注力するようになるのだが、思うように勝つことができず、やがて売れ筋車だけを製造販売しようと
する経営陣と対立して自らが興したホルヒ社を退職するはめになったのである。
ここまでの話だと単なる技術バカに終わるのだが、ドイツひいてはヨーロッパの自動車産業において
彼の成した功績はフェルディナント・ポルシェに勝るとも劣らないものであった(ポルシェよりも影が
薄い存在ではあるが...)。
以下に彼が挑戦し続けた新技術を挙げてみよう。
・エンジン、ギアボックスにアルミ合金を採用
・自ら設計・特許取得したスプレージェット・キャブレターの実用
化
・駆動輪(後輪)への動力伝達にシャフト・ドライブを採用(当時は
チェーンまたはベルト・ドライブが主流)
・冷却ポンプ、エンジンオイルの潤滑にカムシャフトの駆動力を
用いる
・ガソリンの燃料供給に排気ガス圧を用いる
・クランク・シャフトやギアにクロームニッケル鋼を用いる
『最高級の材料を重要な部分で用いることは、結果としてクルマそのもののクオリティを高めることに つながる』これが彼の哲学である。
アウグスト・ホルヒの技術探求の旅が終焉するのは1951年(没年)のことであった。
2気筒 2.5L
ラダー・フレーム、半楕円リーフ・スプリング、
スプレージェット・キャブレター、ラジエーターによる
エンジン冷却機構を採用
4気筒OHV 2.7L
4段トランスミッション
6気筒OHV 8.0L
クランク・シャフトにローラー・ベアリング採用
最高速度100km/h(ホルヒ初)
水冷直列4気筒 2612cc 35ps/2000rpm
4段トランスミッション
水冷直列8気筒 3950cc 80ps/3200rpm
4段トランスミッション
水冷V型12気筒 6.0L
20000マルクを越える超高級車