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第9回 I Can See For Miles
僕は運転免許を持っていない。
アメリカに買い付けに出かけるとき、したがって、僕の役目は地図を片手に方向を指図するナビゲーターである。ナビゲーターと言えば偉そうだが、あんまり有能とは言えない。得意技は右往左往。名前は「ナビ助」くらいがちょうどいいだろう。
そんなナビ助でも、他人様に少しは威張れることがある。それは眼。視力だ。大学一年の健康診断以来、正確に測っていないので実際のところはわからないが、かなり見える。で、もっと言わせてもらえば、小さな円の切れ目が判るとかそういうことよりも、三個先の信号に付いてる標識とか、向こうから来る知り合いの顔とか、そういう実践的なやつが大得意である。そのくせ「右に曲がれ」と言いながら左を指さすんだからしょうがないところだが…。
アメリカのショッピングセンターと言えば、巨大なモールが定番だ。日本のような十数階建ての上に伸びるデパートは都市のダウンタウンにしか存在せず、郊外に行けば、たいてい一、二階建てのだだっ広い建物があって、そこを無数の店が間借りしている。レコード屋も、郵便局も、レストランもいっしょくたであり、そのモールに何が入っているかということは、これまた巨大な駐車場の入口におっ立てられた集合看板で瞬時に判断するしかない。
あのときもそうだった。朝から本屋を探していた大江田さんと僕はモール団地に迷い込み、あやうく立ち往生というところで、遠くの隅っこで営業している店を発見した。
「I can see for thousand miles.」
思わず偉そうに僕が言うと、大江田さんがこう返した。
「そういや、See For Milesってイギリスのレーベルあるよねえ。あれはその言い回しから取ったんだねえ」
もっと正確に言うと、ザ・フーの初期のヒット曲「恋のマジック・アイ」こと「I Can See For Miles」が由来なのだが、日本にも「千里眼」という言葉がある。いかにも中国の古典あたりに出てきそうな古めかしい言葉だが、意外と、これは英語の言い回しを日本語で表現したものかもしれない。だとすると、「千里眼」という言葉を創作したのは、一万円札でおなじみ福沢諭吉(とその一派)という可能性もある。
江戸末期から明治時代にかけて、それまでオランダ一辺倒であった海外の文化流入を、英語圏に大胆にシフトさせ、イギリスへ出掛けた諭吉は、英語の翻訳をもとに多くの日本語を新たに創り出した。僕たちが日頃目にし、何気なく使っている単語の中にもそのとき初めて生まれたものは少なくない。というか、漢字二文字の言葉の半数以上はそのはずだし、「単語」というのも、そのひとつだろう。
と、いうことを喋っていたら、それを大江田さんが原稿にせよ、というので、こうやって今、書いているわけだ。しかし、数年前に何かで読んだことを適当に解釈して言ってるので、実際のところははなはだ心許ない。ウソでは無いけれど、「大言海」とか持ち出されて説明を要求されても、あんにゃもんにゃで何も出来ません。
諭吉と同行の急進派の中には、日本の公用語を英語にしてしまえ、という乱暴な(ある意味、画期的な)意見を主張するものもあったというが、諭吉は日本語の美と伝統にこだわり、新しい言葉を創り出した。だから、「千里眼」にもその可能性があるし、そうだったらいいなと思う。そして、ザ・フーのあの曲を「恋の千里眼」なんかにしないで、ちゃんと「マジック・アイ」というティーンを酔わせる独自の訳を当てはめた当時の日本のスタッフにも、やるなと思う。
結局、僕はちょっとした事実からはみ出てきた一本の糸がからまりあって、思いもつかないところに辿り着くのが愛おしいのである。もっとも、諭吉や「恋のマジック・アイ」を考え出した人は、「見通し」という意味で僕なんかより遙かにもっとよく見える眼を持っていたと思うが、すべての詳細をキチンと露わにして検証・追求するタイプだったら、そうはいかなかったはずだ。思いつき戸直感に頼る部分が無くては、うまく着地出来ないときがある。そう言えば、レコード買うときもそうで、瞬間的に「これだ」と思うと、ろくすっぽ確かめもしないで仕入れたりしてしまうので、随分と失敗もしている。でも、逆にそうじゃないと巡り会わなかった珍盤・名盤も多くて、多分、結構助けられたりしていると思う。
話が逸れそうだ。ボロが出ないうちに終わりとします。
ちなみに僕のレコード人生で起こったマジック・アイ体験のひとつは「クランプス(Cramps)」と間違えて「チャンプス(Champs)」を買ったこと。それと、この原稿は渡米前の宿題として書いているが、この「宿題」という言葉はHomeworkから諭吉が創出したものだったはずだ。
では、行ってまいります。
追伸 ザ・フーのベーシスト、ジョン・エントウィッスルの冥福をお祈りいたします。
さらに追伸 運転免許はこの夏、取得の予定あり。
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