盛本康成の「ライブ・スクラップス」
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Yasunari Morimotoの'Live Scraps'No.5

 

 一生懸命高校二年の時のことを思いだそうとしている。
で、いつも不思議に思うんだけれど思い出そうとすると
出てくるのは自分に起こった出来事ではなくてその時観た
映画やコンサートのことなんですね。やっぱりビジュアルの
インパクトというのは強いんだなぁ。
 この年に観た映画と言えば「ゴッド・ファーザー」。
それと「ソルジャー・ブルー」。
特に「ソルジャー・ブルー」は高校の体育祭をさぼって
池袋の日勝地下という映画館で観たことまで覚えている。
あ、それと文芸座で「スローターハウス5」も観たなぁ。
なんでこんなこと覚えてるんだろ。大事なことは何一つ
覚えてないのに。
 校門を入った横にあったラグビー部の部室でいつも
タバコ吸ってたとかねぇ。その匂いや部室の中とか。
 雀百まで踊り忘れず「大事なところは見逃すくせに
くだらないことは覚えている」。今も同じです。はい。

             *

 さて、受験から一年半が過ぎ大学受験もまだ先、
という高校2年の半ばというと、もう脳はとことん弛緩し、
ありあまる時間は様々な消耗に向けられていった。
映画を観て本を読み、音楽を聴いて酒を飲む。
 友人の一人は学校をさぼって旅行へ行き、地酒を買って
部室で飲もうと校門をくぐったところで教師Tに発覚、
地酒はTに没収された。
「あれさぁ、絶対Tが飲んだよな」
いまでもそいつはこう言って残念がる。もういい年なんだから
あれと同じの(ちなみに飛騨高山の地酒「山車」です)を
買ってきて飲みゃぁいいようなもんだが酒飲みは違うのだ。

 もう一人の友人は女子高生であるにもかかわらず池袋の
雀球(パチンコに麻雀のゲーム性を加えたもの)屋で
アルバイト(しかも昼間!)を始め、そのためにその店には
彼女の同級生(僕を含む)が昼間から台に向かい、コインを
ちょっとだけ多くせしめた。
 もう一人の友人は(これも女性)居酒屋でバイト、
ここにも同級生が集まった。こう書くとなんだか特別に
悪い高校に見えるかもしれないけれど、このころの大半の
高校生はこんな風に時間を過ごし、そしてなんとか自分を
見つけようとしていたんじゃないか。そんな気がする。
やってることは今とあんまり変わらないし、みんな今では
立派とはいえないかもしれないけどちゃんと大人になっている。
大丈夫です(なにが?)。
  さて、そんなある日、レッド・ツェッペリンの来日が決定した。
この頃仲間うちで聞いていた音楽といえばディープ・パープル
(中でも「Made In Japan」はそのジャケットの最前列に仲間の
一人、Kが写っているということも手伝って、みんなの
愛聴盤になった)、一連のレッド・ツェッペリン、
キング・クリムゾン、ムーディー・ブルース、ジェスロ・タル…。個人的にはCSN&Y、デイブ・メイソン、ホット・ツナ、
変わったところでマロなんかも聴いていた。
 なかでもこのツェッペリンの4枚目は評価が高かった。
「ジャズだなこれは」
仲間の一人は言った。こいつはジャズを聴いていない。
「ヤードバーズの流れからするとずいぶん違うな」
と言うやつもいた。しかしこいつもヤードバーズは
聴いていない。
「うう…Misty Mountain Hop、メチャメチャかっこいい…」
そう言ったのが僕だった。
要するに流行っていたのだ。まぁそういう流行の影響からか
すでに4枚目を聴いた全員が口をそろえて「これは凄い!」
という評価が出た後だったので来日が決まったときは
一種騒然となった。
 ところで。
 今考えてもそのコンサートのチケットをどうやって
手に入れたのかがちょっと思い出せない。
おそらく短大生になってコンサートに片っ端から行くように
なっていた姉か、もしくは彼女の友人に取ってもらったのだと思う。
というのもそのコンサートに行ったのは友人達の間では
僕を含んだ数名で、後の連中はチケットを手にすることすら
できなかったのだ。プラチナ・チケットになっていたことは
当時の人気からして想像に難くない。
 席は西スタンドの最前列で、ステージを真横から見る格好に
なった。かなりいい席だ。
 で、始まる前から確信していたのだがコンサートは絶対
「Rock'n Roll」が一曲目だと思っていた。今ほど情報が発達して
いなかったから曲順が事前にわかることがあり得るはずもなく、
これはまぁ一種の感のようなものだろう。
その感の通りにコンサートは始まった。

レッド・ツェッペリン コンサートチケット
●コンサートチケット

レッド・ツェッペリン コンサート・パンフレット

●コンサート・パンフレット

 曲は「Black Dog」、「Over The Hills…」と続いていったが、印象的だったのはジョン・ポール・ジョーンズの存在感が
思ったより大きかったことで、ベースを弾いたり
メロトロン(!)に向かったりと案外ベーシックな部分で
このバンドに関わっている(まぁ後から知った「アレンジャー
としての仕事」、つまりR.Stonesの「She's A Rainbow」や
Donovanの「Mellow Yellow」のアレンジをしたとかいうことを
聞くともっともな話なんですが)感じがした。

 それに比べるとジミー・ペイジのヴァイオリン奏法や
あのアンテナを立ててビヨビヨ音を出す「テレミン」とかいう
楽器の操作などはどちらかというと「ケレン」味が強く、
ライブのための演出を重視しているように見えた。
 ともかく「ロバート・プラントはレコードに比べると
高い声が出ない(「移民の唄」のあの声とか)んだなぁ」
というところを除いては全体的には完璧なコンサートで、
レコードを聴いてきた耳とのギャップを感じさせないどころか
それを上回る迫力があり、そのおかげでまた一歩
「コンサート至上主義」への道を確実に踏み出したのだった。

 この年はEL&Pが後楽園球場でコンサートをしたり
(姉が行った)ジェイムス・ギャングが来日したりと
なかなか話題の多い年ではあったけれど僕が行ったのは
このコンサートだけでやはり無駄遣いの結果だろう。

姉が行ったEL&Pのチケット
●姉が行ったEL&Pのチケット

 そんなある日、午前中の授業をさぼって喫茶店で
時間をつぶしている時のことだった。その店で流れていた
NHKFMの音楽に僕は打ちのめされた。
何の曲だかわからない。しかもその番組は前週の再放送
だったために新聞には曲名まで載っておらず、図書館で
前週のFM雑誌を読んでやっと探り当てた。
「Allman Brothers Band」の「Filmore East Live」だった。
おそらくその時聞いたのは「In Memory Of Elizabeth Reed」
だっただろう。それ以来このバンドは永い間(今でも)
僕のFavoriteになった。たぶん今聴いている音楽のルーツに
この年出会った、そういうことだと思う。

 「くだらないことはちゃんと覚えているんだね」
この話をするとそう姉が言った。

 

 後に公開された「永遠の詩」チラシ 後に公開された「永遠の詩」チケット
●後に公開された「永遠の詩」チラシとチケット

 

同時にこういうものも買ったりしてました

●同時にこういうものも買ったりしてました
 新譜ジャーナル別冊「よしだたくろうの世界」
(そんな時代もあったねといつか笑える日が来ました)




盛本康成
 東京出身の40代と、ここまでは大江田と同じ。ものすごい数の外タレのコンサートを観てきた音楽ファン、とこれは足元にも及ばない。忙しい毎日なのに、今もうまく時間を作っては、コンサートに、芝居に、寄席にと出かけている。この原稿の入稿後には、築地の歌舞伎座に出かけたご様子。
 数多くの雑誌でイラストを描いてます。くすっと笑いながらも、ちょっと苦い思いをにじませる彼のイラストを、お手元の雑誌に見つけて下さい。
(大)

 

Please come to ライブラ日記!
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