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Yasunari Morimotoの'Live Scraps'No.9
「自動販売機の遺伝子」
そういえばこないだマスコミの空振り三振に終わったソルトレイク冬季オリンピックの 開会式にロビー・ロバートソンが出てましたね。しかも、バック・コーラスをしているのはリタ・クーリッジ。ありゃりゃ。
たいていこういう開会式とか閉会式に出るミュージシャンは「日本のマスコミ的にメジャー」じゃないと再放送版では必ずカットされちゃうので、いつもリアルタイム
の放送を録画するようにしてるんですけど、しておいてよかったね。珍しいもの見せてもらった。動くロビー・ロバートソン。よっ、久しぶり!
で最近。けっこう忙しくって「うひゃー」って感じ。まぁいつも暇だと困る、とはわかっていてもちょっと厳しい。そんな中、先日真っ昼間にイラストの下書きをして
いたらモーレツに眠気が。
こりゃまずい、〆切前に寝ちゃシャレになりませんがな。眠気をふっ飛ばそうと、 2年前に出たジェフ・ベックのCDをトレイに放り込んで仕事を再開しました。
すると俄然目が覚めて仕事もノリノリ。で、覚めたはいいんだけど、カッチョいいフレーズのところに来ると、悲しくもないのになぜだか涙が止まらない。
うーん、やっぱり神経がピンピンに張ってたんだなぁ。前が見えなくて仕事にならないから2曲だけ聴いて、リック・ダンコに替えました。一度目が覚めたのでもうダ
イジョブでしたけど、この「音楽を聴いて涙が出る」って感じが久しぶりで新鮮でねー。
こういうことって前はよくあったですなぁ。最近歳のせいかけっこう涙腺は弱くなっていて、映画を見ていてもライブに行っても時々ウルウルしちゃうんですけど、
さすがにレコードを聴いていて涙が出ることは(シラフでは)あんまりない。なので、なんとなくちょっと懐かしい感じ。
その懐かしい1970年代初頭の神保町の話の最終回。
前回は駿河台の交差点を降りて、靖国通り沿いに神保町の交差点を渡り、元・東京 奏文社の前まで歩いた。
そこを過ぎると最近よくのぞく(その頃はあまり店に入れなかった)「歌舞伎・落 語・演芸」専門の豊田書房や、新刊書が安く買える東京特価書籍があって、ここまで
来ればもう最近歩くルートと変わらない。今回はその裏の道で遊んだ不良浪人の話です。
御茶ノ水駅から坂を下って駿河台下に来て、そのまま大通りを右に行かずに、三省堂の裏を通ればそこがすずらん通りで、キッチン南海やらスヰートポーヅ(これが正しい表記)やらがあって昼食時には近隣の書店や出版社の人々で賑わう。
もちろん三省堂側の通り入り口にある書泉ブックマートや東京堂書店、中山書店な どの書店や楽器店などもあるが、喫茶店や飲食店が多いために当時も今も基本的に食事をする通りという印象が強い。
またブックマートから岩波書店に向かって右側に何本も走る裏通りは、当サイト管理者大江田さんが好きな喫茶店「ラドリオ」や焼酎の店「兵六」などもある地帯で
(この「地帯」という表現がぴったり)、マニアとしては散策のしがいがあるエリアです。一度行ってみてください。さて。
その兵六も僕が浪人生の頃はまだ木造で、今のようにきれいな店ではなかったが、 それでもここやラドリオにいつも入る、そんな金銭的な余裕はあまりない。
僕がもっぱら愛用していたのはこのすずらん通り近くの店ではなく、通りをまっすぐ抜けて、さらに白山通りを渡り、救世軍の横を入ったさくら通りの方だった。
ちょうど岩波書店の裏手にあたるこの通りにはレコード店や紙専門店などの店舗も数軒あるが、ほとんどが事務所や製本所で、靖国通りと比べると今よりさらに寂しい通りという印象だったために、浪人した当初あまり足を踏み入れることはなかった。
それがこの通りに何度も足を運ぶようになったのは、ここの中程にあって当時すでに営業を終えていた「東洋キネマ」という映画館の建物が好きだったからで、用もないのに書店を回る合間に、なんという様式かはわからないけれどこの古い西洋建築めいた「面構え」とでも言いたくなるような風貌を眺めに行った。
そしてその何度目かの用もない徘徊の折り、もう一軒のお店を発見した。今はもうなくなってしまった自動販売機式の飲み屋だった。
それは、はたして「飲み屋」といっていいものかどうか。2間くらいの間口の店の左右 にあるアルミサッシの引き戸を開けて店内に入ると、まるで会議室に置いてあるような質実剛健のテーブルが4つほどあって、それぞれのテーブルに何脚かずつの丸いパイプ椅子が置いてある。
さらに店の左右の壁際にはそれぞれに「1級」、「2級」などと書いた紙を貼っ た、コイン投入形式の日本酒自動販売機(今立ち食いソバ屋にある冷水器みたいな感
じ)が3〜4機ずつ置いてあり、店内の設備としては以上である。
ただ店に入った正面の壁の中央に、とってつけたように作られた小窓と、その下にせり出した小さな台があって、その小窓の向こうに少しだけ人の気配がするのが異様で、それがツマミを買うための小窓だと知ったのはたしか2度目に入った時、労務者風のおじさんの所作を見てわかったことだった。
値段も1級は200円、2級は100円、サキイカや焼き鳥などのツマミはすべて200円で、1000円使えばすっかり酔ってしまうようなそんな店だ。この店に通った。
浪人生であるにもかかわらず、こんな店に入ることをちっとも躊躇しなかったのは前例があるからだ。ほとんど同様の店が池袋東口、文芸座に行く途中の線路端にあり、高校の授業をさぼってそこへ行っていたことが何度もあった。正面の壁中央の小窓がツマミ販売用だとわからなかったのは池袋の店の方がツマミをもう少しちゃんと売っていたからだ。そこが高校在学中になくなってしまったので、少し寂しい気もしていたのかもしれない。
ともかく予備校の授業をさぼっては神保町を徘徊し、この店で本を広げながら2級酒を幾杯かあおって焼き鳥をつまみ、夕刻になると大塚の友人宅へ転がり込んで、フリーやジョー・コッカーなんかを聴きながらまた飲んだ。そんなことを浪人時代の夏休みまで過ごしたところで現実がやってきた。
夏の終わりに受けた模擬試験。偏差値17。もうあとがない。この夢のような生活に別れを告げて、正しい浪人生活に突入したのは9月の声を聞く頃だった。
「東洋キネマ」も、「ロック・ワークショップ」も消え、そして靖国通りに面して、当時ですら懐かしい感じが残る看板だけが残っていた「ペンギン書房」の痕跡も先日なくなった。そりゃそうだろう。浪人していたあの頃から、もう30年近くが経つ。
でも不思議と今でも神保町に行くとつい飲みたくなってしまうのは、すべてがこの頃この街によって植え付けられた遺伝子のなせる技だと信じて僕は疑わないのだ。
次回からはやっとの思いでついに入学した大学の話。コンサート三昧の日々に入ります♪
●僕は行けなかったけど
姉が行ったコンサートチケットを少し放出!
●これは僕も姉も行けなくて 知人に買ってきてもらった
モンキーズのコンサート・パンフ
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盛本康成
ロックのライヴ・アルバムを買い求めて、あれっ、何か違うなと思った方は少なく ないに違いない。ライヴ会場のあのわくわくする感じと違うぞ、と。レコード店の店頭でもライヴ・アルバムは、実は人気がない。
ライヴはやっぱりライヴ。会場にいなくちゃね。サウンドにしても映像にしても、 パッケージされたものには、妙味が少ない。とはわかっていても、ライヴを語るほど
難しいこともないのもまた事実。そんなわざに盛本氏が、軽妙に挑戦中。
是非皆さん、この下の「ライブラ日記」のバナーをクリックして下さい。可笑しくも切なくほろりとする盛本ワールドへさぁ、どうぞ、ようこそ。
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