盛本康成の「ライブ・スクラップス」
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グランドファンク特別出演

No.1 グランドファンクと霧の中で二人

 ビートルズが解散した翌年、僕は高校に入学して生まれて初めてのコンサートを経験した。1971年のことである。
 コンサートのひと月ほど前に池袋東口のショッピングパークという地下街の脇にあった赤木屋プレイガイドで切符を買って、2歳年上の姉と後楽園球場へ行った。一回公演だった。
 当日の雲行きは怪しかったがコンサートは決行、故・糸井五郎氏の司会で始まる頃から強風に加えて遠くで雷が鳴っていた。
 アリーナ席はなく、ステージはセカンドベースのやや後方にあったので、出演者はブルペンからグラウンド上に敷かれたビニールシートの上を歩いてステージへ向かった。
 ステージの後方と両脇には噂に違わぬ巨大なスピーカー群が配置され、それだけでライブ初体験の僕を興奮させるには充分だった。
 前座は2バンド、日本代表の麻生レミとカナダのマッシュマッカーン。麻生レミのバックバンドでは解散したばかりの元スパイダースの大野克夫がキーボードを弾いていた。
 結局マッシュマッカーンの出番が終わる頃から雨が降り出し雷雨となってジャンボスタンドの最前通路にも20センチくらいの水がたまってしまうほどになった。
 小一時間ほどの中断の後、少しはましになった雨の中、バックスクリーンの電光掲示板にドン・ブリューワーのDon、マーク・ファーナーのMark、メル・サッチャーのMelという文字と、チケットに描いてある3人の似顔絵が交互に表示されて、3人がグラウンドを走ってステージに向かった。
 演奏は「Are You Ready」で始まり、希望通り「Heartbreaker」、「Inside Looking Out」と演奏されていった。演奏中マーク・ファーナーは何度となくステージ上の濡れたビニールの上で転んだ。一時間前後で「ショー」は終わり、たしかアンコールはなかったと思う。ずぶぬれの人の波が延々と水道橋まで続いた。
 もちろん翌日のクラスではその体験を友人たちに自慢したけれど、後に僕の自慢話を彼らが覚えていないことをひたすら祈ることになる。
 なぜならずいぶん後になってからとはいえ、この「大ロックカーニバル」ではグランドファンクの連中は演奏をせず、レコードに合わせた演技をしていただけだということが判明したからで、今となっては「生のマッシュマッカーンを目撃した」ということを自慢できるのみなのだった。

 

コンサート・プロモーションのためのステッカー

 

盛本康成
東京出身の40代と、ここまでは大江田と同じ。ものすごい数の外タレのコンサートを観てきた音楽ファン、とこれは足元にも及ばない。所有するチケット、コンサート・パンフレット数知れず。久しぶりにご一緒したブライアン・ウィルソンのコンサートの帰り道に、そんなわけで、この企画を思いついたのでした。下町の呉服屋さんの若旦那として生まれたのに、いつのまにかイラストレーターに。数多くの雑誌でイラストを描いている。くすっと笑いながらも、ちょっと苦い思いをにじませる彼のイラストを、お手元の雑誌に見つけて下さい。
(大)

 



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