主要論文・エッセイ

CIGVI 地球村研究所

Creative Institute for Global Village.

2008_0111画像z0008.JPG ドバイのゴールド・スークにて

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更新日 2012-02-06 | 作成日 2008-04-23

水口章の主要論文・エッセイ

主要な著作の一部の公開をはじめました。
ただし、ここに掲載しているものは原稿段階です。発刊されたものは若干の修正が加わっています。
ご意見、ご批評いただければ幸いです。
連絡先: mizuguchi@u-keiai.ac.jp

「GCC諸国と世界的景気後退―ドバイの対応を中心に」 (『国際情勢 紀要』No.79、2009年2月)

はじめに

2007年夏に米国で表面化したサブプライム問題は、世界金融危機から各国の実体経済に影響を与えるまでの広がりを見せ、米国、EU、日本などでは景気後退を迎えるに至っている。
本稿では、そのような世界経済情勢の中で、2007年通年で3660億ドル、2008年6月までに3560億ドルと原油輸出による収入を拡大し(注1)、開発ブームに沸いてきた湾岸協力評議会(GCC)諸国、中でもドバイへの影響について考察した。その結果、一部のメディアで指摘されているような、現在の世界経済の危機がGCC諸国の政治不安への引き金となる可能性についての懸念が現実のものとなるは可能性が低いとの考えに至った。
しかし、中長期的に見ると、GCC諸国全般に、レンティア国家(注2)としての構造に影響を与え、新たな統治の正当性を創出する必要性が高まったといえる。そのことは、特に、GCC諸国の中でも石油産業からの脱却と多角化を強力に推進してきたアラブ首長国連邦(UAE)のドバイについて言えることである。
また、今回の世界経済危機は、GCC諸国の投資の増加により経済的結びつきを深めている他のアラブ諸国への影響もある。それが、特にエジプトの政治動向にどのように結びつくのかについても考察した。本稿は、世界経済の動向が急激に変化している最中に取りまとめたものであり、認識不足が多々あることは否めないが、GCC諸国の今後を考察する一助となれば幸いである。また今後、多方面方のご批判を得て、考察を深めたい。

Ⅰ.世界経済の減速のGCC諸国への影響

 2008年9月以降、世界金融危機が深刻化し、米国では政府系住宅金融機関の公的管理、リーマンブラザーズの破綻、さらに大手金融機関への公的資金注入と、状況が悪化した。同様に欧州でも、8月のロスキルデツ銀行(デンマーク)に見られるような公的資金注入が9月には主要国でも見られるようになった。この世界の金融市場での信用収縮は、米国の個人消費の低迷やスペイン、イギリスの不動産バブルの崩壊、さらにドイツ、日本などでの輸出産業の減収等の経済活動の縮小とあいまった複合的な現象となっている。このため主要国での雇用削減が見られており、世界の景気後退は、1973年、81年の石油危機と同様に長期化するとの見方が出ている(注3)。また、経済協力開発機構(OECD)が11月13日に発表した経済見通し概要では、加盟国の2009年の実質経済成長はマイナス0.4%と予測されている。このように、OECD諸国の需要低下や企業の資金調達力の低下による影響は、一般的に外国依存度が高い経済により大きな打撃をもたらす。GCC諸国もその例外ではない。

1.GCC諸国の経済の最近の変化
 GCC諸国の経済は一般的に、原油、天然ガスの輸出収入に対する依存度が高い構造となっている(注4)。このため、1980年代の中ごろから90年代の市場価格の低水準期には、サウジアラビアのように財政赤字に転落する国もあった。これに対応するため、GCC諸国では①産業構造の多角化、②財政改革への取り組み(補助金の縮小、民営化の推進等)、③原油、ガスの上流部門も含めた外資導入の検討などの施策がとられてきた。
 その後、2000年からの原油価格が上昇傾向に転じ、海外直接投資に変化が見られるようになる。表1~4に見るように、GCC諸国は近年、急激に域内諸国を含めた外国との投資関係を強めてきた。表1が示すように、国外への投資(ストック)は2001年のGCC6カ国の総額で99億7460万ドルから2007年には815億4130万ドルと、約8倍となっている。また、表3が示すように、国外からの投資(ストック)は2001年の6カ国総額で307億3760万ドルから1579億4740万ドルと、約5倍となっている。
この変化したGCCの経済環境に、世界金融危機が次に挙げるような影響をもたらした。 ①金融機関の資金の流動性の低下、②資産評価の低下、③政府系ファンドの運用益の減少、④株価下落、⑤不動産関連産業の経営悪化、⑥開発資金の調達コストの上昇。さらに、世界の経済活動の縮小による影響として、①石油・天然ガスの需要の伸びの低下による石油収入の減少、②石油化学、アルミニウム等の重化学工業関連企業の業績の悪化、③観光関連企業の業績の悪化、④モール等に出店している小売店の業績の悪化などが挙げられる。
 このように、経済危機の影響は各国とも広範囲に及んでいる。その影響の大きさは、次のようにまとめられる。

2009GCC1.jpg表1~4(画像をクリックしてください)


2.GCC諸国への影響の大きさ
①信用不安を抱える金融機関――欧米の金融機関の関連損失が表面化した事例は少なく、実態は現在のところ不明である(注5)。ただし、次の金融機関の損失が報じられている。
イ)アブダビ・コマーシャル・バンク(2億7200万ドルの損失)、ロ)アラブ・バンク・コーポレーション(バーレーンで2億4600万ドル損失)、ハ)ガルフ・バンク(クウェート政府の管理下におかれる)、ニ)サウジ・クレジット・バンク(政府による資本注入)。
各国がとった主要対策としては、イ)金融市場への資金供給(例:サウジ30億ドル、UAE190億ドル、クウェートも実施)、ロ)預金の全額保護(例:サウジ3億ドル、UAEとクウェートでも実施)、ハ)融資枠の拡大(サウジは低所得者へ27億ドル、クウェート3億ドル、UAE130億ドル)、ニ)銀行株の買い支え(カタール、クウェート)
②株式相場と政府系ファンド(SWF)――GCC諸国の株式相場は2008年9月15日と10月7日に大きく下落している。その動向は、原油価格の低迷と歩調を合わせているように見える。同地域の株価を2008年初と10月末で比較すると、サウジアラビアで約50%、クウェートで約30%、ドバイで62%の下落となっている。その中、11月13日にクウェート証券取引所は行政裁判所の命令で一時閉鎖された。これは、政府の対応に不満を持った同国の個人投資家の訴訟やデモが相次いだことが要因である。
 また、SWF(GCCのSWFの資産運用額は推定1兆5000億ドル)の投資実態は不明であるが、投資先はGCC域内と西側市場、さらに新興国市場に分散されていると見られ、中東関係のSWFの損失は7500億ドルに上っているとの報道もある(注6)。
③石油化学製品、アルミニウムの輸出への影響――石油化学産業とアルミニウム産業はGCC諸国において産業の多様化が推進される中、各国で稼動され始めている。GCC諸国の石油化学製品の世界シェアは2006年で、エチレン約8.2%、ポリエチレン約8.8%である。主要輸出先は約46%がアジア、14%が欧州、10%が米国となっている。このことから、これらの需要動向はアジア経済の動向との関係が注目される。
 一方、アルミニウムは金融危機の影響により新規プロジェクトや拡張プロジェクトが延期や計画内容の見直しにいたっているものもある。GCC諸国のアルミニウム輸出の世界シェアは7%程度である。この輸出先としては29%が域内、10%がEUなどとなっており、同様に需要の低下が懸念される。
 このように、GCC諸国は世界金融危機による信用収縮によって、原油価格や株価の急落、政府系ファンドの打撃、大型開発プロジェクトの停止等、大きな痛手を受けた。その中で、ドバイへの影響も小さくない。同首長国は今後、アブダビの救済措置を受ける可能性も出てきている。次の章ではそうしたドバイの首長家の今後の対応について考察する。

Ⅱ.マクトゥーム家とドバイ

 GCC諸国の中でも、クウェート、UAE、バーレーン、カタール、オマーンの国々は、歴史的にアラビア半島のベドウィンであるバニ・ヤース(Bani Yas)部族、カワーシム(Qawasim)部族などとの関係が深い。UAEのアブダビ首長家であるナヒヤーン家、ドバイ首長家のマクトゥーム家は、いずれもバニ・ヤース部族の流れである。また、カワーシム部族の流れをくんでいるのはUAEのシャルジャ首長家およびラスアルハイマ首長家であるカーシミー家である。なお、カワーシム部族に近い家系としてはアラビア半島では、クウェートのサバーハ家、バーレーンのハリーファ家が挙げられる。このように、GCC諸国は国境を越えた人的ネットワーク(歴史的、ビジネス的)が重要な要素としてある。
 このようなネットワークをもとに、各国の統治者は石油収入の利益を福祉政策や補助金政策を通して自国民に分配している。また、首長家やそれに近い家がトップを務める政府系企業を通しても、雇用機会の創出や人材育成がなされる。しかし、一般的に自国民の労働意識は低く、企業経営から見ると効率性が低いといわれてきた(注7)。それを補うために、政府から補助金が出されることもしばしば見られている。
 おそらく、今回の世界の金融危機から景気後退で見られるGCC諸国の主要企業の損失は、このレンティア・システムの中で処理されることになるだろう。具体的には自国民の雇用確保や首長家に対する有力支援ファミリーが経営する企業を、政府系か民間かを問わず、政府が支えていくものと考えられる。
そこで、以下では、ドバイの首長家であるマクトゥーム家のレンティア・システムについて、事例を挙げて具体的に考察したい。

1.マクトゥーム家の統治
マクトゥーム家のレンティア財産のドバイ市民への分配事例としては次のようなものが挙げられる(注8)。
・豊かではない市民に無料で住居を提供
・教育、医療を無料で提供
・学位、その他の資格取得者は政府または政府系組織におけるポストを提供
・非政府系組織の職を希望する者には無料オフィスの提供、政府系銀行による低利子または無利子での融資
・農業機器の無料提供および農業従事者への補助金
・ドバイ内での電話は無料
・すべての住居に課せられる年間地方自治体料金の支払い免除
・最近の開発ブームによる地主エリート(ミニ・レンティアたち)の出現
 このように、マクトゥーム家は自国民への分配システムを構築しているが、それは現在のドバイ経済を動かしている政府系企業を最大限に活用して実施されているといえる。そこで、次にドバイの企業について触れておくことにする。

2.ドバイの主要経済アクター
(1)ドバイの主要政府系企業
 ドバイ政府は、世界の金融危機が加速する中で、大規模開発の見通しを11月24日に発表した。そこでは政府債務が100億ドル、政府系企業の債務が700億ドルであることも公表された(注9)。また、政府および政府系企業の資産は3500億ドルであることも明らかになった。このようにして明らかとなった現在ドバイが抱えている多額の債務は、政府系企業が借り入れによる開発事業を展開していることに起因する。この政府系企業のトップは、ドバイの行政機関の長およびドバイの政策決定に深く関係しているドバイ執行会議(DEC)のメンバーとなっている。
この主要政府系企業には次のようなものがある(注10)。
ドバイ・ワールド(Dubai World) 、エマール(Emaar) 、エミレーツ・グループ(Emirates Group)、ドバイ電気・水道局 (Dubai Elctricity and Water Authority)、ドバイ・ホールディングズ(Dubai Holdings)、ドバイ国際貿易センター (Dubai World Trade Centre)、ドバイ・アルミニウム (Dubai Aluminium, DUBAL) 、ドバイ石油 (Dubai Petrolium)、 ENOC (Emirates National Oil Company)、マルガム・ガス会社(Margham Gas Establishment)
(2)ドバイの非政府系企業グループ
 現在、ドバイの政府系企業の中心人物はムハンマド首長である。同首長は、1966年に英国のケンブリッジ大学に留学、71年には英国のモンズ士官学校を卒業するなど国際的な経験、認識をもとにドバイ首長国を率いている。また同首長はヨルダンの故フセイン国王の娘と結婚しており、預言者ムハンマドの血縁であるハシミテ王家と親戚関係となっている(現在のヨルダンのアブドラ国王とは異母兄弟)。
このように、ムハンマド首長は政治指導者として優れた人物であるが、マクトゥーム家とそれ以外の部族とは必ずしも強い結びつきがあるわけではない。むしろ、他の有力な部出身の商人家は、ドバイの経済の発展の中で、マクトゥーム家との相互依存関係を低下させつつある。以下はドバイの有力な商人が形成した企業グループである(注11)。中でも、巨大企業グループを形成しているAl-FuttaimとAl-Ghurairの両ファミリーの存在感は大きい。
①巨大企業グループ(5社)
  ・Al-Futtaim:自動車、家電、保険業等
  ・Majid Al-Futtaim:不動産、レジャー産業、商業用店舗(モール)等
  ・Abdullah Al-Ghurair:銀行、製造業、不動産等
  ・Saif Al-Ghurair:保険業、銀行、建設等
  ・Abdul Aziz Abdullah A. Al-Ghurair:金融等
②大手企業グループ(5社)
  ・Al Majid:電化製品販売特約等
  ・Al-Habtur:自動車代理店、建設、不動産、海外プロジェクト投資等
  ・Al Rostamani:自動車販売特約等
  ・Al-Tayir:自動車代理店等
・Galadary:特約販売店、貿易・小売、製造業、食品関連、不動産業等
③その他に中堅12、中小20、小規模4のグループが挙げられる。
 なお、本稿の末尾に資料として、「大規模・大手企業グループ関係主要人物紹介」を付け加えた。ドバイの人的ネットワークを知る一助となればと思う。

3.マクトゥーム家と有力家
 マクトゥーム家の国家運営を支えるものは、石油収入や政府系企業による資金力である。一方、部族・氏族としての伝統的な結びつきや姻戚関係によって生まれた連帯も権力構造を支える要素となっている。特に、Bani Yas部族のAl-Bu Falasah氏族(注12)との結びつきが強い。その例として巨大企業グループのAl-FuttaimやAl-Ghrairの両家とは、歴史的に敵対関係はあったものの、現在は政治、経済的に利益を共有できる状況にある。
以下は、政府関係組織の要職に登用されているマクトゥーム家と関係が良好な家である。(注13)。
<Bani Yas部族のAl-Bu Falasah氏族出身家>
①Al-Falasi、②Al-Tayir(マクトゥーム家との姻戚関係で深い結びつきがある)、③Al-Habtur、④Bani Sulayman(ナキールおよびドバイ・ポート・ワールド・カンパニーを率いている人物、ドバイ・インターナショナル・フィナンシャル・センター総裁などを輩出)、⑤Al Bawardi、⑥Haribなど
<Bani Yas部族のQubaysat氏族(歴史的にAl-Bu Falasah氏族を支えてきた>
<その他のBani Yas部族出身家>
①Al-Ghurair(かつては敵対的であったが、現在は政府関係の主要ポストに登用されている)、②Al-Futtaim(1950年代にアラブ民族主義活動に関与し敵対的であったが、現在は、ドバイ商工会議所、ドバイ水・電気庁などに人材を輩出)
<Bani Yas部族以外の出身の部族>
①Al-Bu Shamis部族(シャルジャ出身)、②Al-Matrushi部族(アジュマン出身)、③Al-Ali部族(ウンム・アル・カワイン出身、Al-Owais家など)、④Manasir部族(アブダビ出身)、⑤Al-Suwaidi部族(スーダン出身、Belhul家など)、⑥バルーチスタン出身(Al-Belushi、Bin Lutah、Al-Nabudah、Al-Majidなどの家)⑦ドバイのペルシャ湾の対岸のリンガ地域出身(Al-Gurg、Gargash、Darwish、Al-Tajir、Al-Fardin、Al-Sayegh、Galadary、Al-Mulla、Al-Ansariなどの家)など
 以上、ドバイの経済活動の主体とそれに関わる企業および有力家を見てきた。これらは、今回ドバイが直面している世界的経済危機にどのように関係してくるのだろうか。それは、やはりマクトゥーム家が利益をどのように分配するかによって、経営難に陥った企業が救済されるか否かが決まってくると考えられる。おそらく、政府系企業、巨大企業グループ、そしてマクトゥーム家と関係の深い氏族出身の有力家が関係する企業は救済の対象となるだろう。問題は、ボーダーラインを大手、中堅、中小、小規模の企業グループのどこまで下げるかである。また巨大企業グループでも、公共性や他業界への影響が低い企業を救済するかどうかも問題となるだろう。このボーダーラインの引き方で、ドバイでのムハンマド首長の評価にかかわることになるだろう。
 レンティア国家が抱える脆弱性について、ムハンマド首長のもとで改善努力がなされているドバイでも、今回の経済危機においては、おそらく政権を守る意味で分配性を高める方向に動くと思われる。一方、他のGCC諸国では、Ⅰの「世界経済の減速のGCC諸国への影響」で見たように政府が前面に出て経済活動を支えることが試みられる。いずれにしても、政府財政の悪化が懸念される状況となる。これが、その後の経済改革につながるとすれば、それは1990年代のGCC諸国が歩んだ道である。ただし、現在の状況が90年代と異なる点がある。それは、若者層の増加による就労機会の創出圧力の強さである。また、特に9.11米同時多発テロ以降、民主化、自由化の流れが起きていることも以前と違う点だろう。

Ⅲ.GCC諸国の景気減速がアラブ地域に与える影響

 先進国の景気後退は、GCC諸国以外のアラブ諸国にとって、経済問題はもとより政治問題としての影響が懸念される。特に、2007年に起きた資源高騰、食糧危機は国内に政治不信を生む要因となっている。例えば、イスラムの「公正」概念を国民に強く訴えることで共感を呼び政治運動を一層活発化させる、民主化運動かイスラム運動かの区別がつきにくい「グレー組織」の台頭が見られている。加えて反テロ戦争はアフガニスタンなどで続いており、レバノンのヒズボラ勢力は武器の蓄積などでイスラエルに脅威を与え続けているといわれている。今後、自国の経済問題に資金や時間を費やす必要があるサウジアラビアやカタルが、これまでのように中東和平への仲介努力や米軍撤退期限が切られたイラクの復興支援にどれだけの協力ができるのかは疑問である。悪化する経済圧力の中で、紛争当事者が新たな局面を生み出す自助努力が潮流となると思われる。
GCC諸国は表1、2が示すように、2005年以来、外国投資を急増させており、アラブ域内への投資もその例外ではない。例えば、エジプト、モロッコ、チュニジアへの主要な投資は表5の通りである。このように、原油価格の高騰により潤沢となったオイル・マネーは投資先の多様化がはかられ(注14)、一部がエジプトやモロッコに投資されることで、これら諸国の経済発展に寄与している。

2009GCC2.jpg表5(画像をクリックしてください)

 しかし、今回の世界的景気後退で、GCC諸国から他のアラブ地域への投資は減少すると考えられる。そのことが、これらアラブ地域の経済に悪影響を与え、それが政治不安を呼ぶ恐れはないだろうか。例えば、日収2ドル以下の国民が4割を占めるエジプトについて考察すると、同国の大きな収入源(出稼ぎ労働者の送金、スエズ運河通行料、石油収入、観光収入(注15))は外国依存型であるため、世界的景気後退の影響を強く受ける。さらに、エジプトはこれらの収入により貿易赤字を補填する経済構造となっており、同国の国際収支に与える影響は大きい。
今回の経済危機では、①為替レートの下落、②旅行客の減少(金融危機前の予約とのタイムラグがあるが)という影響が出はじめている。これに対し、ガラーナ観光相は、「金融危機を克服するには少なくとも5年はかかると予想されるが、旅行会社は価格を切り下げないように」と助言、さらにナハス観光会議所会長も「エジプトの観光部門が損害をこうむる瀬戸際にいるわけがない」と述べている(注16)。この両者の発言に見られるように、一部のエジプト要人の景気後退への対応は、先進諸国の指導者よりも楽観的である。特に、エジプトに多くの観光客を送り込んでいるEUと投資資金の提供者であるGCC諸国の景気減速に対する関心は、表面的には高くなさそうである。
エジプトの国内政治情勢では、ムバーラク政権の長期化(5期目)と息子ガマールへの政権世襲の流れに反発するキファーヤ運動やムスリム同胞団の活動の動向が注目されている。また、2007年以降は食料価格高騰を機にデモやストが多発し、賃金引上げを求める労働者と治安当局の衝突事件も発生(注17)するなど、不安定な社会状況にある。
このようなエジプトの政治・経済状況に鑑みれば、GCC諸国の景気の減速が与える影響は、エジプトの国際収支やマクロ経済にとどまらず、政治にも及ぶことが十分考えられる。
その他、GCC諸国は地域の政治的安定化を考慮して、中東和平関係国であるヨルダン、シリア、レバノンへの支援も行っている。世界経済の景気後退期の長さにもよるが、2006年のような活発な投資活動が今後続くとは考えにくい。また、同様に、産油国であるイランからこれらの地域への支援も減速すると思われる。このような中で、広く国際支援を求める目的で、シリア・イスラエル間交渉やパレスチナの独立に関する新たな動きが生まれることも考えられる。
さらに、世界的景気後退により、湾岸地域においては原油価格の低迷とあいまって、イラクの経済復興が遅れる反面、イランの革命防衛隊をはじめとする強行的保守は勢力の力にも翳りが出てくる可能性もある。2009年6月のイラン大統領選挙後、米国のオバマ政権下で、仮にイランとの対話の進展が図られれば、中東の地政学的リスクは低下するだろう。これは、GCC諸国の経済にとってはプラスの要因である。

まとめ

 GCC諸国は原油価格の低水準期の対応として、産業構造改革を手がけてきた。また、その改革は若者層の雇用問題の解決や国民としてのアイデンティティの創出という側面も持っている。しかし、レンティア国家システムの中で生活の安定性を確保されて暮らしているGCC諸国の各国民が、利益の分配が滞りなく継続される限り経済改革の必要性を感じる者は少ないといえる。一方、統治者たちは、国民の民意が生成された正当性に裏づけされる前に、利益の配分者としての正当性が確立されている。このため、分配するための利益に危機が起きない限り、政治体制の変更を迫る勢力はイスラム勢力以外からは出現しにくいといえる。
しかし、今回の世界経済危機は、分配利益を生み出す政府系ファンドや不動産開発等に打撃を与えている。その損失状況によっては今後、一部の国では公共料金の引き上げ、税金の導入などの経済改革を実施せざるを得ない状況となることも考えられる。また、現在の景気後退期がGCC諸国の2010年の市場統合化、脱石油社会への移行期と重なっていることで、今後のこれら諸国が経済・開発計画の変更を迫られる可能性も出てきている。その中で、仮に、第1次、第2次石油危機時と同様に16ヶ月以上の景気低迷となるとともに環境問題解決への国際社会の意識が一層強くなることで、エネルギーシフトが促進されると、GCC諸国が迫られる経済改革によって、統治者たちの正当性への信頼感の弱まりとともに政治参加への要求、民主化推進の流れが加速することは十分考えられる。
 ドバイについては、マクトゥーム前首長によるフリーゾーンの開発などで海外投資が促進され、これをムハンマド首長がさらに発展させることでマクトゥーム家によるレンティア・システムを、石油収入から文字通りのレンント(地代、家賃)の分配に転換しつつある。また、ムハンマド首長は人材の登用においても、従来のマクトゥーム家と良好な関係を保ってきた部族、氏族出身者以外に、独自に有能な若者を厳選、育成し起用するシステムを採用している(注18)。
ドバイは今回の経済危機からの回復の支援をアブダビに頼ることにより、経済的にはアブダビとの連帯を強めることになるだろう。そのことが、マクトゥーム家の力に翳りを落とすことになると考えられるが、先述のような改革を進め、既に世界ブランドとなっている「ドバイ」の力はUAEにとって欠かせないものとなっている。したがって、アブダビは、そのドバイの実験的な改革の行方を見守る姿勢をとると思われる。今後、ドバイは、不動産開発ブームに沸いた「ドバイ・モデル」といわれる経済は終息に向かうであろうが、ムハンマド首長のもとで「新ドバイ・モデル」として新たなレンティア・システムを生み出す方向へと舵を切っていくと考えられる。その1つの方向性は、「クリエイティブ都市」の創造であろう(注19)。国家(首長国)が直接利益を分配するレンティア国家ではなく、ミニ・レンティアとして市民が生活の安定を図れることに配慮するだろう。そして、マクトゥーム家はその都市の有能な舵取り役としての地位を今後も保っていくのではないだろうか。
一方、GCC諸国以外のアラブ地域では、分配できる利益の減少により、富の格差が国家間や都市と地方、個人間でさらに広がることになるだろう。このため、宗教的、民族的対立や政治参加を求める運動が強まると考えられる。それは、GCC諸国がゆっくりではあるが地域統合化を進め協調体制を強化していく方向とは異なる歩みである。つまり、アラブ地域の中で、GCCのサブリージョンとしての意識が一層強まる方向にあるといえるだろう(注20)。

<注>
1. 米エネルギー省の2008年8月の発表によると、GCC諸国の原油輸出収入は同年7月でサウジアラビア、UAE、クウェート、カタール4カ国合計が3310億ドルとなっている。
2. レンティア国家の定義は、Beblawi, Hazem, “The Rentier State in the Arab World”, Giacomo (ed.), The Rentier State, Croom Helm, 1987などを参照。
3. 米大手銀行のワコビアのチーフエコノミストのジョン・シルヒア氏は、米国の景気後退は16ヶ月以上と述べている。2008年12月3日付日本経済新聞。
4. IMF, Regional Economic Outlook: Middle East and Central Asia 2008. p.53「産油国の非石油収入のGDPに占める割合」などを参照。
5. GCCの銀行のサブプライムによる影響はあわせて約27億ドルとの見方もある。Eckart Woertz, Impact of the US Financial Crisis on GCC Countries, Gulf Research Center, 2008. p.7。
6. 2008年11月3日付のヨルダン紙Al-Dustorが報じたハライカ前ヨルダン首相の発言
7. World Economic Forum, The Global Competitiveness Report 2008によると、GCC各国でビジネスを行う際に最も問題となる主要要素の上位に、「教育が不十分な労働者」「労働倫理の希薄さ」などが挙げられている。
8. Christopher M. Davidson, Dubai: the vulnerability of success, Columbia University Press, 2008, pp.147-151。
9. ドバイ金融危機委員会のアル・アッバール委員長が発表。同委員長は、債務800億ドルはドバイの2006年のGDPの1.7倍であると語っている。
10. 在ドバイ総領事館のHPなどを参考にした。
11. 在ドバイ総領事館の資料などを参考にした。
12. Sheikh Maktum bin Butiの両親の氏族。
13. Christopher M. Davidson, pp.153-157を参考にした。
14. John Sfakianakis and Eckart Woertz, “Strategic Foreign Investments of GCC Countries”, Eckart Woertz (ed.), Gulf Geo-Economics, Gulf Research Center, 2007などを参照。
15. World Travel & Tourism Council, TSA Research 2007によれば、エジプトの2007年の旅行・観光業のGDPは96億5200万ドル(GDPの8.7%)、関連産業も含めれば181億6000ドル(16.3%)と見積もられている。
16. 2008年11月7日付エジプシャン・ガゼット紙。
17. 2007年4月、カイロの北110kmのマハッラ市で繊維工場労働者と治安当局が衝突している。
18. Christopher M. Davidson, pp.157-158。
19. 2007年2月に発表された「2015年に向けたドバイ戦略プラン」で、開発の方向として産業の一層の多様化と高付加価値分野に力を入れるとしており、2015年までには高い技術を持つ雇用者の割合を2005年の20%から25%に増やすとしている。Sheikh Mohammed bin Rashid Al Maktoum, Highlights Dubai Strategic Plan(2015), February, 2008を参照。
20. GCCの統合についてはMatteo Legrenzi, “Did GCC Make a Difference? Institutional Realities and (Un)Intended Consequences”, Cilja Harders and Matteo Legrenzi (ed.), Beyond Regionalism?: Regional Cooperation, Regionalism and Regionalization in the Middle East, Ashgate, 2008 などを参照。

<資料:大規模・大手企業グループ関係主要人物紹介>
Abdullah Hamad Al Futtaim アル・フッタイム・グループ会長
同グループCEOのOmar Abdullah H. Al Futtaimの父親。MAFグループ会長マジド・アル・フッタイム氏のいとこ。2001年までフッタイム家のフッタイム・グループは1つであったが、いとこ同士である2人のオーナー(Majid Mohammed Al FuttaimとAbdullah Hamad Al Futtaim)が仲たがいをし、2つのグループに分裂。
Omar Abdullah H. Al Futtaim アル・フッタイム・グループCEO
同グループ会長のアブドゥッラー・ハマド・アル・フッタイムの息子。
Majid Al Futtaim マジド・アル・フッタイム・グループ(MAF)会長
Middle East Finance International Ltd.(香港)会長、Dubai Insurance Co. (S.A.D.)会長、Arab Emirates Investments Ltd. (UAE)ディレクター、Middle East Bank Ltd. (ドバイ)ディレクター兼会長、Oman National Electronics社長
同グループCEOのTariq Majid M. Al Futtaimの父親。アル・フッタイム・グループ会長のAbdullah Hamad Al Futtaimのいとこ。2001年までフッタイム・グループは1つであったが、いとこ同士である2人のオーナー(Majid Mohammed Al FuttaimとAbdullah Hamad Al Futtaim)が仲たがいをし、2つのグループに分裂。
Tariq Majid M. Al Futtaim マジド・アル・フッタイム・グループ(MAF)CEO
同グループ会長のMajid Al Futtaimの息子。1977~1995年(領事館開設まで)日本の名誉総領事。 
Abdullah Ahmed Al Ghurair アブドゥッラー・アル・グレイル・グループ会長
アブドゥル・アジーズ・アブドゥッラー・A.・アル・グレイルの父親。サイーフ・アル・グレイル・グループ会長のSaif Ahmed Al Ghurairの兄弟。1990年代半ばまではアル・グレイル家のグループは一つであったが、1997年までに、兄弟であるAbdullahとSaifがそれぞれ率いる2つのグループへの分裂が明確になってきた。
Saif Ahmed Al Ghurair サイーフ・アル・グレイル・グループ会長
アブドゥッラー・アル・グレイル・グループ会長のAbdullah Ahmed Al Ghurairの兄弟。DCCI理事会メンバー。ドバイ執行会議(DEC)メンバー。1990年代半ばまではアル・グレイル家のグループは一つであったが、1997年までに、兄弟であるアブドゥッラーとサイーフがそれぞれ率いる2つのグループへの分裂が明確になってきた。
Abdul Rahman Saif Ahmed Al Ghurair サイーフ・アル・グレイル・グループ副社長
同グループ会長のSaif Ahmed Al Ghurairの長男。DCCIの初代副会長。ドバイ経済問題協議会のメンバー。
Majid Saif Al Ghurair サイーフ・アル・グレイル・グループCEO
Middle East Council of Shoppong Centers社長。Shuaa Capital会長。Arabian Can IndustryとGulf ExtrusionsとReef Mallのマネージング・ディレクター。同グループ会長のSaif Ahmed Al Ghurairの息子。Arab Business Councilメンバー。World Economic Forumメンバー。UAEの2004年のヤング・ビジネス・リーダー・パーソナリティー。
Abdul Aziz Abdullah A. Al Ghurair アブドゥル・アジーズ・(アブドゥッラー・A.・)アル・グレイル・グループ代表
マシュレク銀行CEO(1990~)。アル・グレイル・シティの会長。父親はアブドゥッラー・アル・グレイル・グループ会長のAbdullah Ahmed Al Ghurair。最近、FNCのドバイ代表メンバーに任命され、メンバーの互選でFNC議長に選ばれた。米国のカリフォルニア・ポロテクニク州立大学で生産管理技師の優等学位。1954年生まれ。2004年のフォーブス誌ではUAEで最も裕福な人物として紹介され、2006年のアラブ・ビジネス・マガジンでも同様に紹介された。
Juma Al Majid Abdullah アル・マジド・グループ会長
同グループCEOのKhalid Juma Al Majidの父親。UAE国民から慈善事業の支援者、アラブ文化の支持者として尊敬されている。

Khalid Juma Al Majid アル・マジド・グループCEO
同グループのJuma Al Majid Abdullahの息子。
Khalaf Ahmed Al Habtoor アル・ハブトール・グループ会長
Ahmed Mohammad Al Habtoorの息子。DCCI理事会元メンバー。1949年11月21日、ドバイ生まれ。既婚。6人の子供(Rashid、Mohammad、Ahmed、Noora、Amna、Mira)。the Cedar of Lebanon-Knights Classを叙勲。イブン・ハルドゥーン奨学金の設立に対する貢献に対し特別功労賞を受賞。趣味はテニス。ハブトール家の一員のMohammed Khalifa Al HabtoorはUAE連邦評議会(UAE Federal National Council, FNC)の元議長。
Obaid Humaid Al Tayer アル・タイール・グループ会長
Hamid al-Tayerの息子。同グループCEOのSaeed Humaid Al Tayeの兄弟。元UAE通信相アフメド・フマイド・アル・タイールの兄弟。元労働相マタル・フマイド・タイールの兄弟。DCCI理事会会長。
Saeed Humaid Al Tayer アル・タイール・グループCEO
Hamid al-Tayerの息子。同グループ会長のObaid Humaid Al Tayerの兄弟。元UAE通信相アフメド・フマイド・アル・タイールの兄弟。元労働相マタル・フマイド・タイールの兄弟。
Ahmed Humaid Al Tayer ドバイの2つの銀行(Emirates International Bank、Commercial Bank of Dubai Ltd.)の会長
Hamid al-Tayerの息子。アル・タイール・グループ会長のObaid Humaid Al Tayerの兄弟。同グループCEOのSaeed Humaid Al Tayerの兄弟。元労働相マタル・フマイド・タイールの兄弟。Arab Investment and Foreign Trade Bank副会長、Amman Insurance Company取締役、IMFおよび世銀およびイスラム開発銀行のUAE所長代理などを歴任。金融産業省経済局長(1973-74年)。金融産業省長官(1974-78年)。金融産業省次官補(1978-86年)。金融産業担当国務相(1986-96年)。通信相(1996-)。カイロ大学政治経済学部で経済学修士(1973年)。1950年、UAE生まれ。趣味はサッカー、文学、科学、経済。
Marwan Abdullah Al Rostamani アル・ロスタマニ・グループ会長
アル・ロスタマニ・グループの最大の所有者であった、2006年に死去したAbdallah Hassan Al Rostamani氏の後を継いだ。なお、Abdallah Hassan氏の兄弟であるAbdul Wahid氏、Abdul Rahm氏はAbdallah Hassan Al Rostamani氏に次ぐ同グループの所有者となっている。
Mohammed Abdul Rahim Galadary ガラダリ・グループ会長
ガラダリ家はドバイにおける大きなビジネスファミリーの1つ。長年ドバイに居を構え、この数十年間ビジネスを展開してきた。ガラダリ家には1つ以上のグループが存在する。最大のものはモハメド・アブドゥル・ラヒーム・ガラダリが率いているもの。

※本リストは、敬愛大学平成19年度研究プロジェクト補助金「アラブ世界の主要企業のデータベース作成に向けての基礎研究」の研究成果に基づくものである。PUBLITEC, WHO’s WHO in the ARAB WORLD 2007-2008, 18th edition、在ドバイ日本総領事館の資料などをもとに作成。

(2008年12月7日記)

GCC諸国と米国経済との関係―ドル安対応を中心に(『国際情勢 紀要』No.78、2008年2月)

はじめに
 2007年8月に表面化した米国のサブプライムローン問題(低所得者住宅融資)は、ウルリッヒ・ペックが著書『世界リスク社会論』で指摘したように、国際社会において、リスクが制御無可能となり、それが一カ国にとどまらず世界規模に広がる有り様を端的に示しているといえる。この国境を越える金融不安に対し、12月11日に欧米の主要中央銀行などが短期金融市場への資金の供給を発表するという協調行動をとった。しかし、この対応はシティ・グループに代表されるような損失を計上している金融関係企業の財務を回復させるものではない。金融市場では、こうした対応の効果への警戒感が広がり、ドル離れと貸し渋りの悪循環が起きつつある。
 このような国際金融環境にあって、原油価格の高騰で潤っている湾岸協力評議会(GCC)諸国も金融不安のリスクを負っている。本稿では、オイルマネー(注1)の流れなどを概観し、湾岸産油国がこの金融不安からどのような影響を受け、国際協調体制の下でどのように対応しているのかを考察したい。

1.オイルマネーの流れ
中東諸国では、第1次、第2次石油危機当時、原油価格の急騰により石油収入が増大した。この時起きた産油国を取り巻く国際経済の石油収入の還流は、①産油国の開発計画のもとで先進国企業による公共インフラ建設、②米・英・仏を中心として武器輸出、③米国債に代表される格付けの高い金融投資、④外国出稼ぎ労働者の本国送金、⑤イスラム諸国への開発援助が主要であった。その後、1980年代中ごろには原油価格が急激に下降し、これらの還流の規模は縮小された。
ここ数年の原油価格の上昇により、2002年から2006年のGCC諸国の輸出収入は1.6兆ドルとなり(注2)、イスラム金融への投資を加え、再び還流が活発となっている。この還流で注目されるのが米国への資金流入である。その1つが2007年7月に公表されたGCC諸国への10年間で200億ドル規模での武器売却である。2つめは米国への投資(株、再建、不動産など)である。GCCの過去5年の米国証券投資は1,782億ドルとなっている(注3)。このようにGCC諸国をはじめ黒字を増加させている国がドル建外貨の対米投資を行うことで、米国は経常赤字(2006年は8,115億ドル、対GDP比6.2%で5年連続過去最高)を埋めることができている。
 しかし、今年、徐々にではあるが政府系ファンド(SWF)(注4)の運営において“米国離れ”の傾向が見られている。その理由は、ITバブル崩壊を受け2002年から米ドルの下落基調(2005年本国送金法を施行し外国にある米企業の送金が可能となったため、一時下げ止まる)が続いていること、さらに国際的な好景気にあって運用成績向上を目指しM&Aなどのハイリスク、ハイリターン直接投資も行われるようになったことが挙げられる。また、自国を含め、中東・北アフリカ地域での投資も見られている(注5)。
 ここで中東諸国のSWFの動向を簡単に紹介しておく。中東地域では、1980年第にクウェイト(クウェイト投資庁)、UAEのアブダビ首長国(アブダビ投資庁)において、外国での政府資金運用を行う基金が作られた。主な中東のファンドの現状と最近の投資・買収動向について表1、表2にまとめた。しかし、その実態はベールに包まれており、運用に関する説明責任は果たされていない。さらに、戦略的に企業買収を行うことも考えられる。このため、IMFや世界銀行は2007年9月にSWFとの協議を開始している(注6)。
ドル離れの観点でカタル投資庁(QIA)の例を挙げておこう。これまで同庁は99%がドル建で投資を行ってきた。しかし、2006年頃からユーロ建、ドル建が各40%、残り20%がその他となった。このようにGCC諸国の国家ファンドは、依然として多数のドル資産を有しているが、米国経済との切り離しに向け、投資先を地元やアジアに向けるなど、多様化をはかっている。

2007GCC.jpg表1、表2(画像をクリックしてください)

2.GCC諸国の国際競争力
GCC諸国の米国経済からの切り離しを可能にするには、資本、技術、労働力、市場の4つの条件整備が必要である。しかし、その前提条件としての政治的安定性が求められることはいうまでもない。また、GCC諸国の高い経済成長率や潤沢な投資資金は、原油や天然ガス価格の上昇に負うところが大きく、この点では、輸出指向工業化政策によって外資を導入した東アジアの発展との差となっている。その一方、近年、GCC諸国も若年層の人口増加にあわせて国内労働市場、海外での製品販路の確保に努めており、4つの条件整備にも力を入れ始めている。
 以下では、こうしたGCC諸国の国際競争力について、2007年10月31日に世界経済フォーラム(WEF)が発表した「世界競争力報告2007-2008」をもとに考察する(表3-1~4を参照)。
 同報告によるGCC諸国についての調査結果は、総合順位で6カ国とも131か国中3分の1以内に位置している。同調査の大項目の「基本的条件」(中項目として、制度、社会インフラ、マクロ経済状況、インフレ率、健康・初等教育)では、小項目「政府の支出の有効性」で高い評価を得ている国が多いのに対し、小項目「治安(テロ)」、「株主保護」、「鉄道の質」、「初等教育」では厳しい評価となっている。
大項目「効率性向上要因」(中項目として、高等教育・訓練、商品市場、労働市場、金融市場、技術的成熟、市場規模)では、小項目「商品市場の課税範囲」において、131カ国中、バハレーンが1位、UAEが2位、カタルが3位と上位を占め、“税金大国”といわれるGCC諸国の実態が示されている。しかし、小国目の「教育の質」、「対外競争力」、「女性労働」(6カ国とも100位以下)、「国内市場規模」に関する評価は厳しい。
大項目「イノベーション要因」(中項目として、ビジネスの洗練度、イノベーション)では、小項目の「イノベーション能力」に関し、オマーンとサウジアラビアを除き、厳しい評価となった。特に、バハレーンは、7つの小項目中5項目で100位以下の順位となっている。
 次に注目するポイントを整理すると、非効率な官僚組織と労働環境(労働法、労働意識、労働者の教育レベル)に問題を抱える国が多いことが指摘できる。それは、世界銀行が発表した「ビジネスを行う際の容易さ指標」でも同様のことが指摘されている。この点に関する各国の改善策について、各国要人の発言を拾ってみると、2007年1月、サウジアラビアのゴサイビ労働相が女性労働者も含めた労働環境の改善策について述べた(注7)。また、9月にはクウェイトのサバーハ首相が教育カリキュラムの改善計画について言及した(注8)。バハレーンのハリーファ首相も、労働市場改革について発言している(注9)。このように、GCC諸国では経済発展に向けて労働環境や教育にも力を入れていることが見て取れる。また、GCC諸国における識字率や就学率はASEAN諸国と比較して、取り立てて低いレベルにあるわけではない。これまでごく緩やかな国際競争力の向上が見られてきたGCC諸国ではあるが、今後、より高い競争力を獲得するためには、次の点の改善も必要であることを指摘しておく。①国内産業において国民が広く技術を習熟できる産業の振興、②域内での産業部門での技術開発競争を高める、③外国人労働者への依存度を抑える。
 以上、GCC諸国の国際競争力についてみてきたが、各国ともその妨げとなる国内要因の改善を進めつつある。また、国際的要因としての冷戦の重石が取れてはいるものの、湾岸地域では依然として、地政学的要因(イラク問題、イランの脅威、国境問題など)が阻害要因として残っている。こうした安全保障の要因から見ても、GCC諸国が経済発展を続けるためには、米国との関係における難しい舵取りが必要とされていることが伺われる。

2007GCC2.jpg表3-1~3-4(画像をクリックしてください)


3.原油市場への資金流入
 GCC諸国にとってここ数年、原油、天然ガス収入の拡大や国家ファンドの運用利益の増大など経済発展の良い機会を迎えている。しかし、その一方、物価上昇とドル資産の目減りという新しい課題が生まれている。
GCC諸国の物価上昇率(2007年推定値、カッコ内は2006年値)は、サウジに拠点を置くラジ銀行のレポートでは、UAE6.2%(10.1%)、カタル10.0%(11.8%)、オマーン3.8%(3.2%)、バハレーン3.0%(3.0%)、クウェイト2.8%(3.0%)、サウジアラビア2.8%(2.2%)となっている(注10)。これを見るとUAEとカタル以外はそう高くはない。しかし、サウジアラビアについては同国統計局が発表した数字では、8月4.42%、9月4.89%と10年ぶりの高い物価上昇率となっている(注11)。GCC諸国の物価上昇要因としては、原油価格高騰とそれに伴う世界的な食料価格の上昇、さらには政府の公共支出の増大が挙げられる。特にカタルとUAEは不動産関係費用が物価を上昇させている。
 原油価格は、サブプライム問題が表面化した2007年8月から騰勢を強めた。8月1日のニューヨーク商業取引所のWITは、1バーレル78.77ドル(いったん68.63ドルまで下落)であったが、その後一転して上昇し、11月6日には98ドル台に載せた。これは株式市場や債券市場から大量の資金が商品市場に流入したことを示している。原油先物取引市場は、80年代には1日20億ドル程度の規模であったが、現在は160億ドルの資金が動いている。2003年~2006年の間で、世界の石油の需要の増加率は6%である。投資マネーの流入の大きさが分かる。
この投資資金にはロンドンを経由してのオイルマネーが流入しているとも言われている(注12)。また、ドル安にともないGCC諸国の中に対ドルレートを切り上げざるを得ない国が出てくるとの思惑から、サウジアラビア、カタル、UAEの資産に資金が流入したとの指摘もある(注13)。特にドルペッグ制をとりながらも、米国連邦準備制度理事会(FRB)の9月18日の利下げ(0.5%下げて4.75%)に同調しなかったサウジアラビアの通貨(サウジ・リヤル)に買いが殺到した。ここで注目されたのがサブプライム問題で痛手を負ったヘッジファンドの動向である。同ファンドの一部は、9月に入り米国の利下げを予想し、原油先物に投資先を移している。このマネーゲームの中で、GCC諸国はドル安・原油高の状況におかれ、さらにインフレ圧力を受けることになった。

4.GCC諸国の選択
GCC諸国の公的部門から米国への資本流入量が増加すれば、「強いドル」が復活する。では、GCC諸国はそのための具体的対応に動いているのだろうか。
 その一例として、政府系ファンドの1つであるアブダビ投資庁(ADIA)によるシティ・グループへの出資が挙げられる。2007年11月26日にこの出資が公表された。シティは米国最大の銀行であるが、サブプライム関連で85億ドルの有価証券評価損を計上し、自己資本比率を7.3%にまで低下させ、米国の銀行基準の自己資本比率6.0%を割り込む恐れも出ている。これを補うため、シティ側が普通株に転売可能な証券75億ドル分をADIAに売却した。この証券には、年間11%の利息がついており、さらに2010年3月、2011年9月にシティ普通株(年4.9%の利息)に転換できることになっている。この証券をGCC諸国の政府系ファンドが購入することで、オイルマネーによる米ドル救済となった。
 この積極的な投資とは逆に、米ドルを下落させないために、現状維持に努めることを強く望まれているのがドルペッグ制である。ドルペッグ制をとるGCC諸国では、ドル安によって欧州やアジアなどからの輸入が高騰するという弊害がでている。このため2007年5月20日、クウェイトはドルペッグ制を放棄し、バスケット・システムに移行した。これによりクウェイト・ディナールは、1ドル=0.28914KDから0.2880KDへと0.37%上昇した。クウェイトの通貨制度の移行の理由は、国内のインフレが加速していることであった。その後もクウェイト・ディナールは7月までに切り上げ3回、切り下げ1回を行い、バスケット・システムの運用が現実化した(7月26日で1ドル=0.28230KD)。このようなクウェイトの実施状況を見ることで、他のGCC諸国でも通貨の切り上げが注目されるようになった。仮に、GCCでドルベッグからバスケット・システムに移行する国が増えると、米ドルの信用がさらに揺らぐことになる。
 この状況への対応を模索する中、GCC諸国では為替政策をめぐり意見の相違が生じ始めた。それはドル安を一過性のものと見るか、構造的問題と見るかという観点の違いでもあった。前者がサウジアラビアであり、後者がUAEであった。GCC諸国内で多様な議論がなされたが、12月3、4日のドーハでのGCC首脳会議までにドル安への対応で結論が出されることはなかった。

5.GCC首脳会議の対応
2007年5月、リヤドでGCC首脳諮問会議が開催され、①GCC共同市場に向けて関税同盟設立の検討、②中東和平、③イラン情勢、④レバノン情勢などが協議された。そして12月のドーハでの首脳会議の前には、外相、国防相、内相レベルでの会合が開かれた。首脳会議には、平和利用を目的としたGCC諸国の核技術の共同開発について協議するためにイランのアハマディネジャド大統領が招待された(注14)。
 12月の首脳会議を前にしてマスメディアでは次のような意見が報じられていた。①ドルペッグ制を放棄したからといって物価上昇を抑えきれるものではない、②ユーロペッグやバスケット・システムがドルペッグ以上に優れた戦略だとはいえない、③通貨統合は経済統合の最終段階である。このため経済調和策(ハーモナイゼーション)の長期的、安定的時期を経た後になされるべきだなどである。
 3日、4日の2日間の首脳会議が終わりに最終声明が発表された。そこには、①ドル安や為替政策については言及がなく(今後も制度改革についての協議内容は公表しないことで合意)、②通貨統合の2010年という目標は変更しない(先にこの目標からの離脱を表明していたオマーンもこれに合意)、③1月にGCC共通市場を開始することなどが盛り込まれた。
 以上のように、GCC首脳会議ではマスメディアもGCCのドル離れという観点で通貨制度の協議に焦点を当てていたが、会議は市場統合の実現に重きを置いたものとなったといえるだろう。物価上昇率は投資拡大を促す中で徐々に対応できるとの判断であったようだ。こうした結論に至った過程においては、サウジアラビアの米国への配慮が大きいとの報道も見られている(注15)。

6.米国とGCC諸国の強固な関係
 GCC諸国にとって、イランの脅威を前にすると、米国との軍事的結びつきは(武器・兵器の訓練、メンテナンス)大いに利益を見出せるものである。米国も「湾岸安全保障対話」としてGCCに対しイラン封じ込め支援を行っている。第5表が示すように、米国による軍事援助はごくわずかな額である。むしろGCC諸国による国家防衛プロジェクトとして契約、調印がなされている。これは必ずしも米国のみではなく、英国、仏国とも契約が交わされている(注16)。また、米海軍基地を有するバハレーンやアル・ウデイドの空軍基地を提供しているカタルは、米軍の中東・中央アジアへの展開能力を増す上で重要な国である。特にカタルにはアル・ウデイド基地の改修で、2003~2007年に4億ドルの供与を米議会が承認している。
サウジアラビアは、反テロ戦争に関連して米国との関係が一時悪化した。しかし、GCC諸国にとって米国に取って代わる国は現実には存在せず、自国の安全保障と直結するため、米国の存在感は強い。米国が経済的に低迷し、内向き指向になることは、GCC諸国にとっては好ましいとは言えない。むしろ、米国に積極的に資金を還流させ、米国経済を支えることが、GCC諸国の共通した短期的な政策だと言えるだろう。

2007GCC3.jpg表4、表5(画像をクリックしてください)

まとめ

サブプライムローン問題は、証券化が多岐にわたったこともあり、国際社会にリスクを分散させることになった(5000億ドルの損失との予想もある)。その震源地である米国では、ドル安による影響がみられ輸入物価が上昇し、消費低迷から景気後退が生まれつつある。一方、このドル安は原油、金などの商品市場や新興諸国の株、不動産への資金シフトを生んでいる。
これにより中東産油諸国は石油収入を増大させたが、ドル安対応(輸出代金の目減り)とインフレ抑止に迫られることとなった。その対応例として、イランのようにドル建からユーロ建に貿易決算を変更する国も出てきた。これに対し、多額のドル資産を有し、安全保障を米国に依存するGCC諸国は、短期的にはドルペッグ制の維持、シティ・グループへの融資などで、国際経済における資金の流動性を確保した。これにより、短期金融市場の信用収縮から生じた影響の拡大を阻止する一役を担った。また、今回の危機の調整が長期化することが予想される中で、GCC諸国は地域経済統合を視野に入れた2010年の通貨統合を打ち出した。そして各国が、国際競争力の向上や政府系ファンドの運用などを通し、米国の経済動向に左右される度合いを低める経済構造へと改革を進め始めている。
 国際経済における基軸通貨であるドルが揺らぐ中で、米国経済と新興国経済の切り離し(decouple)が行われたとの分析もある。しかし、GCC諸国の動向は、EU、中国とともに米国を支えながら現状の経済システムの中で恩恵を受ける方向を志向しているように見える。そのための方途として、例えばドルの信用回復のために、原油とレアメタルや金をバスケットとして組成し、金本位制における金のような役割を果たさせようとの構想が出てきている(注17)。本稿では、こうした構想以前の政策として、GCC諸国が基軸通貨であるドルを支えつつ、現在の金融不安リスクに対応していこうとしていることについて指摘した。そのことにより、米国とGCC諸国-特にサウジアラビアとの相互依存関係の深さの一端を窺い知ることができたと言えるだろう。


<注>
1. オイルマネーは通常、産油国の石油輸出額から輸入額を差し引いた資金、または国際収支上の経常黒字額をいう。オイルダラーとの別称もある。
2. 2007年5月の国際金融公社(IIF)の報告では、GCC諸国の輸出収入1.5兆ドルに対し、1兆ドルが輸入に充当されており、5,420億ドルの余剰資金がある。
3. 『エコノミスト』2007年12月11日p.70
4. Sovereign Wealth Fund (SWF、政府系ファンド、国富ファンドと訳されている)、その数は世界全体で約30、運用資産は2.5兆ドルと報じられている。
5. 『エコノミスト』前掲。過去5年で600億ドルが投資されている。
6. SWFの投資について、米財務省のロウェリー次官代理が2007年6月、行動規範作りを提唱している。
7. Arab News, January 21, 2007, http://www.arabnews.com/?page=1&section=0&article=91215&d=21&m=1&y=2007
8.  2007年9月2日付「ナハール」紙とのインタビュー
9.  11月27日バハレーン商工会議所での発言。Bahrain Tribune, November 28, 2007, http://www.bahraintribune.com/ArticleDetail.asp
10. Khaleej Times, August 15, 2007, http://www.khaleejtimes.com/DisplayArticleNew.asp?section=business&xfile=data/business/2007/august/business_august286.xml
11. Arab News, November 8, 2007, http://www.arabnews.com/?page=6&section=0&article=103335&d=8&m=11&y=2007
12. 英国から米国への証券投資金額と原油価格の連動性が確認でき、英国銀行のGCC諸国の預金残高も原油価格の上昇にともなって拡大しているといわれている。
13. 11月7日付「ガルフ・デイリー・ニュース」紙。スタンダード・チャータード銀行のマリオス氏(地域調査担当)の分析
14. アハマディネジャド大統領は、経済協力や安全保障を協議する機関の設立をはじめ、GCCとイランの関係強化のための12項目提案を行ったが、核技術の共同開発には消極的であった。
15. Khaleej Times, December 4, 2007, http://www.khaleejtimes.com/DisplayArticleNew.asp?section=business&xfile=data/business/2007/december/business_december95.xml
16. カタルとEAD社(European Aeronautic Defence and Space Co)との電子偵察・監視ステーションなどの小規模な契約(10億カタル・リヤル)例もある。
17. この構想は、米国の元財務次官のロバート・ロザ氏が提唱している「コモディ(商品)バスケット」といわれているもの。

(2007年12月16日記)

ブッシュ政権の新イラク政策と中東(『海外事情』Vol.55 No.2、takushokudaigaku海外事情研究所、2007年2月)

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「イラク問題と米国の湾岸政策」 (『国際情勢 紀要』No.77、2007年2月)

はじめに

12月6日、米国の超党派で構成されるイラク研究グループ(以下、ISG)が現状のイラク政策の見直しを求める提言を発表した。その提言では、イラク問題のみならず米国の中東政策全般が言及されていた。その背景には、イラクの内戦化に加え、イランの反米政策の増幅、イスラムの台頭などが中東地域の親米的政権に動揺を与えることへの懸念がある。そこで、ISG報告書も踏まえながら、米国のGCC諸国関係の現状を検証し、イラク情勢も含めて今後の動向を考察したい。

Ⅰ.イラクの現状認識

1.政治、経済、治安分野の状況
 まず、イラクの政治、経済、治安分野における課題と問題点を確認しておく。
 政治分野: マリキ政権は政治課題として、①国民和解(2006年6月、8月と計画発表)、②憲法改正、③地方選挙実施、④治安強化、⑤行政サービスの浸透などを抱えている。しかし、同政権には①派閥主義、②腐敗、③人材不足などの統治能力上の問題があり、国民の不満が鬱積している。特に、国民が「平和の果実」を実感する上では、行政サービスの浸透と治安回復が重要であるが、電気、下水、教育、保健、飲料水供給の各分野の復興は、インフラへの武装勢力の攻撃などもあり遅れている。
 経済分野: 経済開発は、①治安悪化、②腐敗、③インフラ整備の遅れ、(4)投資資金不足などから停滞気味である。経済成長は2006年で推定4%(目標10%)、失業率は高く見積もると60%、海外直接投資は対GDP比1%以下となっている。また、国家の収入源となる石油輸出は、150万B/D前後(生産は220万BD前後)と低迷している。その原因として、①パイプラインの安全確保の不足、②石油施設のメンテナンスの不足、③原油の盗難、④外国企業の投資回避などが挙げられ、改善がはかられていない。
 治安分野: 現状の治安体制は、まず米軍が2006年12月現在で14万1000人、その他の国からの有志連合参加軍が約1万6000人駐留している。イラク自身としては、軍18万8000人、警察13万8000人で、合計32万6000人を擁しており、人数的には順調に強化されていると言えるだろう。しかし、イラク軍に関しては、①リーダーシップおよび集団行動能力の欠如、②担当区域外での作戦行動との連携性の欠如、③装備不足等の問題がある。またイラク警察の腐敗構造は広く指摘されており、①集団単位で派閥的暴力に参加、②出勤状況の悪い者の存在、③管理者の能力不足などの問題点があり、改善に向けての有効な手立てが打たれていない。
2.内戦の認識
 現状イラクでは、一般市民の死傷者と避難民の増加、貧困の増大と被害が拡大している。この状況は、世界銀行による内戦の定義「特定可能な反政府組織が政府に軍事的に挑戦し、それにともなう戦闘関連死者が1000人以上発生し、その死者数には両サイドの各5%が含まれる」(注1)に当てはまる。しかし、それは一般に言われており、ISG報告書でも指摘されている帰属利益集団間の対立(例えばスンニー派対シーア派の宗派対立)をさしているのではない。
 内戦への分岐点は、2006年10月15日、イラク・アルカイダ機構を核とする武装組織「イラク・ムジャヒディーン評議会」がイラク中部の州(6州説と8州説がある)を領土とするイスラム国家「イラク・イスラム国」の建設を宣言した時点だと考えられる。これにより、イスラム法は「法根源の一つ」であるとして世俗性を憲法で示した現政権に対し、「イスラム法による統治」を主張する人々の対立構図が明確な形を持って現れた。2006年1月に比べ、10月のイラクの治安部隊に対する月間攻撃数は2倍を超え、民間死者数が4倍も高くなったことは(注2)、その査証と言えるかもしれない。
従来、紛争学などでは、各内戦の根本原因を ①民族的および宗教的な憎悪、②民主主義の欠如、③経済的な不平などに分類してきた。現状のイラクの場合、そうした原因に明確に分類できない複合性の高いものと言えるだろう。この複合性をもたらした要因としては、1991年の湾岸戦争後の平和構築の失敗と2003年3月のイラクへの国際介入後の占領政策の失敗が、相乗的に影響していると考えられる。
 典型的な内戦は終結まで、統計的に約7年間継続し、絶対的貧困者数の約30%増、所得の約15%減という被害を国家に及ぼすとの研究がある(注3)。こうした内戦に対し、国際社会は一般的に、①勝敗が決着するまで戦わせておく(周辺への影響を最小化させるリスクマネジメントは行う)、もしくは②国際介入を行い、平和構築を行うという対応をとっている。イラクの場合は、国際介入後の占領政策の失敗(国内の武装解除が行えず、反対勢力の募兵、結束、装備など軍事組織化が容易となった)が、現状の要因の一つであるため、新たな介入施策はとりにくい。ISG報告書は、イラク人の主体的な国づくり(イラク化)を促すべきだと提言している。そして、米軍撤退問題はイラク化の進展をにらみつつ進めるとしている。これは、内戦の短期的終結を求めるため、国際介入によって平和強制を実施する方向とは逆向きである(注4)。
 内戦終結へのポイントとして、これまでに一般化されているものには、①反乱組織の外部資金源の切断、②反乱組織との和平交渉、③統治機構の政治改革、④国際社会からの援助、⑤経済成長の回復、⑥民兵の解体(武装解除)などがある。イラクでは、これに加え、差し迫ったものとして、①石油収入の分配、②キルクークの将来的地位などの富の分配の解決が挙げられる。イラク人自身がこれらのポイントを一つ一つクリアしていくには、かなり時間がかかるだろう。こうしてみると、内戦継続の平均値7年をイラクが下回る蓋然性は低いように思われる。
 では、このように情勢悪化が懸念されるイラク問題が周辺諸国にどのような問題を与えるのか、以下で考察する。

Ⅱ.9.11米国同時多発テロ・米国の軍事介入とGCC諸国

 米国とGCC諸国の関係を考える上で、国際社会に衝撃をもたらした米国に関する3つの出来事に際しての、GCC諸国の対応を見ておくことは重要だろう。以下に各国の主要な対応を整理しておく。
1.サウジアラビア
<米国同時多発テロ後>
・9月13日、ファハド国王が米国に弔電を打ち、アブドッラー皇太子が電話でテロとの戦いでの米国との協調路線を取ると伝えた。
<アフガニスタン攻撃>
 ・テロ行為に反対する立場を表明。
 ・テロ防止関連条約の批准、国連テロ資金供与防止条約に署名。
<イラク紛争関係>
・2003年3月、ファハド国王は「イラクの自由作戦」に不参加を表明。しかし、作戦実施に当たっては秘密裏に特殊部隊の燃料供給などを行ったとの情報があった。
・1991年~2003年の間、イラク南部に設置された飛行禁止空域を確保する米国の空軍を支援。
 ・2003年8月、サウジに駐留していた米空軍(約5000人)が正式に任務を解かれ、戦闘航空指揮施設がカタルに移転。2006年5月時点で、約300人の陸空の訓練要員が駐留。
2.バハレーン
<米国同時多発テロ>
・テロ行為を強く非難し、テロリストを匿うことや物質的・精神的支援を行うことに対しても警告を発した。
・報復攻撃については、明確に定義された目的の下で、国連のマンデートを伴った連合を目指すべきであり、アラブ及びイスラムの名誉が傷つけられない形であれば、反テロの連合に参加する用意があるとしている。
<アフガニスタン攻撃>
・バハレーンは如何なる形態のテロリズムも拒否するとの立場に基づき、テロ分子 と闘う国際社会への支援を改めて表明すると述べ、アフガニスタン国民が彼らの意志とは関係のない行いによって罰せられるべきではないと真剣に考えている(ハリーファ首相のバハレーン通信社に対する発言)。
 ・「不朽の自由作戦」で約4000人の米軍を受け入れ、基地使用を認める。
<イラク紛争関係>
 ・1991年10月28日、米国との防衛協定を締結、90年代には約1300人の米軍人が駐留していた(2001年10月に更新)。
 ・「イラクの自由作戦」では、後方支援、基地使用に加え、米国船保護のためのフリゲート艦を公式に展開した。
3.クウェイト
<米国同時多発テロ>
・あらゆるテロ行為に反対するとの立場を繰り返し表明。また、テロに対する戦いを行う米国の立場を支持した。
・米国の報復攻撃に関しては、国連等でテロ行為に対抗するための国際的努力を支持。また、テロ支援国家に対する国際的な軍事活動を支持し、その際の便宜供与の提供を行った。
・他方、米国等によるクウェイトの基地使用に関しては、高度な政治的判断が必要だとした(ジャービル国防相の発言等)。
<アフガニスタン攻撃>
・クウェイトは、武力行使にあたって軍事面では直接何ら関与していないが、テロ関連情報の提供などの支援を行った。
 ・「不朽の自由」作戦中に、約5000人の追加米軍を受け入れた。
<イラク紛争関係>
 ・1991年~2003年の間、クウェイト駐留米軍のコストの軽減処置として、3億5000万ドルを米軍に支援。91年9月、米国との防衛協定を締結(10年、2001年に更新)。
 ・「イラクの自由作戦」では、米国のイラク侵攻の安全保障措置として国土の60%を閉鎖。さらに2つの空軍基地の使用と2億6600万ドルの後方支援(飲料、燃料など)を米軍に行った。
4.UAE
<米国同時多発テロ>
・UAE政府は、9.11テロ事件に関して、テロ行為を断固として非難し、米国に対して必要な協力を惜しまないとする立場(ザーイド大統領等の発言)。また、9月23日、タリバン政権との国交を断絶した。
・他方、米国の報復措置に関しては、如何なる対応にも全ての証拠が注意深く収集・分析されるまで性急な行動は避けるべきとし、テロに対抗する国際的な連合は、ダブル・スタンダードを避け確固とした原則に基づくべきとした(ザーイド大統領等の発言)。
<アフガニスタン攻撃>(2001年10月8日、定例閣議後の声明より)
・国際的テロに対抗するための現在の軍事作戦は広く国際的支持を得ている。
・UAEは、アフガニスタン人民に対する支援と同情の意を表明し、人道的支援を行うことを再確認する。また、民間人の被害を避けるために最大限の努力を求める。
・UAEは、国際社会に対し、パレスチナ人民に対するイスラエルのテロ行為を直ちに終了させるための行動を求める。
・UAEは、テロ撲滅のために国際法の原則に則った協力を行う。
 ・なお、UAEは、アフガニスタンでの米国の作戦を支援した。
<イラク紛争関係>
 ・1991年~2003年の間、米軍のジュベル・アリ・ポートでの港湾使用、物資の事前集積を許可。また空軍基地で飛行禁止空域での作戦航空機への燃料補給を行った。同国の支援は1500万ドル相当と見られた。
 ・「イラクの自由作戦」展開中は、2000人の米軍の駐留を受け入れた。
5.カタル
<米国同時多発テロ>
・9.11テロ事件を断固として非難すると共に、米国への可能な支援を行うと表明(ハマド首長の発言等)。なお、イスラム諸国会議機構(OIC)議長国としても、テロ行為を非難。
・他方、米国の報復攻撃に関しては、軍事的支援等に関して慎重な立場。
<イラク紛争関係>
 ・「イラクの自由作戦」前には、米軍の戦車、装甲兵員輸送車の事前集積本部があった。また、2003年8月、米国の戦闘航空指揮施設がサウジアラビアからカタルのアルウダイド基地へ移転された(同基地は、1万人の駐留と140期の航空機を集積する能力がある)。なお、同基地はアフガニスタンでの米国の作戦の兵站拠点にもなった。
6.オマーン
<米国同時多発テロ>
・オマーン政府は、テロ行為を非難すると共に、米国に対して可能な限りの支援を行うとの立場。また、タリバン政権は、その強硬さ、ビン・ラディンとの関与等から米国の予測され得る標的となっている現実を直視すべきであるとした(アラウィ外務担当相等の発言)。
・米国による報復攻撃に関しては、GCC諸国との足並みを合わせながら検討を行っていくとの立場。
<アフガニスタン攻撃>
・米国で起きた本件テロ事件に対し深い同情の念を抱いた。我々はこうした暴力の数に対して立ち上がり、戦わなければならない。また、パレスチナ問題が本件の陰に隠されるべきではなく、中東和平は国連が構築した法的根拠及び平和の枠組みの中で解決されるべき(2001年10月8日、バドル外務次官の外交団への説明)。
 ・「不朽の自由作戦」において、米国に空軍基地の使用を認めた(約4300人の米国人が駐留)。
<イラク紛争関係>
  ・オマーン高官が、「イラクの自由作戦」を公式に非難。その一方、米軍への空軍基地の使用を認めた。

Ⅲ.現状の米国・GCC諸国間の主要問題

1.テロとの戦い
 米国の湾岸政策にとって、9.11同時多発テロ事件は一つの節目であった。同事件の調査で、①ハイジャック犯19人の殆どがGCC諸国の国籍を持っていた(サウジアラビア15人、UAE2人)、②テロ計画の中で、イスラム慈善団体の寄付金がテロ資金となっていた、③UAEに拠点をおく金融ネットワークによって資金が配布されていたなどが判明し、GCC諸国への不信感が米国国民感情の中に生まれた。その後、米国とGCC諸国はアルカイダ、タリバンなどに対抗する反テロ行動を共にする。具体的には、①治安情報の共有、②テロ関連資産の凍結、③反マネーロンダリングの協力体制の構築を行っている。
しかし、この間、ハイジャック犯を出したサウジアラビアとUAEとの関係では軋みも見られた。サウジアラビアに関しては、同国高官の慈善団体への支援と教育課程における宗教教育のあり方などで、両国報道機関を巻き込んだ不協和音が高まった。そして、米国のサウジ軍事援助プログラム(例IMET)が米議会によって支出が検討される問題も発生している(注5)。また、UAEに関しては、同国企業のドバイ・ポーツ・ワールド(DPW)の米国の港湾事業参入問題で、米議会の厳しい対応を受けている。
現状、GCC諸国のテロ対策は、サウジアラビアでのテロ対策の成果に見られるように、米国の協力もあり、着実に進展していると言える(注6)。しかし、新たにイラク紛争で①イスラム義勇兵のサウジ国境通過問題、②サウジ人のイスラム義勇兵の存在、③サウジ人からのイスラム過激派への資金流入が注目されている。また、米マスメディアでも報じられたように、今後のイラク国内の動向によっては、サウジ政府によるイラク国内のスンニー派支援の可能性も注目されるところである。一方、仮に米軍が撤退し、イラクの内戦が今以上に激化すれば、イラクの国際テロの温床化が進み、イラクで訓練を受けた武装イスラム過激派が、サウジアラビアをはじめとするGCC諸国での活動を活発化させる恐れがある。
2.政治・経済改革の行方
 米国・GCC諸国関係は、防衛分野が先行していたが、米国の中東協力イニシアティブ(MEPI)とGCC諸国の自発的な改革努力などによって、政治、経済、司法面でも、①法の支配の確立、②政治参加、③女性の権利、④労働者の権利などの分野で改善の方向が見られている。
政治参加では、政党の設立が認められていない国が多いが、2005年のサウジアラビアでの地方選挙実施、2006年に入ってクウェイト(6月)、バハレーン(11月)、UAE(12月)で議会選挙が実施され、既に女性の立候補者が認められて選挙を行っているオマーン、カタルを加えると、全ての国で選挙制度が動き始めている。また、女性の社会進出に関しても、依然として部族的な伝統社会の習慣が色濃く残っているものの、オマーンでの3人の女性閣僚をはじめ、バハレーン、クウェイト、カタル、UAEでも女性閣僚が誕生し、社会進出を促す流れが見られるようになってきた(注7)。
一方、経済面では、米国との個別のFTA交渉やWTO加盟が推進されている(注8)。
このように、ブッシュ政権の民主化政策は、GCC諸国では実質的な変化を生んでいる。ここでの問題点は、仮にイラク情勢が混迷する中で、イスラム法を基にした「イスラム国家」が誕生すれば、GCC諸国内に改革への批判の声が高まる蓋然性が高くなることである。クウェイトとバハレーンの選挙でもイスラム主義的政治グループが議席を伸ばしており、米国とGCCの指導者たちにとって、国内世論(アラブ・ストリートと呼ばれるもの)を慎重に見定めた舵取りが必要になっている。
3.中東和平問題
 GCC諸国内では、1991年のマドリードの和平プロセスの進展にともない、多国間協議や中東・北アフリカ経済会議(MENA)の枠組みで、イスラエルとの交渉を持つ国が存在する。MENA会議の主催者となったのは、イスラエルが貿易事務所を開設したカタル、オマーン、バハレーン、UAE(ワーキング・グループのホスト)である。クウェイトは会議への参加のみで、サウジアラビアは欠席を通した。また、GCC諸国は、米国の協力要請を受け、1994年9月に、アラブ・ボイコット(対イスラエル貿易制限)における間接ボイコットを終了させている。
 中東和平に関しては、2002年3月、当時サウジ皇太子であったアブドッラー国王が、イスラエルの占領地からの撤退を条件に、イスラエルを承認するとの提案を出している。同提案は、その後のアラブ連盟首脳会議(3月28日)で支持され、4月のブッシュ・アブドッラー会談、2003年6月のシャルム・エル・シェイクでの中東和平会議、2005年4月のテキサスでのブッシュ・アブドッラー会談でも基本認識として確認され、イスラエル・パレスチナ2国家共存構想の元となっている。また、サウジアラビアは、パレスチナのハマスへの支援、レバノンの安定化への援助などを実施している。
 しかし、近年、ハマス、ヒズボラへのイランの資金、武器支援が増加し、サウジアラビアの和平努力とは逆の方向に両組織が動きつつある。その結果、2006年7月、イスラエルのガザ地区への再侵攻、イスラエル・ヒズボラ紛争が起きている。これらのイスラム組織へのイランの影響力が増加する中、サウジアラビアの高官が9月にイスラエルのオルメルト首相と会談、さらに12月にも会談が予定されているとの報道が流れた(注9)。サウジアラビアの中東和平イニシアティブが復活し、その和平の進展如何では、サウジアラビア、バハレーン、カタル、オマーン、UAEに加え、モロッコとチュニジアがイスラエルとの和平締結に進む可能性もあると伝えられている(注10)。
 イラクで米国が敗北を認めれば、イランが中東地域での影響力を増し、同国と関係が強いヒズボラ、ハマスの活動も勢いづくことになるだろう。これにより、レバノンやパレスチナでの紛争解決の糸口が見出せなくなる恐れもある。中東和平問題の早期解決を望んでいるサウジアラビアをはじめGCC諸国としては、この点からもイラク情勢の行方に懸念を抱いている。
4.イランとの関係
 米国・GCC諸国が共通する課題は、湾岸域内の大国であるイラン政策である。ここではまず、9.11テロ事件から米軍のアフガニスタン攻撃までのイランのハーメネイ最高指導者の注目される発言を追ってみる(注11)。
 9月17日、イスラム法学者代表との会合にて: ①広島、長崎の名前も含め、「人類の大量殺戮は非難されるべきものである」とテロを非難、②米国のアフガニスタンとパキスタンでのプレゼンス拡大への懸念を表明、③シオニストによるパレスチナのイスラム教徒への圧力が強まっていることを指摘。
 10月8日、米国の対アフガニスタン軍事行動を受けて: 米国の真の意図は同地域への影響力の拡大と強化にあると非難。
10月30日、イスファハン巡行での市民に向けた演説: ①「今日、米国政府との関係改善は言うに及ばず、交渉ですら国益に反するとの結論に達している」と対米関係を否定、
②「アラブ諸国は米国に媚びへつらい、米国の意向に従って行動するが・・・アラブ諸国の要請を米国は聞いた例がない」、さらに、米国は「国際社会の意見ですら聞かない」と米国の一国主義を批判、③米国はテロ容疑者への説得力ある証拠、理由を提示していない、容疑者に代えてアフガニスタン国民への攻撃を行ったと指摘、④米国はアフガニスタンの混乱にイランを巻き込み、「イランはイスラムの原則に忠実ではないと宣伝すること」と「イスラム教徒殺しの承諾をイランから得ること」を画策したと主張、⑤「米国等がいくら自由主義、民主主義、民意重視の美徳を唱えたところで、西側は自国の利益に合致する限り、他国と他国民を何の理由も無く廃墟化することをアフガニスタンの例は実証したと西欧的思想を批判、⑥「世界大国の傲慢の真意をイスラム世界が理解し、“米国に死を”のスローガンがイスラム世界全域に浸透した・・・」と主張。
なお、イラン政府は、9.11テロ事件に際しては他国と同様、テロを厳しく非難し、米国民に対し深い同情を表明した。その上で、米国に対して、①テロ撲滅に向けての国際協調、②犯人への処罰には明確な証拠の提示、③拙速な武力行使への疑問、④今後の対応は国連の枠組みで推進、⑤領空使用の不可などを明言した。
 このように見ていくと、イランは9.11テロ事件では、国際テロへの対応を明確には示せていない様子がうかがい知れる。しかし、2001年10月7日のアフガニスタンへの米軍の攻撃後、いわゆる改革派といわれるハタミ大統領やイラン・イスラム参加戦線(IIPF)も含めて、米国を非難し、戦闘行為の停止を求め、反米姿勢を明確にした。そして、10月30日のハーメネイ師の、「アラブ諸国は米国に媚びへつらい、米国の意向に従って行動する」との表現が、イスラム社会における自分の立場をアピールするものとなっている。
 その後、イラン・米国間の溝は、イランに逃げたアルカイダの身柄拘束問題、イラク紛争への内政干渉問題などで一層深まり、2006年に入ってから、イランによるレバノンのヒズボラやパレスチナのハマス支援問題、イランの核開発問題なども加わり、さらに関係は悪化している。また、これらは親米外交を取るGCC諸国とイランとの問題ともなっている。なお、イランの核開発にともない、GCC諸国でも核開発が検討され始めている。

まとめ

 ブッシュ政権は、反テロ戦争の手段として、治安面での取り組みに加えて、①中東での民主主義の促進、②経済開発の進展を打ち出してきた。つまり、国民としてのアイデンティティーを持つ人々がいる「国民国家の構造改革」を行おうとしてきたと言えるだろう。しかし、そこでは1989年2月のアフガニスタンからのソ連軍の撤退以降、再び自信を持ったイスラム主義者による、イスラム国家としての国づくりの潮流を軽視してきたのではないかと考えられる。その流れの中にある2006年10月のイラクでのイスラム国家建設宣言も、同様に過小評価されている感がある。
 カントは『道徳形而上学』で、法について、全ての人の意志が一つに統一された意志となり、その意志によって立法されることで相互に拘束しあう状態としての「市民体制」が成立すると述べている。ブッシュ政権は中東地域で、近代西洋法による統治を迫ろうとしているが、同地域の人々はイラクに見るように、近代西洋法かイスラム法かの選択において意志が統一されていない現状にある。特にイラクのような多民族、多宗教の脆弱国家での平和構築において政治プロセスを早期に進展させたことで、一応、法の支配を成立させたものの、それが人々に法の選択を迫り対立を煽る要因にもなった。この点でも、イラクでの「市民体制」の成立の難しさが見えてくる。
これは、イラク・ムジャヒディーン評議会など武力行使も辞さないイスラム過激派が顕著に台頭した場合のみに言えることではない。中東諸国で民主化や自由化を進めればイスラム主義が勢力を伸ばすことになるとの分析がある。クウェイトやバハレーンにおいて、2006年に実施された選挙でイスラム主義者が議席を増やした。こうした政治参加によって発言力を強める道を選択した穏健なイスラム主義者は政治改革を求める勢力でもあるが、一方で、西洋近代法に含まれる要素をどの程度まで支持しているか疑問が残る。
 このようなイスラム主義の伸張やイランをはじめシーア派の台頭は、米国とGCC諸国の政治指導者にとって共通の脅威と言えるかもしれない。ISG報告書で、民主主義や自由の推進といった理念が消えているのも、このような状況に対する懸念を見据えてのことかもしれない。こうした脅威に対するリスクマネジメントとして、少なくともイラク問題に関しては、現状を内戦として認識し、治安回復、経済援助、政治改革の3分野のバランスを見直し、総合的にパッケージした平和構築の実施計画が必要であろう。それは米国単独で実施可能なものではない。また地域全体の状況を見据えたものである必要もある。日本はイラクから陸上自衛隊を撤退させた後の国際協力として、そこに役割を見出す努力をすべきだろう。

<注>
1. 『戦乱下の開発政策』、世界銀行、2003年
2. James A. Baker, III, and Lee H. Hamilton, The Iraq Study Group Report, December 7, 2006, http://www.usip.org/isg/iraq_study_group_report/report/1206/index.html を参照した。
3. 上記、世界銀行参照。
4. 例えばアフガニスタンのNATO軍の増強。
5. 2002年度2万2000ドル、2003・2004年度2万4000ドル、2005年度2万5000ドルと推移している。
6. 2006年4月発表の国務省の「国際テロ年次報告書2005年」でサウジの協力を賞賛。
7. サウジでは、ジェッダの商工会議所の理事(12人)の選挙が行われ、2人の女性が選出された。拙稿「国際社会学から見た中東の政治・社会参加」『国際情勢 季報』No.76、社団法人国際情勢研究会、2006年2月なども参照。
8. 米国とのFTA締結についてはGCC諸国間でも足並みが乱れており、2004年9月14日に米国とのFTAに署名したバハレーンは、サウジからの反対圧力を受けていた。なお、米国にとってサウジは2005年で、中東諸国最大の貿易相手国であるが、FTA交渉は動いていない。
9. 9月の会談は、9月25日付「イディオト・アハロノト」紙および同日「ハアレツ」紙電子版を参照。また、12月の会談については12月3日付「サンデータイムズ」紙。なお、「ハアレツ」は、サウジ側の担当者はバンダル王子(前駐米大使)の可能性があるとしている。
10. 同上「サンデータイムズ」紙
11. いずれも「ケイハン」紙より

<主要参考文献>
・Nathan J. Brown, Amr Hamzawy, and Marina Ottaway, “Islamist Movements and the Democratic Process in the Arab World: Explorong the Gray Zones”, Carnegie Paper no.67, March 2006
・Kenneth Katzman, “Kuwait: Post-Saddam Issues and U.S. Policy”, CRS Report for Congress RS21513, Updated May 18, 2005
・Kenneth Katzman, “Bahrain: Key Issues for U.S. Policy”, CRS Report for Congress 95-1013F, Updated March 24, 2005
・Kenneth Katzman, “Oman: Refoem, Security, and U.S. Policy”, CRS Report for Congress RS21534, Updated June 28, 2005
・Kenneth Katzman, “The United Arab Emirates (UAE): Issues for U.S. Policy”, CRS Report for Congress RS21852, Updated May 9, 2005
・Alfred B.Prados, “Saudi Arabia: Current Issues and U.S. Relations”, CRS Report for Congress RL33533, Updated August 2, 2006
・Jeremy M. Sharp, “U.S.Democracy Promotion Policy in the Middle East: The Islamist Dilemma”, CRS Report for Congress RL33486, June 15, 2006
・Jeremy M. Sharp, “Qatar: Background and U.S. Relations”, CRS Report for Congress RL31718, March 17, 2004


国際社会学からみた中東の政治・社会参加(『国際情勢 紀要』No.76、2006年2月)

はじめに
 本稿では、中東諸国の民主化について、社会学の研究テーマの一つである「近代化と文化変容」の観点を踏まえて考察する。また、社会心理学・比較文化心理学の分野ではすでに、個人が、近代化プロセスにおいて影響を受けながら社会化していく過程についての報告が数多くまとめられている。これらを参考に、同地域の民主化と個の関係を捉えなおすことで、歴史学や政治学とは別の角度で、その社会や文化の特殊性と一般性を確認できるのではないかと考える。
 例えば、最近のサウジアラビアでの女性の運転免許取得への異議申し立てやクウェイトでの女性閣僚誕生問題が挙げられる。これらの問題は、ある個人の関心が、外部刺激によって伝統的環境から外部に向けられ、体験・参加への意欲を持ったとき、その関心の範囲は「公」のあり方にまで広がる傾向がある。そのような個人が集まり、集団としてまとまると、社会変化を促す力となるという、社会心理学の一般考察から、中東諸国の社会も例外ではないことを示している。中東地域でも、経済発展やグローバル化の影響によって都市化、高学歴化、情報化という環境変化が進んでおり、その中で個人の達成欲求が活性化されると、内発的に社会システムの組み換えが求められるようになっていると捉えるのである。
 最近、中東の民主化については、政治制度論から見た異質性や、対テロ戦争の手段としての民主化の観点から論じられることが多い(注1)。しかし一方で、グローバルな視点から見た共通の社会変化の中での「個人の適応」という観点での考察は、まだ不十分ではないだろうか。本稿では、「参加」をキーワードに考察を進めていくが、統計、現地調査やその報告を十分に利用、検討できているものではなく、問題意識の提示に留まっているといってよい。今後、多くの実証研究を経て、個人と社会の関係を考える一助となれば幸いである。

Ⅰ.最近の中東地域での民主化の動向

 冷戦終焉後、中東の民主化についての議論がなされたが、政治的な実態にあまり大きな変化は見られなかった。日本における最近の中東地域に関する研究では、民主化について「民主主義の原則に従ってその社会を構成すること、また再構成すること」(注2)、「民主主義の理念を実現するのであるが、政治の近代的制度化という面も強く持っている」(注3)と捉えるなど、政治分野の観点からまとめられた研究が見られている。こうした動向の背景には、2004年6月のシーアイランド・サミットを前後して今日まで、中東地域(拡大中東・北アフリカ地域)の民主化が国際社会の注目を集め(注4)、議論の対象となることが増えてきたことがある。さらに、米国がブッシュ政権下で、「対テロ戦争」の一環として「自由の拡大」「民主主義」を基本に「レジューム・チェンジ」を根底においた中東政策に力点を置いていると見られているからでもあろう(注5)。本稿でもまず、中東地域の選挙や国民投票について触れるが、政治参加という観点からみていく。
 表1から表3は、2005年に実施された中東地域の主な投票行動をまとめたものである。

表1:2005年の中東地域での国政選挙
国 選挙内容 投票日 選出人数 登録者数 投票者数
(投票率) 当選者(または第1党)の得票
パレスチナ 自治政府長官 1月9日 1 1,092,407 802,077
(73.42%) 501,448
(67.38%)
イラク 制憲議会 1月30日 275 14,662,639 8,550,571
(53.31%) 4,075,295
(48.19%)
イラン 大統領(第1回) 6月17日 1(2) 46,786,418 29,317,039
(62.66%)  --

レバノン 国民議会 5月29日・6月5・12・19日(4分割) 128 約280万 約120万
(42.9%) 128議席中72議席
(約90議席をコントロール)
イラン 大統領 (決戦投票) 6月24日 1 46,786,418 27,959,253
(59.76%) 17,248,782
(63.19%)
エジプト 大統領 9月7日 1 31,826,284 7,305,036
(22.95%) 6,316,784
(88.57%)
エジプト 人民議会 11月9日・20日・12月1日 454 不明 不明 不明

表2:2005年の中東地域での国民投票
国 内容 実施日 登録者数 投票者数 Yes No
エジプト 憲法修正 5月25日 32,036,353 17,184,302
(53.64%) 13,593,552
(82.86%) 2,811,894
(17.14%)
アルジェリア 国民和解憲章への賛否 9月29日 18,313,594 14,606,798
(79.76%) 14,054,164
(97.36%) 381,127
(2.64%)
イラク 憲法草案 10月15日 1,568,712 10,053,380
(64.57%) 774,279
(78.59%) 2,109,495
(21.41%)

表3:2005年の中東地域での地方議会選挙
国 段階 実施日 地域 結果
パレスチナ※ 1 (2004年)
12月23日 25村およびジェリコ(360以上) ファタハ17地域(135議席)、ハマス9地域(75議席)、第3はPFLP
1月27日 ガザ地区(118議席) ハマス78議席、ファタハ30議席、独立系9議席
2 5月5日 84町村(西岸76、ガザ8、906議席以上) ファタハ50地域(得票率59.5%)、ハマス28地域(得票率33.3%)、PFLP1地域、民主戦線1地域、バルグーティー支持者2地域
3 9月29日 104村(西岸)、比例代表制、1018議席に対し297リストが提出された。22選挙地域が無投票選挙となったため814議席をめぐり2274候補者の選挙となった。132選挙地域が想定されていたが、ガザ、ジェニンとナブルスの2地域は延期。 投票率81%。ファタハ51地域(547議席、得票率53.73%)、ハマス13地域(265議席、得票率26.3%)、その他40地域。PFLP得票率5.40%
サウジアラビア 1 2月10日 244議席に対し立候補者4600人 イスラムのサークルに近い、または関係者が議席の多数を占めた。ジェッダ:全7議席、メッカ:全7議席、メディナ:7議席中6、タイフ6議席中5、タバック:6議席中3(部族擁立者2・不動産業者1)、ブライダ:6議席中2、アナイザ5議席中2.イスラム関連の立候補者のほとんどは高位のテクノクラートで穏健派。
2 3月3日
3 4月21日
※パレスチナの地方選挙は、第4ラウンドが12月8日に予定されている。
表1~3の出典:Election Guide(http://www.electionguide.org/elecguide.htm)およびUNDPのPOGARサイト(http://www.pogar.org/)などを基に作成

ここでの注目点は、第1に、国民投票が実施され、国家の大枠である憲法が議論された国が3カ国に及んだことである。特にエジプトでは政治参加に関する憲法規定76条の修正がなされ、複数の大統領候補者に対して国民が直接選挙で行えるようになり、実際10人の立候補者で選挙が戦われた(ムバーラク大統領が当選)。第2に、市民のデモという政治参加の方法が効力を発揮し、レバノンでは「レバノン杉革命」と形容される政治運動となり、その後のシリア軍のレバノン撤退(4月26日に完全撤退)に結びついた。またエジプトでは2004年末からの「キファーヤ(もう十分)運動」が政治変化のうねりを生んだ。第3に、イスラム復興主義グループの政治参加が見られたことである。まず、レバノンではヒズボラが初入閣を果たし、パレスチナではハマスが武装解除をしないままではあるが、地方選挙に参加した。そして、エジプトではムスリム同胞団が大きく議会内の勢力を伸ばした。同組織は、1929年に結成されて以来、スンニー派イスラムの復興運動として中東地域にネットワークを広げている。ここでは、同組織の政治参加に注目してみる。
 ムスリム同砲団は、推定75万人の関係者がいるとも言われているが(注6)、54年にナセル政権から解散命令が出され、以後も非合法化されている政治組織である。同組織は、これまで他の政党のリストに立候補者名を記載してもらうことで議会内の勢力を保持してきた。そして、2005年11月から3回に分けて実施されたエジプト人民議会選挙(定数454人)では、改選前の15議席から5倍以上(2回目で76)の議席を獲得するにいたった。これにより同胞団は、与党の国民民主党(NDP)に次いで事実上、第2勢力となった。同胞団は、「ムスリム国家建設」という構想を掲げながらも、自由民主主義の原則に傾くイスラム主義者「アルギール・アル・カティード」に同調する姿勢も見られる。それは、国家の統治機構を徐々に掌握し、平和的に政権奪取を目指す「タムキン」(エンパワーメントと訳される)という計画にも現れている(注7)。近年、エジプトでは、インフィタール(門戸開放)による経済自由化と発展が世俗的な教育の普及とマスメディアの発達を推し進め、イスラム法学者のイスラムとも政治的イスラムとも一線を画し、イスラムの価値を認識しながらも様々な異文化との統合をはかろうとする人々の存在が社会で大きくなっている。この現実が、同胞団にイスラム主義イデオロギーだけでは活動を展開できなくさせており、同組織には世俗的な大衆政治運動家からジハード主義者まで広範囲な志向性を含有している。
しかし、同胞団は今回の選挙ではイスラム的な富の格差解消や福祉重視の政策を訴えて支持を集めた。そこには、ブティックでパリのブランド名が入ったスカーフを購入する女性や、イスラム的解釈を加えた米国マーケティング論やマネージメント方法等の書籍を熱心に読みふける知識層も共有しているエジプトの人々の不安感・不平等感が現れていると考えられるだろう。それは、2005年6月のイラン大統領選挙で、社会改革を争点にしたアフマディネジャド氏を選んだイランの人々と共通する感覚であり、グローバル化の中で生きる「個」だけでは対応しきれない速度で進む社会的格差に起因するものといえるかもしれない。さらにいえば、こうした市民の中にある不安感・不平等感は、伝統的イスラムの価値観の焼き直しでは対応できない問題であることは、保守派のアフマディネジャド氏が同じ保守派の腐敗を批判して当選したことにも現れている。ムスリム同胞団は、こうした市民の感覚に敏感に対応するためにも、政党としての復権を当面の目標とすることにためらいを見せているのかもしれない。それは、同胞団の主要メンバーの一人であるIssam al Aryan氏の、次なる行動は「無条件ですべての人々が政党を創設できる自由の原則」を基礎とするだろうとしながらも、同胞団は今後も「市民プログラムを保持した一般的なイスラムの団体であり続けるだろう」との発言に見て取れる(注8)。
 では、このような社会の改善への働きとして、「個」は先に挙げたような政治参加という方法のみで対応しているのだろうか。また改善に向けての新しい社会認識をどのように取り入れているのだろうか。次に、マスメディアと社会組織活動を通し、考察してみたい。

Ⅱ.社会改革から政治変化へ

 近年の国際社会の民主化の流れを見たとき、2000年のセルビア、2003年のグルジア(「バラ革命」)、2004年のウクライナ(「オレンジ革命」)、2005年のキルギス(「チューリップ革命」)と続く政権交替が、中東地域とは対照的に注目されている。これらの変化の共通点として、各国での政権が、腐敗に関する市民の疑惑の高まりから支持を失ったことが挙げられる。つまり政権の透明性や説明責任が果たせないと、体制内の改革派や世論が動き、市民団体が反体制動員をかけ、政権を追い詰めるという大きな流れが共通しているといえる。この旧ソ連圏の政治変化は、一部には政治体制の再調整(揺り戻し)との評価もあるが、むしろ、この変化の原動力となった市民の認識に作用する「メディア」と、参加の動機をつくる「市民団体」の役割を評価したい。また、トランスナショナルな市民団体活動としてのオープン・ソサエティー研究所や民主党国際問題研究所等の、国外ネットワークを強化し、各国の市民団体への資金援助を行っている組織の存在も見落としてはならない。そして、そこでの「集団」と「集団」、その中の「個」の結びつきが冷戦期とは異なる目的で協調していることにも注目したい。
1.メディアの役割
 コミュニケーション技術の飛躍的進歩は、メディア市場にも大きな変化を生み、巨大な多国籍メディア企業の出現が見られている。そこでの基準となるシステムは、米国を中心に発展したメディア文化であり、市場理論に則って越境するネットワークも数多く誕生している。このグローバル化したメディアが「個」に与える影響として最も大きいものは、日常的時空とは異なる世界の情報を提供することであろう。個はこの情報に触れることで、自らが経験してきたものとは異なる社会があることを強く認識させられ、帰属する国民国家の正当性や社会のあり方を批判的に見る視点と材料を手にすることになる。その反面、文化的「近さ」「同一性」に対しても人々の認識が深まるという現象や、見失った自文化への哀愁や自省という現象も見られている(注9)。
表4、表5はイラクのローカル・メディアの状況を示しているが、2003年の3月の開戦以降、イラクにおいてグローバル・メディアであるCNNやBBC等の情報競争の中で、ローカル・メディアによっても地域独特の情報が提供され、個人の現状認識に影響を与えてきたかがわかる。このことも大きな要因となって、イラク復興の政治プロセスにおいて、2005年1月の暫定国民議会選挙、10月の憲法草案の国民投票と政治参加が推進されてきたといえるのではないだろうか。また、その反面、ローカル・メディアが占領に対する反発や反米感情を高めさせたことも事実であろう。

表4:イラクの民間メディア数
  民間テレビ 民間ラジオ 独立系の新聞と雑誌
開戦前 0 0 0
2003年3月 0 0 8
2004年4月 13 74 150
2005年1月 10 51 100
3月 NA NA 200
4月 24 80 170
5月 23 80 170
7月 29 NA 170
10月 44 72 100以上
出典:Iraq Index, the Brookings Institution, 26 November 2005, http://www.brookings.edu/fp/saban/iraq/index.pdf, accessed 29 November 2005

表5:イラク人が頻繁に見ているテレビ局
(2005年11月の世論調査、上位3つを回答したものの合計)
Iraqia 54% イラク・メディア・ネットワークが運営。CPAによって設立。
Sharqia 53% イラクの民放、地上波および衛星放送
Arabia 21% ドバイを拠点とする汎アラブ放送MBCのニュース・チャンネル
Furat 20% シーア派寄りの放送(SCIRIがスポンサーといわれている)
Al-Jazeera 18% 汎アラブのカタルの衛星放送。カタル政府の資本が入っている
Anwar 11%  
Kurdsat 9% PUKが運営
Sumaria 9%  
Kurdistan 8% KDPが運営
出典:Survey fo Iraqi Public Opinion: November1-11, 2005, International Republican Institute (http://www.iri.org/), November 2005,などより作成

前記の旧ソ連圏の政治変化の例でもそうだが、政府のコントロールの及ばないメディアがどのような情報を市民に流すのか、また市民のアクセス状況は、世論形成の上で重要である。表6は、中東諸国の携帯電話とインターネットの利用状況、報道の自由度をまとめたものである。1000人当りのインターネット利用者率については、世界全体と比して、サウジアラビアを除くGCC諸国とレバノンは高いが、その他の国はまだ低いといえる。中東諸国の情報媒体は、テレビと活字および「口コミ」が中心といえるだろう。Freedom Houseの報道の自由度から見てもわかるように、同地域では報道内容への(公の場での口コミ情報についてのチェックも)政府の統制が厳しい。しかし、衛星放送を伝ってのグローバル・メディアからの情報受信は政府の統制にもかかわらず急速に広がっており、これが、イラク同様ローカル・メディアの論調にも影響を及ぼしている。中東諸国でも個人は、グローバルとローカルの両方のメディアから、新しい社会認識を受け取るようになっているのである。
 メディアを通し国際社会とつながる個人は、正の面での選択の自由の拡大を得るとともに、支配、排除、否認等の不の面の影響を受けるとの指摘がある。これが、中東諸国の人々の文化的価値体系にどのように作用するのか、今後の研究課題であろう。

表6:中東各国の情報関連状況
携帯電話使用者(1000人当り、2003年) インターネット使用者(1000人当り、2003年、*は2002年) インターネット・ホスト数 Freedom Houseによる報道の自由度※
イラク .. .. .. 70(不自由)
クウェイト 572 228 3,437(2001) 58(幾分自由)
バハレーン 638 216 1,334(2003) 71(不自由)
サウジアラビア 321 67 15,931(2004) 80(不自由)
カタル 533 199 221(2004) 62(不自由)
UAE 736 275 56,283(2004) 72(不自由)
オマーン 228 71* 726(2003) 72(不自由)
イエメン 35 5* 138(2004) 76(不自由)
ヨルダン 242 81 3,160(2004) 62(不自由)
シリア 68 35 11(2004) 83(不自由)
レバノン 234 143 6,998(2004) 60(幾分自由)
パレスチナ 133 40 .. 84(不自由)
エジプト 84 44 3,401(2004) 68(不自由)
リビア 23 29 67(2003) 95(不自由)
チュニジア 197 64 281(2004) 80(不自由)
アルジェリア 45 16* 897(2004) 64(不自由)
モロッコ 224 26 3,627(2004) 63(不自由)
スーダン 20 9 .. 86(不自由)
イスラエル 961 301* 437,516(2004) 28(自由)
トルコ 394 85 355,215(2004) 48(幾分自由)
イラン 51 72 5,269(2004) 80(不自由)
アフガニスタン .. 1 .. 68(不自由)
アラブ諸国 118 49 .. ..
世界全体 226 120 .. ..
※:Freedom Houseの指数は0-100、0が最も自由、100は最も不自由。0-30ポイント:自由、31-60ポイント:幾分自由、61―100ポイント、不自由。法的環境(8問、合計0-30ポイント)、政治的環境(7問、合計0-40ポイント)、経済的環境(8問、合計0―30ポイント)の観点から自由度を算出。対象期間は2004年1月~12月31日
出典:Human Development Report 2005, UNDP(http://www.undp.org/) 、The World Fact Book 2005, CIA(http://www.odci.gov/cia/publications/factbook/index.html)、Freedom of the Press 2005, Freedom House,( http://www.freedomhouse.org/)、Iraq Index, the Brookings Institution, Saban Center for Middle East Policy, (http://www.brookings.edu/iraqindex), 26 November 2005を基に作成

2.市民社会団体
 中東諸国でも市民社会団体は近年増加傾向にあり(表7参照)、個人の社会参加の機会も増えていると思われる。その中、「グローバル市民社会」という概念で国際的に活動する組織が徐々にではあるが増加しているが、市民団体への国家の統制が厳しく、従来の国民国家という政治システムの枠組みでの活動が主体である。歴史的に見れば、中東地域ではイスラムによる教育やセーフティーネットの構築がなされ、世俗的な市民活動の育成は滞りがちであった。また、表7に見るように地域差があり、北アフリカのマグレブ3カ国を加えた地中海諸国と湾岸諸国とではかなりの開きがある。興味深いのは、チュニジア、モロッコ、レバノンといった、イスラム法に関して特に言及していない憲法を有する国に多くの市民社会団体が存在している点である。このような市民活動の広がりは、パレスチナ、アルジェリアでも見られる。一方、湾岸諸国やリビア、シリアでは独立した市民組織の設立に対し抑制的で、国家機能が社会をコントロールする構造を一層色濃く持っている。アラブ諸国では市民団体の設立に関し、公的行政許可を必要としないのはレバノンのみで、他の国は行政の許可を取らねばならない。一般には、活動に関係する省庁が市民社会団体を監督するが、ヨルダン、アルジェリア、チュニジアは内務省が主管となっている。また、各団体の活動に対し、団体法で厳しい枠を設けている国として、エジプト、ヨルダン、チュニジアが挙げられ、緩やかな国としてはアルジェリア、モロッコ、イエメンとされている(注10)。行政が有する市民団体への強制力としては、(1)設置の取り消し、(2)団体合併命令、(3)本部、事務所の閉鎖、(4)罰金、(5)収支内容の事前コントロール等がある。
市民社会団体を通しての社会参加に関する障害は、行政側からのものだけではなく、文化・社会的問題が指摘されている。第1は、牧畜社会が有する基層文化に鑑みると、組織の目的を定めて体制をつくり、活動目標に向かって集団で行動することが不得手であると考えられる。そのため、組織の規模、資金の自立性、意志決定の説明性・透明性に欠けるところがあり、社会的に強い影響力を示せる市民団体が育ちにくいとの推測ができる。第2は、植民地支配という歴史体験から、市民が公的活動に距離をおくことが多く、市民参加が文化的に脆弱であるといえる。このため、モスク等を中心とした伝統的な地域の社会福祉活動に資金が流れる傾向にある。第3は、産業構造によるもので、公的部門での雇用比重が高く、また公的資金(援助、奨励)によって経済活動が支えられている民間部門が多いことから、市民社会活動に自己規制がかかると考えられる。
しかし、このような中でも、国際的な市民団体からの支援を受け、社会利益代表、公的権利弁護(人権、女性の権利、労働者の権利、環境保護等)を目的とした団体の活動も生れている。特に、国際的な経済活動の必要性の高まりとも合せ、ビジネス団体(メンバーシップ制)が活性化しつつある。さらに、アラブ市民であるとの意識から国境を超えた世俗的連帯を有する市民団体も見られている。今後、このような個人の活動の場での経験が、より広い範囲の行動への動機付けとなり、中東地域の人々のエンパワーメントを増すことが期待されている。
では、こうして新しい社会認識に覚醒した個は、伝統的価値観を有する社会とどのような関係を持つようになるのだろうか。次章で考察してみたい。

表7:アラブ諸国の市民社会団体
国 団体数
(1991-2年) 団体数
(2001-2年) 10年間の増加率(%) 10万人当りの団体数(2001-2年)
アルジェリア .. 58,000 .. 187
モロッコ .. 30,000 .. 103
エジプト 13,000 16,000 23 24.5
チュニジア 5,200 7,500 44 53.6
レバノン 1,300 3,600 177 100
イエメン 250 2,700 980 14
ヨルダン 587 900 53 15.5
バハレーン 66 321 386 45.8
スーダン 262 246 -6 0.6
サウジアラビア 125 230 84 1.1
UAE 89 113 27 3.4
クウェイト 55 103 87 4.4
出典:Salim Nasr, “Arab Civil Societies and Public Governance Reform: An Analytical Framework and Overview”, January 2005, a report for Conference on Good Governance for Development in the Arab Countries, Dead Sea-Jordan, 6-7 February 2005, (http://www.arabgov-initiative.org/publications/civilsociety/arab-civilsociety.pdf)

Ⅲ.新しい社会認識と伝統的価値との調整

 ここでは、サウジアラビアの女性をめぐる二つの動きを例にとり、新しい社会認識が伝統的環境に変化をもたらす際の調整情況の違いについてみていく。
 2005年11月、サウジのジェッダ商工会議所(JCCI)役員選挙(18席中12席を選出、残り6名は商工業省が指名)で、71人の立候補者(うち女性17人)の中から2人の女性が初当選するという注目を集めた出来事があった。同国の商工会議所役員選挙に女性が立候補したこと自体も初めてである。サウジ商工業省は9月に実施予定であった同選挙を11月に延期してまで女性立候補者の容認許可を出したのだが、ある高官はその理由を、ビジネスウーマンたちが初めて参加の権利を要求してきたからだとしている(注11)。この政治判断はサウジの他地域の商工会議所でも好意的に受け止められ、東部地方商工会議所会頭は「ビジネスウーマンが役員選挙戦で争う権利について学ぶための歴史的機会」と歓迎している(注12)。また4000人近くの投票者のうち女性の投票者が100人程度だったことから、商工会議所の男性会員の多数が、女性の高い地位での会議所運営参加に賛同したことを示している。この背景として、(1)伝統的環境を変えたいとの女性の社会参加意識の高まり、(2)サウジ政府のWTO加盟(2005年11月加盟済)や大アラブ自由貿易圏(a Greater Arab Free Trade Zone)の実施に向けての準備のために、優秀な人材の登用や個人資産の有効な運用(注13)を通し国内経済基盤の強化を図りたいとの意識、(3)経済界の国際競争にさらされる機会の増大に対する危機感などが、新しい価値観と伝統的価値観の調整にプラスに働き(注14)、社会変化がもたらされたと考えられるだろう。
もう一つのサウジにおける女性の運転許可をめぐる問題は、ゆっくりとした速度調整で動いている事例であろう。近年、同国の女性たちが連帯して、女性に関する権利の一つとして女性の運転許可を求める動きを展開している(注15)。一方、同国のイスラム法学者たちは、そのような行為は家族の価値の破壊に繋がるとして許可に反対する旨のファトワ(宗教令)を出しており、男性のみならず女性の中にも反対者は多く、2004年秋時点は内務省も、運転を認める方向はない旨を表明した(注16)。それでも、2003年に「アル・リヤド」紙がインターネットで同問題に関するアンケートを実施するなど(注17)、ローカル紙上での議論は続き、2005年10月、アブドラ国王が米ABCニュースのインタビューで、女性が運転する日がいつか来るだろうと語り、それがサウジ国内に流されるところまできた。しかし、同国王は「国民が受け入れられないことは何であれ実行することは不可能」とも述べている。つまり、自分たちの権利について覚醒されていない人々が数多くいる限り、統治者は新たな社会変化を生み出しにくい状況にあるといえる(注18)。
この問題では、新しい社会認識よりも伝統的価値観の比重が社会の中で大きく作用しているといえるだろう。当面、経済界に関わる人々に影響が及ぶ問題と、すぐにサウジ国内全体に影響が及ぶ問題では調整の仕方に違いがあるともいえる。ところで、この問題における伝統的価値観は、イスラムを基とするものだろうか。コーランやスンナ(イスラム法の根源)には女性の運転を否定する箇所はない。イスラム法学者たちは、女性の運転許可は社会的自由の拡大を意味し、連鎖的に現在の社会秩序が大きく変わっていくことを恐れているのである。過去、自由意志で決定する事項は、女性の教育や就労、男女ともにテレビやインターネットなどの利用について徐々に拡大してきたが、これらの禁止理由はいずれもイスラム法そのものというよりは、社会が歴史の中で培ってきた固有の生活習慣や価値観によるところが大きいと考えられる。
 サウジ以外でも、クウェイトにおける2005年5月の女性参政権法案の可決(賛成35、反対23、棄権1)は、伝統的環境から外の「選択の自由の拡大」という価値を認識し、目的を同じくする市民組織などの集団としてまとまった行動の結果、国会という機能を動かすことができ、伝統的価値との調整がスムーズに動いた事例として挙げられる(注19)。

むすびにかえて
 急速な変化を遂げるアフリカ社会の文化変容を研究したLeonard Doodは、より多くの近代化と接触を持った個々人が伝統的権威に対抗的となり、将来の利益を重要だと考えるようになることを指摘している。また、比較文化心理学では、近代化のプロセスにおいて、個人が文化的独自性を越えた共通性を指向して行動した場合、(1)伝統からの独立、(2)科学の効力についての信念、(3)個人の向上心、(4)将来志向等の特性が見られると指摘されている。中東地域でも同様に、外部への関心を持つようになった個人の政治参加、社会参加への要求が表面化し、各国を動かしつつある。その速度は、イスラムと各地域の基層文化の文化変容の状況によって一定ではない。しかし、経済変化が主な要因で生じた職種の多様化、都市化の進行、教育の拡大、留学やビジネスも含めた外国旅行の増加等は、上記の4つの特性の現れであり、それを助長するものでもある。さらに、グローバル化によるマスメディアやインターネットなど情報分野の急激な発展は、社会福祉の充実や女性の地位向上、人権の尊重など国際社会における共通問題への個人の覚醒を促している。そして、この情報の活発な移動に加え、人、物、資金のトランスナショナルな動きの活発化が、国境を越えた同質性の高い価値観で動く人たちを誕生させ、各国内で新しい社会認識の導入の要求をさらに高めていく。
 こうした国家の内部圧力の高まりを受け、中東各国の指導者たちは変化速度の調整を模索している。しかし、これは国家という単位のみではなく、中東地域全体、国家内の各地方、各家庭、そして個人の内部で、各単位が相互に影響しあいながら速度調整に取り組んでいる。それは、新しい社会認識と伝統的価値観が相互の有用性を認め合う形での変化を進めるためである。この調整に失敗した場合の現象はまた、各地域が持つ文化の共通性と特殊性によって一定ではないだろう。調整の失敗により、国際社会との共通性よりも地域や個人の異質性への意識が突出して表面化したものの一つが、イスラム過激派の行動と考えられるだろう。
繰り返しになるが、どのような調整をすればよいのかは場所や単位により一様ではない。しかし、中東地域の変化を見つめることを通し、日本社会の変化と個人の関係について考察する際のヒントが得られるのではないかと考えている。

〔註〕
1. 例えば、松永泰行「第2期ブッシュ政権と中東」『イスラム世界65』社団法人日本イスラム協会、2005年10月、47-56頁
2.  根岸毅「民主化、政治改革と中東諸国の政治的安定性」『平成16年石油製品品質面需給対策調査(中東諸国の民主化とサウジアラビアを中心とする中東主要国の直面する政治経済社会的課題が我が国の石油上瀬に与える影響に関する調査)報告書』財団法人中東経済研究所、2005年3月、9頁
3.  小杉泰「民主化と安定に向けて―イラク戦争後の湾岸―」財団法人国際問題研究所編『湾岸アラブと民主主義―イラク戦争後の展望―』日本評論社、2005年11月、10頁
4. 拙稿「拡大中東・北アフリカ構想と中東社会」『国際情勢 季報』No.75、社団法人国際情勢研究会、205-221頁、2005年2月なども参照。
5. グレゴリー・ゴース「アラブ民主化路線を再考せよ」(抜粋・要約)『論座』朝日新聞社、2005年10月
6. 一般に活動家は10~15万人といわれているが、2005年10月にアハラム紙が本人数を紹介。
7. 1992年に警察によって発見。未公開文書で、その内容は同組織の再編と政権奪取のプロセスをまとめている。
8. 電子版Asharq Al-Awsat English Edition, (http://www.asharqalawsat.com/english/default.asp), 23 November 2005
9. 岩渕功一「トランスナショナル・メディアの可能性」梶田孝道編『新・国際社会学』名古屋大学出版会、2005年9月、153-178頁を参照。
10. Salim Nasrのレポート(表7の出典)などを参照。
11. 電子版Arab News, (http://www.arabnews.com/), 17 September 2005
12. ibid.
13. 9月に新労働法が承認され、女性が就労できる分野の制限が取り払われた(電子版Arab News, 27 September 2005)。
14. JCCI役員選挙では、ビジネスウーマンへの支援とともに、WTO加盟によって外国との狭小を勝ち抜くための重要問題として中小企業への支援が大きな争点となった。また、女性立候補者11人が主催した集会(女性約200人が参加)に、ライス米国務長官に随行しジェッダを訪問していたリズ・チェイニー近東問題担当国務次官補が参加したことも、3つの要素の調整が上手く進められていたことを物語っているといえるかもしれない(電子版Arab News, 19 November 2005)。
15. サウジ国家人権団体(Saudi National Human Rights Association)は、最近120人の女性の嘆願書を受け取っている(電子版Arab News, 15 October 2005)
16. 電子版Arab News, 9 November 2004
17. 電子版Arab News, 2 September 2003
18. しかし、前向きな動きとして、アデラ王女(アブドラ国王の娘)が、シューラ評議会で女性の運転許可についての提案がなされていると述べた(電子版Arab News, 15 October 2005)。
19. クウェイトでは、女性問題委員会(the Women Affaires Committee)をはじめ、多くの女性団体が組織的に女性の政治的排除への抗議活動を行っている。Programme on Governance in the Arab Region, UNDPホームページ(http://www.pogar.org/)参照。

〔主要参考文献〕
・梶田孝道編『新・国際社会学』名古屋大学出版会、2005年
・梶田孝道編『国際社会学のパースペクティブ』東京大学出版会、1996年
・ニール・J・スメルサー『グローバル化時代の社会学』伊藤武夫他監訳、晃洋書房、2002年
・M・H・シーガル他著『比較文化心理学 上巻・下巻』田中國夫他訳、北大路書房、1995年
・マイケル・コール『文化心理学―発達・認知・活動への文化-歴史的アプローチ―』天野清訳、2002年
・P・B・スミス&M・H・ボンド『グローバル化時代の社会心理学』笹尾敏明他訳、北大路書房、2003年
・日本国際問題研究所編『湾岸アラブと民主主義-イラク戦争後の眺望-』日本評論者、2005年

拡大中東・北アフリカ構想と中東社会(『国際情勢 紀要』No.75、2005年2月)

はじめに
 2004年2月、同年6月の先進国首脳会議(シーアイランド・サミット)に提出されようとしていた米国の「大中東圏構想」案が、マスメディアを通し紹介された。これに対する中東地域の反応では、ムーサ・アラブ連盟事務総長による「パレスチナにおけるイスラエルの占領が続く限りアラブ人はこの構想を受け入れないであろう」(注1)との言葉に代表されるような反発が目立った。また、欧州諸国の中からも、改革は各国の文化、伝統、特性に応じたやり方とペースで、内発的に行うべきだといった趣旨の懸念が表明された。こうした中、エジプトの知識人からは、内発的な改革を前提にしながらも「国際環境の変化に応じてアラブ世界も変わらなくてはならない」との意見が出された(注2)。ここでの国際環境の変化とは今日進行しているグローバル化を指しており、中東地域も、経済分野での貿易、投資および金融の自由化、通信・運輸分野での技術革新、冷戦の終結等、経済のみならず技術、文化の分野でも国境を越えた地球規模での活動の影響を免れ得ないという見解を示したものである。
 歴史を振り返ると、15世紀末から16世紀初頭にかけて、大航海時代の幕開けによりインド洋、南シナ海の交易システムが変化、中継貿易地域としての中東地域が地盤沈下していったという大きな転換の時代がある。今日の国際社会化は、その時代に匹敵する転換期に差しかかっていると言ってよいだろう。しかし、このような歴史的、世界的変化の全体像を捉え、それに対応していくことは、多様なニュース・ソースからの情報入手が可能となった現代の日本人にとっても容易ではない。さまざまな要因から情報源が限られた状況にある人々ではなおさらであろう。また、中東地域に限って言えば、「ヨーロッパの植民地主義」「米国の親イスラエル政策」「パレスチナ問題」等、自らの変革努力はさておき、対応の遅れを責任転嫁する材料を持ち合わせている(注3)。さらに時として、広く行き渡っている欧米不信の歴史認識によって、事実を歪めた陰謀説が噂として流されることもある。大衆迎合的な政治家やマスメディアが表層的現象のみを捉えて対応し、本質を見極めようとする努力を怠りやすいものであるが、中東地域の指導者には、他地域以上に積極的にこれを利用する場合も見受けられるように思う。
 しかし一方、中東地域の中からも現実的な変化への対応に向け、次のような現状認識と改革すべき点が指摘されはじめている(注4)。
(1)政治:①限られたエリートによって政策決定プロセスが支配されることがある(→透明性の確保、説明責任)、②ガバナンスが悪く、政治的疎外感から政治への無関心が生まれている(→民主主義、法の支配、政府の効率性が)
(2)経済:①国民経済レベルでは、雇用対策、民営化の推進、②共通市場の実現
(3)社会:①人口増加への対応、②女性の社会進出、③自文化、アイデンティティの維持、④自然科学の発展への対応
そして、これらに「発展」「近代化」「グローバル化」の評価を加えた上で、包括的な改革が必要であるとの意見が聞かれるようになった。
 本稿では、このような改革認識を持つ中東地域が、「大中東圏構想」を修正しシーアイランド・サミットでまとめられた「拡大中東・北アフリカとの前進と共通の未来に向けたパートナーシップ」(以下、「拡大中東・北アフリカ構想」)とどのように向き合っていくのか、米欧の政策と中東地域の現状の問題点を具体的に探りつつ考えてみたい。そのことで、国際協力における歴史や社会、文化等の相違を踏まえた相互認識と尊重の重要性と、その相違を越えた共通認識として「人間の尊厳」を守ることの必要性について確認し、日本の対中東政策の一助となれば幸いである。

Ⅰ.米国の中東地域の民主化構想

1.中東パートナーシップ・イニシアチブから大中東構想へ
 冷戦下における米国の中東政策の基本目標は、(1)国際経済への石油の安定供給の確保、(2)イスラエルの安全保障であった。しかし、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件以降、対テロ戦争を宣言して以来、その目標は変化した。具体的には、アフガニスタン戦争後の2002年12月、パウエル米国務長官により中東諸国とのパートナーシップによる社会開発が提唱され、さらに、その後のイラクへの武力行使を展開する中で、中東地域の「自由の欠如(freedom deficit)」や「人間の尊厳の確保」にも目が向けられるようになった。
その施策が、中東パートナーシップ・イニシアチブ(Middle East Partnership Initiative, MEPI)で(表1参照)、この戦略の変化については2003年11月6日のブッシュ大統領の演説で、「中東地域における自由の前進戦略(a forward strategy of freedom in the Middle East)」として象徴的に言及されている(注5)。その基本理念は次のようなものである。自由な国民はテロを支援したり殺人のイデオロギーを生まない。したがって、アフガニスタンとイラクでの自由と民主主義の実現が重要であり、特に中東地域の中心部に位置するイラクでの成功は同地域でのテロを生む根本原因の改善に結びつくというものであった(注6)。そして、その実現への努力は困難なものであり、冷戦同様に何世代もの時間と自由世界のゆるぎない強い結束が必要だとされた。
 しかし、イラクに対する武力行使をめぐって生じた米国とフランス、ドイツ等との「大西洋の溝」は、イラクに関する安保理決議(1483、1500、1511)では全会一致の採択と歩調を合わせたものの、修復されるまでには至っていない。また中東地域においても、(1)米国とのパートナーシップに積極的な国(ヨルダン、モロッコ、チュニジア、カタル、バハレーン)、(2)外部からの改革圧力を強く拒否する国(サウジアラビア、エジプト)、(3)米国と対立している国(シリア、イラン)等、対応への温度差がある。そして同演説の後のイラクでも、治安情勢は好転の糸口をつかめない状況が続いた(注7)。
 その後、この米国のアプローチは2003年11月にブッシュ大統領がロンドンを訪問した際のスピーチや2004年1月の一般教書演説の中で、自由、民主主義的価値の拡大によるテロとの戦いの認識が一層色濃く表明されていく(注8)。米国はこの時期、1975年の人権問題をその中で取り上げたヘルシンキ宣言が東西関係正常化に寄与し、その後の冷戦終結へと道筋をつけた前例を参考に、EUとの戦略的パートナーシップの再構築をはかり、中東諸国の改革を推進する戦略へと動きだそうとしていたが(注9)、その一方でNATOの安全保障面を強く打ち出すことは避けていた。このような米国の動きに対し、ロンドン発行のアラビア語紙『アル・ハヤート』は、2月13日付紙面で大中東圏構想(Great Middle East Initiative, GMEI)について、テキストを入手したとして次のような概略で紹介した。この構想の目的は、(1)米国と同盟国の安全保障上の利益を守ること、(2)中東地域の変革を促進すること、(3)民主主義と良き統治の実現(長期的政治改革)にある。そして、それに対する同紙のコメントは、(1)米国は中東地域の多様性に目を向けていない、(2)米国の価値観の押し付けである、(3)アラブ・イスラエル紛争とイラクの情勢が未解決の中でのパートナーシップは疑問である等というものであった。これと呼応するように、サウド・サウジアラビア外相の「改革は内側から始まらなければならない」(注10)、ムバーラク・エジプト大統領の「われわれはボタンを押せば、自由化が起こるなどと考えてはならない。そうすれば状況は混乱し、人々にとって危険な状況となるだろう」(注11)等との要人による批判的発言が続いた。
 このような中東地域の中心国からの反発の中、米国は2004年6月のシーアイランド・サミットで、拡大中東・北アフリカ構想(Broader Middle East and North Africa Initiative, BMENAI)を取りまとめることに成功した。次にその成立までの経緯をみていくことにする。

2.拡大中東・北アフリカ構想成立までの動向
(1)ヨーロッパ諸国
 米国の大中東圏構想が明らかになる中で、ドイツ、フランス、イギリスは次のような反応を示した。
フィッシャー・ドイツ外相:2月7日、第40回ミュンヘン安全保障会議のスピーチで、中東地域の現代化、安定化のためにNATO・EU共通の対中東戦略が必要であると言及。そして、テロリストが暴力行為に向かう原因には現代化の阻害要因が存在する。そこでは、民主化を進める意味は大きい。つまり、テロとの戦いは軍事的な意味に限定することではなく、経済発展の展望が必要であると述べた。また、民主化は外からの植え付けではできない、内からの長い議論の積み重ねが必要であると指摘した。同外相は、基本的に米国のイニシアチブを歓迎し、EUのとるべき安全保障政策はNATOから離れてはならないとの立場をとり、5月中にEUの立場をまとめた上で、6月の先進国首脳会議に臨む方向を示した(注12)。
ドビルパン・フランス外相:同外相の大中東構想に対する見解については、2月19日付『フィガロ』紙に、次のような概要のインタビューが掲載されている。(1)構想は中東諸国のニーズと期待から出発すべきであり、最初の段階から地域諸国を参加させるべきで、外部から押し付ける戦略には反対(自発的意思)、(2)マグレブ諸国、マシュリク諸国、湾岸諸国を同じように扱うことは不可能である(国別の多様性の尊重)、(3)単一アプローチは避けるべきである、(4)治安に偏らず、政治、経済、社会、文化等の全ての分野の包括的なアプローチが必要(安全保障問題への限定の回避)、(5)イスラエル・パレスチナ紛争の進展のため、平和のイニシアチブが不可欠、(6)米国との相互の補完性を活かすことを希望(既存のEUのプログラムの尊重)、(7)手続きとして、ヨーロッパ内で協議し、次にアラブ連盟とEUの協議を通し地域諸国へと広げ、最後に先進諸国間協議を行う方向をとる。
 こうした観点を踏まえ、フランスとドイツは、米国の構想と対立するものではないとして、「共通の未来に向けた中東とのパートナーシップ」を作成し、中東地域の主要諸国との意見交換を始めた(注13)。
ストロー・イギリス外相:3月1日、フォーリン・ポリシー・センターの会合におけるスピーチで、新中東構想に関連して、ヨーロッパは米国の唱える改革の必要性という意見を共有するとの前提をつけながらも、そのアプローチについて、(1)改革は西側社会の押し付けでなくアラブ地域発のアイデアでなくてはならない、(2)ヨーロッパは米国に対して、ヨーロッパ及びアラブ世界と協調して改革を進める必要があるとの点を明確にすべきであり、またG8諸国や国連の役割も重要である、(3)中東和平プロセスの進展も改革支援と同時に必要であるとの点に言及した。また、中東地域での「変革への抵抗は、イスラム自身の中から出てくるものではなく、時代遅れになった伝統にすがることが宗教的正統性を持つと主張する人たちが生み出しているのだと考える」と述べ、さらに「良いガバナンス、人権、寛容、法の支配といったわれわれの信じる価値を促進することは、アラブ諸国に対して、彼ら自身の伝統的文化をないがしろにして西側あるいはキリスト教の価値を押し付ける試みではない」等の考えを表明した(注14)。
 こうしたヨーロッパ諸国に対し、米国は2月末から、グロスマン国務次官を中東地域(エジプト、モロッコ、ヨルダン、バハレーン)と並んでEU本部へも訪問させるなど、大中東構想についての意見交換を多角的に行い、政策協調に向けての努力を行っている。
(2)中東諸国
一方、アラブ側では、2004年3月に予定されていたチュニスでのアラブ首脳会議の開催が、大中東構想への対応をまとめきれずに延期されたが、同月、アレキサンドリア図書館主催の非政府会議に参加したアラブの有識者(市民社会代表、知識人、ビジネスマン、女性団体代表等)によってアレキサンドリア宣言がまとめられ、市民社会の構築のための改革措置や真の民主主義を求める方向が示される動きがあった(注15)。その後、5月に延期されたアラブ首脳会議でも、(1)人権尊重、言論、思想、信仰の自由の推進、司法の独立、(2)市民社会の役割拡大を目指す改革の実施、(3)女性の権利拡大等が表明され、内側からの改革の気運が高まった。
 その結果、拡大中東・北アフリカ構想は既存の欧州・地中海パートナーシップ(バルセロナ・プロセス)、MEPI、日本・アラブ対話構想を、新設の「未来のためのフォーラム」を中心にアンブレラ的に纏め上げるものとなった(表2参照)。その上で、中東諸国の内発的で各国の事情に合わせた速度や範囲による変革を推進することをうたっている。さらに、中東和平やイラク紛争解決への努力の必要性にも言及されることとなった。
 この拡大中東・北アフリカ構想が今後の中東諸国にどのような影響を与えていくかを考えるに際しては、同構想の趣旨に沿って中東諸国の状況を把握しておく必要があるだろう。よって、以下ではその現状と問題点について具体的に見ていく。

Ⅱ.「人間の尊厳」の観点から見た中東諸国の現状と問題点

1.現状と問題点
 まず、中東地域の国家機能の現況について見ておく。冷戦の終焉後の国際社会が、先進諸国や途上国の民主化、市場経済化の進展とあわせて注目したものはガバナンスのあり方である(注16)。この観点から中東諸国を見ると、大部分の国ではマクロ経済管理、財産保護、法と秩序の維持、公衆衛生、防衛などの公共財の提供については効果が挙がっていると言える。しかし一方、人権、政治的民主化、制度構築、公共部門の効率化等の点では必ずしも十分とは言えない(表3、4参照)。つまり、効率性、説明責任、透明性、情報公開のもとでの国民主体のガバナンスが行われていない国が多いことがわかる。
 また、社会開発においても、1970年代後半から国連主導で推進されている人権擁護や、1985年のナイロビ世界女性会議を契機として広まった「開発と女性」(Women in Development; WIN)や「女性の政治政策決定への参加」等については、大きく遅れをとっている(表4、5参照)。国際社会が、95年のコペンハーゲン宣言で表明した合意(注17)の実現に向け、人間一人一人が政治的権利、そして安全、健康、適切な教育を享受する権利を持つとの認識を深め改革を推進している状況との乖離を埋めるには思い切った改革が必要であろう。
 もちろん、国家機能や社会開発の問題点に関し、中東各国においても改善の努力は進められている(注18)。また、各国内の歴史、社会的状況から改革の優先順位や速度にさまざまな制約があることは無視できない事実である。しかし、「人間の尊重」という観点から見れば、各分野での速やかな改革の努力が求められることも、また自明なことであろう。
中東地域の現状を把握する上で特に注目されることは、(1)東アジア地域のイスラム諸国との差、(2)都市人口の増加と人口構造における若年層比率の高さ(表6参照)、(3)情報通信や書籍出版等の情報分野の遅れ(表7参照)である。中でも都市人口の割合の高さは、改革の大きな障害要素となる可能性がある。例えばサウジアラビアの都市人口の割合は、1950年では16%であったが、1990年には80%に達し(注19)、2015年には91%に上ると予測されている。また、この都市の人々は拡大家族から核家族へと家族のあり方も変化している。こうした変化にともない、サウジ社会を支えてきたイスラムと部族制の二つの柱のうち、部族意識が薄れはじめていると考えられる(注20)。このような都市化による社会の変質と若年層の成長によって生じる雇用問題は、石油産業部門以外の産業開発に遅れが見られる状況下では、社会の大きな不安定要素であろう。これは他の湾岸諸国でも同様であるが、特に若年層の割合が他国に比して高いサウジアラビアでは深刻である。また、2004年11月11日のアラファト議長の死去により和平交渉の行方が注目されるパレスチナでは、貧困状態が未だに深刻であり、一人当たりのGDPは、ガザで600ドル、西岸で800ドルと言われており、ガザの男性の41%、西岸の男性の25%が失業状態である(注21)。さらに、若年層比率の高さはサウジアラビア以上である。こうした状況下では、たとえパレスチナの自治政府選挙が実施され、ロード・マップが進展し、ミニ・パレスチナ国家が建設されたとしても、生活環境の急速な改善は望めないだろう。そこでは、「人間の尊厳」を守るための民主主義や自由を定着させ深化させるためにも、より安定した生計機会の提供が課題となる。
 欧米社会を中心に、社会的権利および市民の責務としての「社会参加」という概念が定着しつつあり、また、人間の社会的能力向上(エンパワメント)の過程としても「参加」は提唱されている。これは欧米社会の歴史と文化の中で培われた自由や民主主義への係わり方であるだろう。しかし、都市化や家族構成の変化による部族意識の低下や長引く生活環境の悪状況の中で、社会をまとめてきた大きな権威の柱の一つが喪失しつつあるとすれば、それに替わる“権威の構築もしくは再生”を穏やかに進めるためにも「参加」の概念は必要条件ではないだろうか。
2.問題点の背景
 では、なぜ中東地域が社会開発のいくつかの点において、東アジア諸国と比して発展が遅れたのだろうか。ここでは、その理由について簡単に触れておく。一般に中東地域は産業を発展させる4条件(資本、技術、労働力、市場)が不足しており、また、国家はそれを補う役割を果たしていないと考えられている。確かに、東アジアと比較して4条件にあまり大きな差がない国もあるが、国家の役割には差が生じている。
その原因は、国際要因で見ると、東アジアでは民族主義の指導者が反共主義者で、親資本主義的傾向を取る国が多かったことにある。このことで、西側諸国からの貿易・投資が促進された。一方、中東諸国では、「イスラエル寄りの米国」「反植民地主義」からの反発や民族主義からアラブ社会主義へと左傾化する政権も誕生することで、西側からの資本投資が期待できなくなった。それにより、経済発展は停滞し、政治不安が高まったのだが、これに対し統治者は軍と治安組織で対処しようとし、さらなる政治不安、経済低迷につながるという悪循環に陥った。例としてはシリアやイラク等が上げられるだろう。
次に国内要因で見ると、国民意識の確立が遅れたために国民経済の発展が遅れたことが挙げられる。また、地域の宗教・民族対立などが各国国内に影響し、不安定化を増して再び経済発展が妨げられるという悪循環がこの面からも起こった。さらに、中東地域は1948年の第1次中東戦争以来、戦争、クーデタ、内戦が多発してきた。このことで中東各国は軍事費や治安関係費を拡大させてきた。これは市民に平和の恩恵をもたらさないだけでなく市民から政治参加への意識を遠ざけ、自国の政治、経済や社会問題に関する当事者意識を薄れさせる状況を産むこととなった。その結果、共和政下にありながら国家元首を世襲させている国や長期独裁制をしく国も現れた。そして現在、中央政府と地方や市民社会に格差が生じている中東社会の内外から、ガバナンスのあり方の見直しが迫られるようになっている。
 こうした歴史から確認できることは、中東地域では外交問題や政権の不安定性で外国からの投資や交易が円滑に進まなかったということである。今日、グローバル化が進み対テロ戦争が実施されている現状において、国際経済構造との有機的結びつきはますます重要になっている。そのためにも、中東各国では内発的な変革が求められているのである。

まとめ
 大中東・北アフリカ構想が動き出した現在、中東地域の人々は自由や公平、公正といった規範的問題や国境を越える民主主義の問題等について自問を始めている。この機を捉え、国際社会としても再度、73年の石油危機以降の中東地域における変化について政治、経済、社会、文化のさまざまな側面から確認すべきである。
例えば、中東地域で経済格差が拡大したこの時期、貧困層に対してはイスラム運動の支援が広がる一方、国家機能としての社会的保護システムが働かない国が多く見られた。それは、(1)一定基準の対象者に公的資金を開いて直接的に支援する社会的支援、(2)年金・健康保険等の社会保障、(3)労働市場や食物価格などへの政策介入システムが未整備であったためである。しかし、現在でも公的支出の優先分野の対GDP比を見ると、中東地域では、改善が見られるものの軍事支出が保健医療の支出を大きく上回っている国が多く見られる。その中には、貧困ライン未満人口を多く抱えるエジプトやイエメンも含まれている(注22)。そして、さらなる問題点は、グローバル化による市場経済の浸透や多様な価値観の流入、また都市化等によって、国家に変わって貧困層を支えてきた社会保護システムであるイスラム運動が弱体化もしくは、過激的な政治運動へと変質しつつあることである。こうした状況への対応として、国際社会がすでに行っている地域社会主導の開発援助が、悪影響を最小限に抑えるために有効だと思われるが、まだ十分とは言えない。
 このような社会に対して、外部から強い民主化圧力をかけることは時として過激的な政治運動としてのイスラム運動への求心力を高めたり、さらにはイスラムを標榜するテロ組織との結びつきを求める行動を生む結果にもなりかねない。中東地域の多くの国で社会をまとめてきた柱の一つであるイスラム運動を、「人間の尊重」の拡大に向けての改革の抵抗勢力にしないためには、現在、中東諸国においても高まりつつある内部からの改革の気運を一層促すような、ガバナンス、人権、法の支配、寛容の価値等についての先進国の経験を生かした支援が必要となる。そして、この改革への支援は、国家などの公的レベルだけでなく、市民社会レベルのさまざまな組織や個人を巻き込むものでなければならない。たとえ一部の市民グループであっても、改革の果実を実感できず、単なる価値の押し付けであるとの不満や不安が市民社会内に膨らんでいった結果は、この地域の歴史から予測できるだろう。
 対テロ戦争としてアフガニスタンとイラクへの武力行使がなされた現在、国際社会が中東地域に係わっていくに当たっては、「人間の尊厳」の観点を中心に据えるべきである。この二つの武力行使で、テロ関係組織の主要基地の破壊や武器の押収、幹部の拘束等の面で成果を挙げてきたが、依然としてテロの脅威は続いている。その意味でも、アフガニスタンとイラクの再建を成功させることは重要である。また、アラブ諸国の国家レベル、市民レベルに、パレスチナ・イスラエル紛争解決への国際的支援を望む強い意識が広まっている現在、この問題への強力な関与も必要である。さらに言えば、支援国側の視点からも、国際社会の亀裂という認識が世界的に持たれている状況下、共通の高い理想のもとでの共同作業は重要な意味を持つだろう。これらを含め、紆余曲折を経つつも、「発展と共通の未来に向けたパートナーシップ」の構築を目指してまとめられた大中東・北アフリカ構想の推進は、中東諸国にとっても国際社会にとっても、歴史的転換期に対応していくための一つの大きな試みとなる可能性があると言えるのではないだろうか。
同構想は、これまで外観してきたように微妙に手法を異にする国や地域の既存の政策をとりまとめたアンブレラ的な性質を持つだけに、参加国や組織のそれぞれの思惑で動かされる恐れもある。その中で、日本がエネルギー安全保障や日米関係などの国益論で行動することは否めない。しかし、日本が国際社会で尊敬される国家を目的としているならば、「人間の尊厳」を守る立場からの自主的な施策と国際社会の結束を高める役割を担うべきであろう。その意味で新たな対中東政策の立案が急務といえる。

〔注〕
1. 2004年2月18日付『アル・アフバール』紙。
2. アレキサンドリア図書館のイスマイール・セラゲッディーン館長の発言。同氏は3月12~14日にアレキサンドリア図書館で開催されたアラブ改革促進会議(同会議でアレキサンドリア宣言を採択)の主催者でもあった。Ismail Serageldin, “Reform:from rhetoric to reality”, Al-Ahram Weekly Online, February 19-24,2004 (http://weekly.ahram.org.eg/)他を参照。
3. 例えば、バーナード・ルイスによる批判など。
4. 前出のセラゲッディーン氏による指摘。
5. 米国商工会議所における米国民主主義基金創設20周年記念式典での演説。イラクと中東の自由に焦点を当てた演説。米国ホワイトハウスのホームページhttp://www.whitehouse.gov/および東京アメリカンセンターのホームページhttp://tokyo.usembassy.gov/tj-main.htmlを参照。
6. ブッシュ大統領は同演説の中で、「過去60年にわたり西側諸国が中東地域での自由の欠如に対して許容し順応してきたことは、われわれの安全にとって何もなしえなかった」と述べている。
7. 2003年11月のイラクでの米兵死者数は82名で2003年中最多の数。翌12月にはサッダーム元大統領が逮捕されたが、同月の米兵死者数は40名と減少したものの、2名以上の死者を出した車爆弾および自爆テロ事件は11月の4件から12月には12件へと増加している。ブルッキングス研究所のホームページhttp://www.brookings.edu/default.htmを参照。
8. 11月20日のブレア首相との共同記者会見の中で、ブッシュ大統領は「アフガニスタンとイラクでの民主主義に関する共同行動は、グローバル・テロリズムを打ち負かすために不可欠のものである。」「大中東圏における自由と希望の前進は、同地域の何百万もの人々の生活を改善するとともに、われわれ自身の国民の安全を増進するものである」と述べている。また、1月20日の一般教書演説の中で、「中東地域が専制政治と絶望と怒りの場所であり続ける限り、米国と同盟国の安全を脅かす人々や動きを排出し続けるだろう。したがって、米国は大中東圏における自由の前進戦略を遂行してくのだ」と述べている。いずれも、米国ホワイトハウスのホームペーを参照。
9. 2004年2月9日付『ワシントン・ポスト』紙参照。カーネギー財団のMarina Ottaway and Thomas Carothers, The Greater Middle East Initiative: Off to a False Start, Policy Brief No.29, March, 2004によれば、米国政府はヘルシンキ・モデルを中東地域に適用しようとの試みを、安全保障の問題よりも政治・経済的改革を重視したため、早期に除外したとしている。
10. 2004年2月19日に行われたブリュッセルの欧州政策センターでの演説。同外相の発言についてはArab News, February 20,2004電子版も参照。
11. 2004年3月1日のカイロ国際空港での記者団に対する発言。
12. Munich Conference on Security Policyのホームページ(http://www.securityconference.de/)他を参照。
13. 2004年3月9日、駐レバノン・フランス大使はハリーリ・レバノン首相とオベイド外相に同構想のテキストを手渡した。The Daily Star, March 10,2004電子版(http://www.dailystar.com.lb/)他を参照。
14. The Foreign Policy Centreのホームページ(http://fpc.org.uk/)他を参照。
15. この他にも、サナア会議(2004年1月)をはじめ、女性のエンパワメントや民主主義、法の支配などについてのいくつかの会議が開催されている。
16. UNDP, Human Development Report 2002を参照。
17. 1995年に開催された社会開発サミットにおける宣言。社会開発と社会正義、平和と安全保障、全ての人権と基本的自由が相互に関連するものであると捉え、経済、社会開発、環境保全は相互に依存しており、相互に強化する関係であるとした上で、社会開発を一層推進していくことをうたっている。
18. 例えば、オマーンでは2003年の第5期諮問会議選挙で初めて21歳以上のオマーン人全員に選挙権が与えられた。また、サウジアラビアでは建国以来初の選挙となる地方での選挙が2005年の早い時期に実施される予定である(今回は女性への選挙権付与は見送られた)。
19. 中村覚「サウディ・アラビア王国の国民アイデンティティの成立」『サウディ・アラビアの総合的研究』日本国際問題研究所、2001年を参照。
20. 1996年のリヤード開発高等委員会の調査では、75%が核家族。中村、前掲著を参照。また部族長への信頼については、イラクで2004年9月24日~10月4日に米国のInternational Republican Instituteが行った世論調査で、聖職者、部族長、政府、政党のうち次期選挙に際し支持したい人やグループを選択する質問に対し、部族のリーダーを「支持したいは」14.9%で第3位、逆に「支持したくない」は26.5%で最多という結果が出ている(ブルッキングス研究所のホームページを参照)。イラクでは、部族クルドやシーア派地域にスンニー派の人々を強制移住させるなどの政策が採られたり、部族長がサッダーム政権に協力的であったケースもあることから、地域住民の部族長に対する感情は、サウジアラビアとでは大きく違っていると思われる。しかし、イラク社会では部族システムが強く働いてきたと広く認識されてきたことから、人の移動によって、社会構造や意識変化が生じる一例と言えるのではないだろうか。
21. CIAのThe World Fact Bookでは、ガザと西岸の失業率(2002年の見積り)を50%としている。
22. 2001年の公的支出は対GDP比で、エジプトでは保健医療分野1.9%、軍事分野2.7%、イエメンでは保健医療分野1.5%、軍事分野7.1%となっている。UNDP, Human Development Report 2004 を参照。

〔主要参考文献〕
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バーナード・ルイス(臼杵陽訳)『イスラム世界はなぜ没落したか?』日本評論社、2003年
A・マッグルー(松下冽監訳)『変容する民主主義―グローバル化の中で』日本経済評論社、2003年
UNDP, Human Development Report 1998~2004



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