ロッキン&ロマンス

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 第7回「Listen To What The Woman Said

  先日、初めてハイファイの臨時店員を務めた。約2年振りの店員体験で、かなり緊張した。ましてや、前職がレコード屋であるから、性質(たち)が悪い。自分のレコードに対する勘が、現場ズレしてないか? そんな、不安が渦巻いてしまって。大江田さんが、手ほどきの一枚にジャック・シェルドンという西海岸のジャズ・トランペッターのアルバムをかけてくれて、ようやく少し肩の力が解きほぐされた。しゃがれ声でランディ・ニューマンの曲を歌ったりしているそのアルバムは、僕も好きでよく聴いていたものだった。
 レコード屋さん。
 そういうお店の存在を知ってから随分と時間が経つ。初めて店員さんに声をかけたのはいつだったか。

 Kというデパートの4Fにあったレコード売場は、狭くて、何の変哲もない平凡なお店だった。40歳くらいの太ったおばちゃんがヒマそうにレジ係をしていた。BGMをかけるのはラジカセだ。
 中学生になったばかりの僕は、ミュージック・ライフをようやく読み始めたばかりで、松田聖子の大ファンだった。1980年代アタマ、と言うより、昭和56年頃と書いた方がしっくりする。僕にとっては、そういう時代だ。1960年代のことを「60年代」と呼ぶようになったのは、ロックの味を覚えてからのことで、僕の生まれた昭和43年が「1968年」だなんて夢にも思わなかった!

 当時、鶴光のオールナイト・ニッポンを聴くために土曜の夜の夜更かしを覚え、その前にやっていた洋楽のチャート番組で「ビューティフル・サンデー」以外の、外人が歌う英語の曲というものの存在を知った。実にありきたりではないか!
 聖子ちゃんは当時、財津和夫が書いた「チェリーブロッサム」に続いて、大滝詠一による「風立ちぬ」をヒットさせようとしていた。ひょっとしたら、その間に「夏の扉」が入ったかもしれない。財津和夫がチューリップのメンバーだったということは知っていたが、松本隆と大滝詠一の関係を知るには、もう少し時間がかかったと思う。
 余談で申し訳ないが、僕の通っていた中学の美術の先生が産休に入り、代わりに来た臨時の教師が結構なおじいちゃんで、これが何と財津和夫の叔父に当たる人だった。ちなみに、このおじさんは甥っ子のことを認めておらず、授業中、ことあるごとに「財津和夫のように、価値の無いものを作らないように」と言っていた。ひどいこと言うな、と思っていたが、今考えると、ひょっとしたら、それはギャグだったかもしれない。「虹とスニーカーの頃」が大ヒットしていた。
 それはさておき、デパートKのレコード売場で働いているおばちゃんと、僕はいつ頃から、よく話すようになったんだろうか。
 聖子ちゃんのことが好きで好きでたまらなかった僕は、休みになると毎週のように用も金も無いのに、何か新譜や新しいポスターの類があるんじゃないかと、この店に足繁く自転車で通っていた。市内には、他にも何軒かレコード屋はあったが、その中でも、ここはもっとも音楽的で無く、人気も無かった。つまり、それだけ他のファンとの競争率が低く、あわよくば何かもらえるかも、と読んでいたのだ。
 おばちゃんは常にヒマそうだった。最新のヒット曲を扱っている筈の店内で、おばちゃんの大アクビは時間の流れを確実に歪めていた。
 昭和56年の秋口だったと思う。『風立ちぬ』のアルバムが発売されるというニュースを聞いて、僕は生まれて初めて、レコードの予約というものをすることにした。広告によると、予約者には特典としてポスターが付くのだという。いつものように、所在無さげに手を腰の前で組んでいるおばちゃんに、僕は初めて話しかけた。予約をしたいのですが、と。
 そのとき、おばちゃんは僕が聖子ちゃんの新作を予約するのだと知って、棚から何やら取り出してきた。それは、その年の春に出ていた彼女の3枚目のアルバムの特典ポスターの残り分だった。まるでバトンタッチの瞬間みたいに、僕とおばちゃんは、このときを待っていたようにしゃべり始めた。
 おばちゃんは、予想通り、音楽のことなんか何にも知らなかったが、店員をやっているだけあって、褒め上手でもあった。このおばちゃんによって、僕は瞬く間に鄙には稀な音楽博士に祭り上げられてしまったのだ。おばちゃんに頼られることによって、僕は妙な使命感に燃えて、音楽雑誌というものを隅から隅まで読む習慣を身に付けた。そして、雑誌で読んだり、ラジオで聞きかじったりした話題をうろ覚えでおばちゃんに提供することで、ギャラとして一週遅れの「オリコン」を受け取った。
 おばちゃんには、口癖と言うか、ジャケットの写真を見て「この人は責任感ある顔してる」とか「この人はモッコス(方言で頑固の意)」とか、勝手に性格判断をする傾向があり、そんな妄想を肴に井戸端会議を僕とよくした。ジミヘンのジャケットを見て、「この人は長生きしない」と言い切って、僕を驚かせたこともある。ま、外れたことの方がその何倍もいっぱいあるんだけど。その直感のみに頼った、大して根拠も無い独断が僕に与えた影響は、多分、計り知れない。
 僕はと言えば、だんだんロック的にませ始めた頃で、「そろそろ自分も洋楽のロックのレコードを買ってもいいんじゃないかな」と思うようになっていた。お年玉で初めて買った洋楽のLPレコードはクイーンの『グレーテスト・ヒッツ』。17曲入りで2000円。もちろん、ここで買った。おばちゃんはクイーンの写真を見て「この人たちはファンを大事にする」と言っていた。彼女は聖子ちゃんのポスターを改めてくれようとしたが、僕はそれを拒否して、この店で働かせて欲しい、と言った。その頃には、この世の中には聖子ちゃん以外にも数え切れないくらいに聴きたい音楽がある、と気が付いていたし、それを叶えるにはレコード屋で働くしかない、と子供心で考えたのだった。もちろん、十分、おばちゃんの役に立てるつもりで。
 しかし、おばちゃんは当たり前のように言った。
 「高校生になってからいらっしゃい」
 高校生になった頃には、そんな田舎町のデパートの、しがないレコード売場で働こう、なんて気はまるで無くなっていた。それでも、おばちゃんとは高校2年の夏、店内改装で売場が無くなるまで、ペースこそ落ちたが茶飲み話をし続けていた。

 おばちゃんとはすごく気があったが、本当に音楽の話は何もしなかった。彼女が気に留めるのは、ジャケットに映る見知らぬスターたちの顔や衣装。たったそれだけのことからワイドショー的にアーティストの素顔を強引に覗き見しようとする。「この人のヘアスタイルは、どうして前のレコードと変わったのか」を推理する。また彼女は自分の風貌は置いといて、お客さんを面食い的な審美眼でがんがん斬り捨てた。音楽的なことは何も教えてくれなかったけど、彼女から僕は結構、いろんなことを学んだ。
 「本当にかっこいい音楽っていうものは、そのレコードを買う人の気にいるようなものじゃなくて、その人を変えてしまうようなものじゃない?」というようなことを、あるときおばちゃんは言った。アクビしながら、おばちゃんはお客さんの移り変わりを、私服のセンスが変わったりするのをじっと見ていた。僕が制服のカラーを外したことを見抜かれたようで、僕はドキッとした。ビートルズのメンバーが何人かも知らないようなおばちゃんが、そういうことを言う。きっと、もっと素朴で曖昧な言葉で言ったと思うのだが、僕の中にはそうとしか残らなかったのだ。
 「音楽の歴史や地図のパズルにピースを埋め込むことよりも、ミュージシャンの考え方や背景に入り込んで妄想を繰り広げてしまう」というような傾向がある。そう大江田さんに僕は指摘されたことがある。実際、その通りだと思う。それは意識する前からずっとあったのかもしれないし、ひょっとしたら、あのおばちゃんが教えてくれたものなのかもしれない。

 最後におばちゃんに会ったとき、すでに「店内改装」の赤いチラシと共に、デパートの中は大セールを敢行していた。しかし、レコード売場は、周囲の大バーゲンな空気とはまったくそぐわない、相変わらずのガラガラぶり。
 来週には増え始めたCDの什器の導入と共に、規模を大幅に縮小し、オーディオ・コーナーの隣に移るという。
 「おばちゃんも一緒に移るの?」
 と僕は訊いた。すると、オーディオ・コーナーはテナントのため、ここのレコード売場はこれにて一応閉鎖ということになる、という答え。
 「じゃあ、オレ、新しい売場にバイトで入ろうかな」
 しかし、おばちゃんは言った。
 「うちのバイトは大学生になってから」
 えー? 前は「高校生になってから」って言ったじゃない! 結局、おばちゃんは自分の領域を最後まで守ったわけだ。「横から出てきたヤツに、面舵は渡してはいけない」。うん。そのこともおばちゃんに教わったかな。

 それからおばちゃんはデパートを辞めてしまったのかどうかもよく判らない。よく考えてみれば、向こうは僕の名前を知ってたけれど、僕は彼女の名前すら知らない。
 じゃあ、今、是非会いたいか、と言うと、そういうものでもない。彼女の言っていたことは、長くて、スカスカで、退屈な田舎の時間の流れの中で、チリも積もって山にもならない、まばらな砂金のようなものだ。
 ただ、ときどき、その長い時間をものすごく贅沢な体験だったのかも、と懐かしく思うのだ。何もかも知りたかった子供の僕にとって、何も知らないことの強味と凄みを同時に植え付けてくれた。知らないから判らないのじゃない、知らなかったら考えるのよ、って。世界との繋がり方を強引に考えてゆく。そこにおばちゃんのロックがあった。そういう気がしている。



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