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●亜米利加レコード買い付け旅日記 3
大江田信
アメリカの中古レコード店について書かれた文章というのを、ほとんど見かけたことがない。そんなモノに興味を持つのはごく限られた人に違いない、それもそのはずだと思っていたら、最近ふと購入した村上春樹著「やがて哀しき外国語」(97年刊 講談社文庫)に実に面白い一文をみつけた。1991年から2年半に渡ったアメリカ滞在記である同書の一節、「誰がジャズを殺したか」の中に、実に魅力的な語り口で、中古レコード店のことが描かれている。
村上春樹がジャズ喫茶を経営していたことがあるのは、有名なエピソードだ。店をたたんだあとはしばらくジャズから遠ざかったらしいが、どうやら昔の虫が囁き始めたようで、この時のアメリカ暮しでは「中古レコード店をまわってジャズの古いレコードを漁ることが、大きな楽しみになってしまった。いちばんの娯楽と言ってもいいくらい」だったという。いくつかの店の内部の様子、値段の付き方、意外な穴場の発見など、これは相当にアメリカのレコード屋を歩き回った人の目だなとうなずく内容である。
ここに実に愉快なあるレコード店の店主が登場する。それは「フィラデルフィアの下町に実に丁寧に品ぞろえをしたジャズ中心のレコード店がひとつあって」と、語られる店の親父さんだ。ああ、もしかするとあの店かな、と僕も思い出す。「かなりのLPおたくでCDを買いに来た客に『俺はCDはキライだ!』とどなるような偏屈である」と続く。この後、彼がどんな風に面白いかは、村上春樹氏の本を手にとってもらうとして、こういう手合いの店主は、アメリカのレコード屋には本当に多い。なんとも変わっている奴が多いのである。
僕はリオンのことを思い出していた。リオンはデトロイトの郊外で生まれ、高校を卒業してからはアラスカでサーモンの漁業の仕事をして働いた。大きな漁業会社に勤め、漁を切り盛りしていた。長い間、船の上で働いていたせいか、とにかく声が大きく、態度もでかい。よくしゃべる。初めて出会った頃は、なんて傍若無人で無神経な男だと思った。とにかく「濃い」男なのだ。日本人とも仕事をしたとかで、「日本人に通じる英語を話すには、こうするんだ」といいながら、はっきりとした発音でゆっくりと話しかける。アラスカでは都合20年間働き、結局その間に膝と腰を悪くして仕事をリタイヤした。そして小さなレコード屋を開いた。多分40歳ちょっとくらいの年齢だろう。
「あと10年くらいレコード屋をがんばって、(一緒に店を切り盛りしているすごい美人の奥さんを指さしながら)それから俺たちはゆっくりのんびりと暮すのさ。もう、アラスカみたいな暮しは嫌だからな」と言う。「アラスカでは仕事が終わると、家でパーティの毎日さ。仕事とパーティ、仕事とパーティ、これの繰り返しだった。パーティをやっちゃあ、ドラッグ浸りだったんだ。ほとんど寝ないでパーティずくめのこともあった。ほかに楽しみなんかない。そうでもしなけりゃ、やっていけなかったんだ。給料のほとんどが酒とマリファナに消えた。ひどいもんさ。貯金なんて残っちゃいない。20年間で10万ドル(約1億2千万円?)を、使いきっちまったんだ」。
カナダとの国境に程近いワシントン州の小さな街に古い一軒家を見つけて、一ヶ月のあいだ毎日通っては家の手入れをした。ボイラーを変え、壁紙を貼り、照明を付け替え、カーペットを貼って、まるで自宅のリスニングルームのようなレコード・ショップが出来上がった。レコードは昔から大好きだった。なかでも「愛らしい大きさの」10インチ(25センチ)のアルバムが大好きで、ちょっとした収集家として知られてる。「俺の頭は、レコードに関しては、象みたいだと言われるんだぜ」と、自分の頭を指さしニヤッと笑う。ジャズからロック、カントリーからラウンジものなどのポピュラー、フォークなどなど、とにかく何でもよく知っている。好きなアーチストについて、ぼくとお互いの好みが近く、例えば女性カントリー歌手、パッツィ・クラインについて彼がどういう評価をしているかを尋ねると、なんだ、おんなじことを思っているんだなあと、妙に嬉しくなる。「レコードを丁寧にターンテーブルに乗せて、アンプのボリュームを調節して、レコード針を乗せる。これが楽しいんだよな。CDは何だか工業製品のようで、人間味に欠ける。冷たい感じがする。こんな時代だから、アナログがまた注目されてるんだろう」というのが、絶えること無いレコード愛好者達についての彼の分析だ。
音楽を聞き分けるセンスはとてもデリケートでナイーヴなくせに、とにかく口の悪い男で、近くの街のレコード屋の悪口を言わせたら天下一品だ。「あの店の従業員は、現金をレジに入れる振りをして、ポケットにねじ込むんだ。店主が死んじまって、女房が店を見るようになったらこのザマだ」とか、「あの店のオーナーの値段の付け方は、クレイジーだ。だまされる客が悪い」とか、「あの店に入ったらうるさく店員に付きまとわれて、何からかにから買わされるはめになるゾ」とか、彼の口にかかったら、ほとんどの店がひとたまりもない。しゃべっているうちに興奮してきて、すぐに「Shit!(クソッ)」と言うのもおかしい。つい最近、インターネットを介して手に入れたレコードが針飛びしたことにひどく腹を立てていて、「やっぱり中古レコードは手にとって見て買うのが一番だ。この商売は、店の判断を客に信じてもらえるかどうかが勝負なんだぜ」と力説する。「俺の店はレコードの状態も良いし、珍しいものが多いし、どうだ、すごいだろう」と自分の自慢もしっかりと忘れない。
あけすけな点では、これまた天下一品。「フェア」であることが、彼の人生のモットーのようで、繰り返しこの言葉が口に上る。「俺の店のレコードの値付けを見てくれ。俺のモットーが分るはずだ」と言う。「レコードの内容善し悪しと、世の中の評価。それを全て考えて、俺は値段をつける。俺のつける値段こそが俺の主張さ。お前らもプロなら、俺の言いたいことがわかるだろう」という具合だ。確かにレコードのセレクションを見ると、リオンが音楽をよく聞いていることがよく分るし、音楽への愛情を感じる。サブ・ポップのミュージシャン、パール・ジャムのメンバーがお忍びでレコードを買いに来るというのも、うなずける話だ。「お前ならこのアルバムにいくらの値段を付ける?」と尋ねてくることもある。「そうだなあ」と言いながら、お互いで値段を付け会い、それが寸分違わないときには思わず笑い会う。
店の裏には倉庫があって、倉庫にはマックが置いてある。「こいつにこれからレコードのデータを入れるのさ」と言いながら、今はまだゲームしか入っていない。「ここは俺の秘密の隠れ家なんだ」といいながら、ときおり奥さんの目を盗んで煙草を吹かし、時にはマックを相手にポーカーをやる。アメリカでは禁煙は当たり前で、特にノースウエスト界隈では人前で煙草を吸うのは、よほどの健康に無知な馬鹿だと思われている。
そんなリオンが妙に神妙な顔で「日本は、アメリカの後を追っちゃダメだぜ」と切り出した。「日本はアメリカを一生懸命追っ掛けてきただろう?ナイキのスニーカーやリーヴァイスのジーンズやらが、今の日本の若い奴は大好きだ。日本じゃ高い値段で売ってるんだろ。でも今のアメリカを見てみろ。ハイウェイで白昼にホールド・アップがあったり、TVじゃそんなニュースばっかりさ。それも犯人は若い奴らだ。俺の娘は13歳だけれど、もうアルコール・ジャンキーさ。ビールじゃない、ハード・リカーを飲むんだぜ。昼間っから酒浸り。そして『あれをくれ、これをくれ』って、何かって言やあ『Give Me』だ。自分から苦労して獲得する努力をしない。俺の若い頃は、そりゃあ、ひどかった。マリファナもやった。でも、俺たちは目上の人達を敬っていたし、法律を敬ってきた。ずっと大切にしてきた。今でもそう思っている。でもな、今の若い奴らは、ありゃ何だ?大切にしているものなんて、何もない。ただ怠惰なだけだぜ。これからのアメリカはもっとひどくなる。だからな、日本はアメリカの後を追っちゃ絶対にダメだ」。
支払いを済ませ、レコードを車に積み込み、さあ最後の握手をしようという寸前に、リオンがこう話し始めた。彼の店を訪ねたのは、これが2回目だった。何だかひどく重たい気分になって、胸がつまった。開店してまだ日が浅いレコード屋の経営を、夫婦で必死に頑張る毎日。家に帰ると酒浸りの娘。「リオンには心が休まる場所がないんでしょうね」と阿部が僕に言う。
毎日々々、車でレコードを探し求めて走り廻りながら目にするひどく牧歌的でのんびりとした風景もアメリカだし、TVの画面をにぎわせている数多くの凄惨な事件の舞台になっているのもアメリカだ。なかなか一つなってに見えてこなかった「アメリカ」が、急にリアルに迫ってくる。ふと僕を振り返ってみれば、アメリカのレコードを必死になって探し、買い込んでいる。これが僕の毎日だし、今では僕の仕事でもある。レコード好き、アメリカ好きと言う点では一緒に働く阿部も同じだ。しかも彼はアメリカ音楽の方法を使って、自分の音楽を創っている。「アメリカを追いかけるなって言われてもなあ」と、阿部がそっとつぶやく。そう言う気持ちがとてもよく分る。
もちろん事はリオンの言うように単純ではない。すでに日本がアメリカを追い抜いていることもある。例えば安くて良質でサービスの行き届いた車を作り売ること、故障の少ないビデオ・カメラを売ることなど、目に見えるだけでも、はるかにアメリカ製品を凌駕している日本の商品は数多い。多くのアメリカ人が落ちる罠だけれども、「アメリカは世界で最も偉大な国家だ」という思い込みが、リオンの体にも自然に染み付いている。ごく普通の生活を送るアメリカ人の多くは、アメリカを世界中で最も素晴らしい国だと信じ、疑うところがない。少なくとも僕にはそう見える。
とはいえリオンの言葉には重い手応えがあった。おそらく多くのアメリカ人とリオンが少し違うところは、彼がアメリカにいらだっていることだろう。ベルギー生まれの両親がアメリカに移り住み、その後リオンが生まれた。リオンはアメリカで育ち、アメリカを愛し、どこかでアメリカにいらだち、かすかにアメリカを憎んでいるように見える。
「気をつけてハイウェイを走れよ。スピード・オーバーはするな。体が一番大切だ。ゆっくり休めよ。いいレコードを見つけられるように祈ってるからな」。しゃがれた声で、まったく柄にもないことを言う。
「来年また会おう!」僕らは、最初に会ったときよりも、少し強く手を握り会い、握手をして別れた。
(大江田信)
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