盛本康成の「ライブ・スクラップス」
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Yasunari Morimotoの'Live Scraps'No.4

 こないだ雑誌を読んでいたら「フィルモア最後のコンサート」の上映会をやる、と書いてあったので思わず高校生時代に行ったフィルム・コンサートというのを思い出した。「へー、珍しいなぁ。よく行ったんだよね、こういうの」。
 これは何かというと早い話が音楽映画の自主上映会、つまりすでに封切り上映が終わってしまい、もう二番館にもかからなくなってしまった音楽映画や公開されなかったフィルムを一日だけ上映するというイベントで、昔はけっこうひんぱんに開かれていたものなんですね。
 というのもこの頃はまだビデオもない上に今のようにレアな映像が早晩テレビに登場することもなかったし、だいいち音楽関係の映像がオンエアされるチャンス自体が圧倒的に少なかった、だからこういうイベントをやるとけっこう人が集まったものなのでした(注)。
 そんなふうに神田の久保講堂で開かれた上映会で72年に見たのが例の69年の「ウッドストック」で、そこに出ていたという理由だけで観に行ったのがこのテン・イヤーズ・アフターとプロコル・ハルムのジョイント・コンサートだったのです。フィルムコンサートね、いやーなつかしい。ふふふ。

 

 ウッドストック フィルモア最後のコンサート

●’ウッドストック’と’フィルモア最後のコンサート’の映画チケット。
値段は見えないかもしれないけれど’ウッドストック’が400円で’フィルモア’が500円!!!ウッドストックのチケット中央上方に例のシールのデザインが見える。


●映画「ウッドストック」のプログラム(表)

●映画「ウッドストック」のプログラム(裏)



 「ウッドストック」という映画自体は70年の公開だったが、その年僕は高校受験で行けなかったというのが真相で(当時すでに高校生だった姉は封切り当日に観に行き、例のギターと鳩のイラストが描かれたシールをもらって帰ってきた)、
つまりは
「成績が悪いために映画にも行けないほどせっぱ詰まった受験勉強を強いられていた」
ということだった。もっともそのまた三年後にはほぼ同じ事態が大学受験の時にも訪れるのだが
「わかっていても何もせずに後悔する」
というのはこの頃からの僕のひとつの芸で、いまだに繰り返していることである。

 さて、通った高校は悪いことに池袋からバスに乗って行く、というところにあり、そしてさらに悪いことに制服がなかった。その結果昼間から池袋の繁華街で遊び回る高校生が誕生し、このコンサートに行った年には酒と煙草も覚えて小遣いのほとんどはレコードと本、それとたまり場でもある喫茶店のコーヒー代と夜の酒代に消えていった。
 中学生になるまでレコードは自宅近くの駒込駅前にあった「杉」という小さなレコード屋でしか買ったことがなかったが、高校生になって電車通学するようになるといろんな所へ出向いて買うようになった。
 当時原宿の竹下通りにメロディーハウスという輸入レコード屋があり、日本で一番早く新譜が入るという評判も手伝ってその店のレコード袋を持つことは僕らにとってのステータスでさえあった。しかしその店は値段の方にもなかなかのステータスを持っていたのでレコード袋も滅多に手にすることができず、たまにバーゲン品を買ったりして手に入れるとボロボロになるまでレコードの貸し借りに使った。今もあるシスコという輸入レコード屋が開店したのもこの頃で、年に2度盛大なバーゲンを新宿で開いた。僕がレコードを買ったのはもっぱらこちらの方だった。
 1年の時に東口のモアという喫茶店で初めて吸った煙草は2年になると授業をさぼって学校のトイレで、また授業を抜け出して行った喫茶店で吸い、夕方になると池袋の西口で酒を飲んだ。
 夏の日が長いときにはまだ明るいうちから飲むことすらあり、酔った同級生の女の子はまだ開いていたデパートの中の噴水のわきにへたりこんだりした。
 彼女がサラリーマンにからむのを僕たち男連中は物陰から見て笑いころげ、そして彼女がその場で眠ってしまうと出ていって家まで送っていった。こうして大学生のような生活をする高校生のただでさえ少ない財布の中身は怠惰な時間と共に確実に消費されていった。

チケット

●チケット
東京では一回きりだったこのジョイント・コンサート、チケット は席で見る限りおそらく前回と同じく池袋の赤木屋プレイガイド で買ったものとだ思う。(姉からの借り物)


 

  

●同コンサートパンフ(テン・イヤーズ・アフター面)
●同コンサートパンフ(プロコルハルム面)
 中身は仲良くまっぷたつ。


 しかしそんな中から残った少ない小遣いを工面してチケットを買ったわりには「映画に出たミュージシャン」という理由だけで行ったコンサートなので、エルトン・ジョンの時ほど思い入れを強くして観たわけではなかった。
 たとえばテン・イヤーズ・アフターの曲で聴いたことがあるのは映画で演奏していた「アイム・ゴーイン・ホーム」と、「予習」と称して(「The Who」の「Who's Next」と一緒に)買った「Ssssh」一枚のみで、あとは雑誌で読んだ「ギターのアルビン・リーの早弾きが有名」ということくらいしか知らなかったし、プロコル・ハルムに至っては(ファンの方には申し訳ないけれど)「青い影」一曲しか知らなかった。
 今になって思えばようするに「単に自由にコンサートに行けるようになった喜びをかみしめるために行った」のだと思う。
 したがって感想と言えば「アルビン・リーのギターがウッドストックの時の赤いSG(このギターの名前はこの時覚えた)じゃない」とか「へぇ、プロコル・ハルムってこういうバンドだったんだ」といったもので、コンサート自体のビジュアルは憶しているのだけれど、音に関してはほとんど記憶がなく(すいません。でもアルビンのギターは確かに早かったです)、武道館でのコンサートという初めての経験にやたら興奮したのみ、という結果に終わった。
 とはいえとにもかくにもこうして脳天気な(ま、ほんとはそうでもないんだけど今から考えれば、ね)高校二年の春に見たことだけは記憶として残っており、やがて来る音楽の大きなうねりをその身に感じることになる、これがその始まりのコンサートだったことだけはたしかだと思う。
 横井さんがグアムで発見され、浅間山荘には警官隊が突入、そして初めてパンダが日本にやってきた年の話である。ほとんどの友達が吉田拓郎と井上陽水のレコードを買い、僕は友人からショーン・フィリップスのレコードを借りてテープに録音し、巨大なラジカセを鞄に入れて歩きながらイヤホンで聴いていた。ウォークマンが発売されるのはこの7年後だ。最初セブンスターで始まった煙草はハイライトになっていた。


(注):小学生時代のテレビでは言わずとしれた「ザ・モンキーズ」と「ヤング720」(以上TBS)、それに「ビートポップス」(フジ)がテレビで海外ミュージシャンの映像を見られる数少ないチャンスで、それらの番組にデイブ・ディー・グループやドノバン、それに珍しいところではディジー・ガレスピーが出演した。また中学時代になると「ナウ・タイム」という今で言うMTVのようにミュージック・クリップを流す番組が始まり、ヴァニラ・ファッジやアイアン・バタフライを見た。ともかく映像(というか「動いているミュージシャン」)が見られるということが少なかったですよ、実際。
 冒頭の「フィルモア〜(原題は'FILMORE AT LAST')」は封切りで見たけれど、こういう風にして上映すると言うことは、ビデオになってないんですね、あれ。それとも大画面といい音響で見たいということなのかな?どっちにしても面白いですよ。シャナナとかホット・ツナ(withパパ・ジョン・クリーチ!)とかまだネクタイをしていないボズ・スキャッグスとかが出るんだよね(笑)。

 

映画「ジギースターダスト」(73年)のチケット

●映画「ジギースターダスト」(73年)のチケット
 後年渋谷公会堂で行われたフィルムコンサートのチケット。入場料は1500円。普通の映画より高い。でも発売された同映画のビデオテープが15000円でしたからね。しかしよくとってあったな、こんなもん。
(フィルムコンサートの話題が出たので参考出品)




盛本康成
東京出身の40代と、ここまでは大江田と同じ。ものすごい数の外タレのコンサートを観てきた音楽ファン、とこれは足元にも及ばない。所有するチケット、コンサート・パンフレット数知れず。久しぶりにご一緒したブライアン・ウィルソンのコンサートの帰り道に、そんなわけで、この企画を思いついたのでした。下町の呉服屋さんの若旦那として生まれたのに、いつのまにかイラストレーターに。数多くの雑誌でイラストを描いている。くすっと笑いながらも、ちょっと苦い思いをにじませる彼のイラストを、お手元の雑誌に見つけて下さい。
(大)


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