| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 第5回 小林径
「次は小林径さんでいきましょう」
ボクは「髪結いの亭主」の息子でした 小林:ああ、もうバレてるんですね。 松永:マズいですか?(笑) 小林:いや。マズくないですよ。ただ、クラブでは女の子にもてたいんで(笑) 松永:一番最初の音楽体験というのを訊かせていただけますか。 小林:そうですねえ。記憶っていう点じゃ、もっと前になるかもしれないんですけど。一番最初に買ったアルバムってのは、T-REXの『エレクトリック・ウォリアー』だったんですよね。中学一年のときで、ちょうどリアルタイムで出てたのを。 松永:マーク・ボラン、かっこいいじゃないか、って? 小林:うん、何かね。最初はまだそこまで知らなくて。友達に勧められて、買った感じだと思うんですけど。「マンボ・サン」っていう曲から始まるんですけど、あの曲がすごいカッコイイので、どアタマからハマったんですよね。やっぱり(衝撃的な)アルバム体験を最初に買ったアルバムでしてしまったっていうのは、結構ありますね。 松永:意識しないで口から出てくるみたいな。 小林:親父が替え歌付けて、日本語で(笑)。で一緒に歌ってたりして。そういう感じで刷り込みされましたね(笑)。あと覚えてるのは、「ぼくの伯父さん」の7インチが家にあって、それが好きでよく聴いてましたね。 松永:お父さんのお話、差し支えなかったら訊かせていただいてもいいですか? 小林:ああ、何かもう要するに変わりモンで(笑)。要するに「物書き」って言ってるんですけど、ほとんど実状はオフクロのヒモですよね。だから、僕にも「好き勝手やれ」みたいな感じでしたしね。 松永:お母さんのヒモ状態でありながら、息子には「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を聴かす、っていうとこだけは譲らない、っていう(笑)。 小林:そうそう。そういうとこだけは全部イニシアチブとって(笑)。 松永:子供映画とか怪獣映画とか? 小林:もう何でもですよ。ヤクザ映画なんかもすごく多かったですね。洋画もいろいろありましたし。 松永:お父さんもすごいですけど、それを認めてるお母さんもすごいですよね。 小林:いやー、どうなんでしょうねえ。オフクロは、普通だと思うんですけど。 松永:よく叱られました? 小林:仕事場に入ると叱られたりするんで。立場逆ですよね。親父と。 松永:お母さんの方が仕事師の顔してる、という感じですか。 小林:そう。親父の方がオフクロみたいな感じで。 松永:実際、小学校上がって、そういう刷り込み効果があったんじゃないですか? 小林:だから、学校の教員とは、ホントうまくいかなかったですよ。どうしても、尊敬しないじゃないですか(笑)。ハナからそういう刷り込みがあると。 松永:家では、人の道からハズれたような人たちをロール・モデルとして見てるわけですもんね。 小林:そうですね。だから、学校にどうしても面白みが感じられなかったですよね。 松永:話は戻りますけど、中学生のときにT-REXで衝撃を受けてたりするわけじゃないですか。「よし!」と思って、ギターを手に取ったりはしなかったんですか? 僕は「よし!」と思って、レコード屋に次のを買いに行ってたタチなんですけど(笑)。 小林:そうですね。僕もやっぱり楽器よりはレコードが最初でしたね。ま、途中からバンドみたいなことをやったりはするんですけど。パンクの時代のちょっと前で。あんまり言いたくないんですけど、布袋寅泰ってヤツと一緒にバンドをやってて(笑)彼はボクよりちょっと下なんですけど、高校が一緒で。オレの方が先輩だったんで、割といろいろ教え・・・たっていうほどじゃないんですけど、ニューウェイヴの走りみたいな変なヤツとか聴かせたりしてて。そのバンドはロキシー・ミュージックみたいなのやってたんですけど。当時はやっぱりディープ・パープルとかツェッペリンみたいなのをやるのがマトモで。ジェフ・ベックとかやってればちょっとすごい、って感じだったんで。割とボクらはヒネてましたよね。
「DJ以前」と「DJ以降」
松永:「アルバム体験」って言葉がありましたけど、一枚熱心に聴き通すタイプでした? 小林:そうすね。気に入ったやつは、正座して、部屋も暗くして聴いてたりしましたよ。集中して一枚聴くのが、大好きでしたから(笑)トータル・アルバムってのが多かったでしょ。そういうのがすごい好きだったんですよ。曲の並びとかすごい気にして聴いてましたよ。 松永:何でこんなこと訊いたかって言うと、現在の小林さんのDJという立場からすると、そういうアルバムからいい曲を曲単位で取り出すっていうのはアルバムという作品の解体作業になるじゃないですか。でも、それをつなぎ合わせて、新たに流れを作り出すっていう作業には、またトータルなアルバムを紡ぎ直すような面もあって。 小林:そうですね。やっぱり「DJ以前」と「DJ以降」っていう風にボクを考えると、「現場」って感覚が自分の中に身に付いていった部分が大きいと思うんですよね。リスナーだった頃はリスナー故の思いこみっていうのがあるので、やっぱりトータル的な感じっていうのは自分の中に染み込んでいて。何となくアタマに描いてるヴィジョンとかあって。 松永:「DJ以前」と「DJ以降」って話がありましたけど、その境目になってる時期の話、気になります。 小林:高校卒業して、すぐ東京に出て来たんですよ。それで、そのあたりってのは、シンセとか機材とか買いまくって、現代音楽まがいの方に走っちゃってましたよね。別にインナー志向って感じでも無かったんですけどね。ニューウェイヴ全盛って時代でもあったし。ブライアン・イーノとかローリー・アンダーソンみたいな、ああいうような感じの。現代音楽なんだけど、エスニックとか、いろいろな要素が入ってるような。もともと、ひとつの徹底した方向っていうのが苦手で。必ず何か混ざってた方が好きだったから。 松永:すごい。 小林:そう(笑)。それが86年の11月ですね。だから、割と年齢的には早くない。 松永:いわゆるディスコDJのボーヤみたいな時代も無く。下積みもなく、いきなりいっちゃったわけですね。 小林:そうですね。ボクはいわゆるクロス・フェーダー(注:2台のプレイヤーをつなぐミキサーに付いている、左右にツマミを動かして、双方のヴォリュームを調節、スイッチしてゆくものです。瞬時にして2枚のレコードをつないだりする劇的な効果が得られます。念のため)の世代のDJなんで。年齢的には藤原ヒロシ君とかより上なんだけど、DJやりだしたのは彼よりも後なんですよ。藤原君とか須永辰緒君とかは、ボクらの流れでのオールド・スクール、なんて言ったら怒られるかもしれないけど。ファースト・スクールっていうか、一番最初なんですよね。ボクらがちょうどミドル・スクールぐらいで。 松永:クロス・フェーダーの登場って、そんなに画期的なものだったんですか。 小林:あれは、画期的だったと思いますよ。あれがいわゆるアマチュアを大量流出させた。あれでもう「楽器は出来ないけれども、いろいろ知ってるぞ」っていう人間がみんな喜んで、オナニーし始めた(笑)。 松永:誰もまだかけてないような、例えばスパークスとかを家から持って行ってかけよう、って思うのは、「よし、いくぞ」って言うか、新しいことやる!みたいな感じなんですか。 小林:そのときは何かちょうど、「何でもかけていい」みたいな風潮が一番出てきたところだったんですよ。ジャンル分けもされてなかったし。客も何でも踊ってたし。
茶の美学、DJの美学
松永:以前に僕の知り合いが小林さんに会ったときに聞いた話で、すごい印象的なのがあるんです。小林さんが言うには「DJというのは、お客さんをもてなす、という意味では茶の道に通じる」というようなことなんですけど。 小林:(笑)そんな偉そうなことを・・。 松永:「だからレコードのお皿を買うのを止めて、本当のお皿、茶器を買ってるんだよ」とおっしゃってたそうなんですけど。それを聞いたときから、小林さんは僕には気になる人物だったんです。 小林:ああ、言ったかな、そんなこと(笑)。でも、お茶はほんとに好きで。もともと現代美術とか好きだったんで、そういうのを辿っていったら、アンフォルメルみたいなことはみんな桃山時代に日本人がやってた、ってことに気付いて。そういうところからすごくハマっていったんですよね。それで、気が付いたら、そっちの方の皿も好きになってた、という。 松永&大江田:! 小林:あと、やっぱりお茶をやってて判ったこと、DJとすごい似てるな、と思ったことは、瞬間を捕まえるっていう部分。記録には残らなくて、記憶にだけ残る、っていうのがあって。ひとりの人を、もてなす瞬間のためだけに、庭から家から全部いじって、しかも掛け軸にメッセージとかをかけたりとかして。当然、お金もかかるし、だけど、自分のすべてを集約してその一瞬に消費しちゃおう、っていう感覚、そういうのが好きですね。 松永:一期一会ってことですね。 小林:それで、オレ、DJやって良かったな、って思うのは、それまではどっかオナニックなところがあったと思うんですよ。ナルシストって言うか。自分は「知ってる」ってことで、「教養がある男だ」ってどっか思ってたりとか。でも、DJやることによって、そういうプライドみたいなのを一番最初にズタズタにされちゃって。踊んなくなっちゃうんで、お客が(笑)。実際、踊らないとボクらは食えないわけで。だから、すごいムカつきながらやってるってこともしょっちゅうあって。 松永:それが、「おもてなし」の心っていう部分に繋がってゆく、と。 小林:そうですね。お茶の道なんかでも、「その人が判らないようなことをやってはいけない」っていうことを言ってるんですよね。その人のレベルに合ってて、そこで一歩ハズしてる、とかはアリなんですよ。で、そのレベルで、敢えて「その人にはどうかな?」って思うようなところを突く、みたいな、そういう真剣勝負なんですよ。相手がまったく判らないレベルでドン!ってやって来て「どうだ!」っていうのは逆にカッコワルイ。そういうのがお茶の美学にはすごいあるんですよね。それは基本的に「勝負」じゃない、って。判ってないやつにそれをやるっていうのはルール違反、ただ自慢したいだけ、みたいな。もてなしの中で、いかに相手が何をしようとしてるかを察しようとするバトルみたいな、そういう感じなんですよ。
グルーヴの行方 小林:「グルーヴ・マーチャント」っていうのは、その名前のレーベルのレコードをよく買ってたんで。ジャズ・ファンクにすごい傾倒してた時期があって、その意味合いから転用した部分もあるし。何となく、自分の中では、アーティスティックなものが好きだったんだけど、結局、女に食わしてもらってるんで、DJっていう商業的なことをやってる自分に対する皮肉みたいな部分もあるし、でもそれで良かった、っと思ってる面もあったり。 大江田:昔、小林さんがハイファイにいらっしゃったときに、クラフトワークの「カリキュレイター(電卓)」を指して「グルーヴがある」っておっしゃってたときがあって、ボクはすごいびっくりして。ノスタルジーとかメンタリティとかが音楽には重要な要素としてあって、アメリカのフォーク・ミュージックとかずっとそうやって作られてきてるし。そういうものが90年代に入って通用しなくなって、「もういいんだ、世の中はグルーヴなんだよ」って言われた気がして。そのときに「グルーヴ・マーチャント」のTシャツを見たから、余計に印象に焼き付いてるんですけどね。 小林:そうですね。ボクには「グルーヴ」っていうのは、やっぱりDJになってから出てきたもので。グルーヴがないとやっぱり踊らないし。「踊らせる」っていうのは音圧とかで可能なんですよ。でも、それとはまったく違って、グルーヴって上物(うわもの)にもあって、「揺れ」って言う感じとか。 松永:「印象派」じゃなくて、細かいところを見てゆく感覚、ギターリフとかハイハットとか、そういう細部を掴んでゆくところにグルーヴを見る、っていうのがDJらしい発言ですよね。職人的に見抜く感じって言うのかな。 小林:何かラーメン屋のオヤジチックなところもありますよね。こっちとこっちを比較して、こっちの方がグルーヴィだ、って決めてゆくみたいな、具体的な感じ。
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松永:踊りに来る世代っていうのは、常に入れ替わってゆくわけじゃないですか。 小林:そうですね。結局、クラブの面白いところっていうのは、まだバンドだと何となく神話が蓄積されてる感じとかあるじゃないですか。何かこう、ムーンライダーズとか偉いのかな?みたいなところ(笑)。 松永:面白いのかな?と疑問に感じつつも、ちゃんと聴かなくちゃ、みたいな部分で付き合う、っていうのか。 小林:そうそう。でも、クラブは、世代のワン・クールが終わるとDJの知名度が常に一定じゃない無い限り、完璧イチからやり直しなので。良くも悪くも、相手のニーズに合わせる、って言うより、引っ張られる、って言うか。もう踊んないですから。自分が気に入らないものだったら。だから、そういう感じを何となくごまかしながら、自分の世界になるべく持ってゆく、っていうのがこっちがようやく出来た頃になると、その世代はクラブは卒業しちゃって、来なくなって(笑)。ゼロに必ず戻っちゃうんで。財産的な蓄積にならないんですよね。必ずまたイチからやり直さなきゃならない。 松永:アメリカ行くと感じるんですけど、踊りでも音楽でも、一生の趣味として付き合う、みたいな感じはないですよね。 小林:異常に少ないですよね。やっぱり、クラブっていうのは一種の消費過程と言うか、ある年齢におけるプロセスみたいなもので。踊りたかったり、音楽聴いたり、詳しくなりたかったり、みたいなひとつの学校みたいなものですよね。ある程度通って、大体消費した、って感じになって、それで卒業して、リスニングの方に向かう、ってのが多いと思いますよね。
2000年6月16日 渋谷Les Jeuxにて収録
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