九太郎 × ノノJune 2, 2005 - January 5, 2006

written by ちゅんちゅん


PHASE 1


アルキメデス・クレーター市 宇宙生理学研究所付属病院――
朝の外来・検査棟。医師・看護師、他医療スタッフの引継ぎ(申し送り)が行われる。
「ノノちゃん、今日は集団健康診断の介助に一緒に就いてもらうから。忙しいけど直ぐに慣れるから。分からない事があったら直ぐに呼んでね。」
「分かりました。今日一日宜しくお願いします!」
先輩ナースと共に問診表や検査中に着用するガウン、採血キット等の物品を揃える。外来は人の流れが早く診療時間内は患者が途切れる事が無い。検査棟は入院患者の検査も行うので忙しさは倍である。そしてミスは当然許されない。
看護師免許を取得して1年―― ようやく仕事にも慣れて来たノノ。勤務形態は不規則で忙しく、日々勉強の毎日ではあるが、遣り甲斐の有るこの仕事に関われる事で充実した毎日を送っていた。
「―― これが今日のリスト。名前と顔、間違えないようにチェックしてね」
「はい。 …… アレ?」
"星野 九太郎" ―― 何処かで聞いたような?
写真を見てみる。 ―― 少し似ている??
「ウーン…… まさかね」
特に気にも留めず、業務に入った。

「―― 腹減ったァ……早く飯食いてェ……」
検査棟、通路のベンチ。検査用ガウンに着替えた社員達が座って問診表に記入をしている。
その中に九太郎は居た。消化器の検査も項目に入っているため、昨夜から禁食状態なのだ。

昨年春、大学を卒業してテクノ―ラ社に入社した。1年間の研修期間を終えて月にある部署に配属になった。
『生産統括本部 技術開発部 開発課 研究係』―― 幼い頃からロケット工学に夢を抱いていた九太郎にとっては申し分の無い部署だ。が、未だ1年目…雑用もこなさなければならず、職場では上下関係等も有り、研究に没頭したい九太郎にとっては頭の痛い毎日だ。
そしてもう1つ、今も“星野吾郎”“星野八郎太”の名前が何かとついて廻る事だ。
「君には期待している。何せ君のお父様もお兄様も立派な宇宙飛行士でいらっしゃる」 ――――
面接の時に言われた。入社してからも事有るごとに……。
だから何だ? 俺は俺、親父は親父、兄ちゃんは兄ちゃん。関係ない。

九太郎の順番が来た。名前を呼ばれ、検査室に入る。
簡単な医師からの質問、聴診器で胸と背中を診た後、奥のスペースに通される。
「星野九太郎さんですね?この後、トイレで採尿をお願いします。その後隣の部屋で心電図を採ります。
終わったら一度廊下のベンチでお待ち下さい。再度お呼びします。その後採血、腹部レントゲンで終了となります。何か分らない事はありませんか?」
検査のながれを九太郎に説明するノノ。
“…もしかして、そうなのかなァ”頭の片隅で考えながらも、仕事に集中する。
「……あの……」九太郎が言う。
「はい、どうぞ?」笑顔で返事をするノノ。
「……もう少し大き目のガウン、ないんですか?」他の社員と比べ、身長が高い九太郎。普通なら成人男性が着ても余裕で膝が隠れる位の丈の長さなのだが、九太郎が着ると膝が見えてしまっている。袖口も肘近くまで来てしまっている。
「済みません…これが一番大きいサイズなんです。」申し訳無さそうに答えるノノ。
「あ、あと… 採血なんだけど。」
「はい?」
「やっぱり…針、刺すんですよね?」
九太郎は注射関連のモノが大の苦手だ。

「? そうですよ。あ、でも直ぐ終わりますから。それじゃ、採尿お願いします」
笑顔で答え、採尿カップを九太郎に渡す。
「アレさえ無ければいいんだけどなァ……」ブツブツいいながらトイレへ向かった。

心電図を終え、採血。 採血台に片腕を乗せ、駆血帯を巻かれる。既に自分の腕を見ることが出来ない九太郎。
「あの、直ぐ終わりますから……」部屋の隅から声を掛けるノノ。
プツ…… 注射針が刺さる。硬く目を閉じる九太郎。その姿に看護師は苦笑いする。
数秒の事が長く感じられた。掌には汗が滲んでいた。
「それではレントゲン室にご案内します。少しお待ち下さい」
ノノに言われ、通路のベンチに座る。隣に並んで座っている同僚が話し掛ける。
「オイ星野、あの看護師、良くねェ?」
「あー? そーかァ?」極度の緊張と極度の空腹感で機嫌が悪い。
“次が終われば飯が食える……”ボンヤリと天井を眺める。
「可愛いじゃん 声掛けてみろよ」九太郎の肩を突く。
“女しか興味ねえのかよ?こいつは―― つまんねえ”舌打ちする。
「星野さん、行きましょうか」ノノが声を掛ける。
「ハイハイ……」ヤレヤレ、といった様子で立ち上がり、歩き出した。

レントゲン室から出てくるノノと九太郎。
「お疲れ様でした。これで検査は全て終了です。結果は1週間後にお勤め先に郵送されますから」
「はい…どうも」
ハキハキと笑顔で話すノノとは対照的に、九太郎は疲労困憊といった感じだった。
"どうしようかな…" とノノは一瞬躊躇ったが、話を続けた。
「―― あの、お聞きしたい事があるんです」
手にしているカルテをギュッと握る。
「ハイ… どうぞ」力無く答える。
「あの、星野さんはハチマキの弟さんですか?」
「な、何 いきなり」目が点になる。
「あ… 済みません。星野さんは、星野八郎太さんの弟さんですか??」
静かな廊下にノノの声が響く。
「……そ、そうだけど。それが何か」
「そっかぁー! やっぱりそうなんだあ!!」
ノノの表情がパァーッと変わる。
「????」
九太郎は極度の空腹を抱えたお腹を擦りながら、呆然とノノを見つめた。
「色々お話ししたい事があるんです!この後予定はあるんですか?」
嬉々として話すノノ。
「え? あー、14時には出社しないといけないから…それまでなら」
ノノの勢いに呑まれ、咄嗟に答える九太郎。
「良かった―! 私、あと30分で昼休みなんでお昼、一緒にいかがですか?」
「は、はあ。」
腕時計に目をやると11時半だった。
"この後昼飯食って13時半のシャトルに乗れば間に合うな…"
「いいよ。何処で待っていればいいの?」
「着替えたら、正面ロビーの入り口付近で! 待ってますから!じゃああとで」
手を振りながら検査室へ戻って行った。
「…兄ちゃんの知り合い? 訳わかんねェ……」つられて手を振り見送る九太郎。
"早く飯,飯……"
更衣室へ急ぐ九太郎だった。


※注意 >>261の胸部レントゲン⇒腹部レントゲン修正済

参照:スレ1 >>257,258,259,271


PHASE 2


“そういえば俺と歳の近い女の子の知り合いが月に居るって言ってたっけ……”
病院内のカフェテラス。ベーグルサンドをパクつく九太郎と九太郎から受け取った名刺に目を通すノノ。
「…ガリレオ開発 生産統括本部 技術開発部 開発課 研究係……?」
会話はするものの、目を合わせずにひたすら食事をする九太郎。
九太郎の豪快な食べっぷりに呆気にとられるノノ。
「んー、まあ簡単に言えばロケットの開発……」
時折時計を見ながら昼食を取る九太郎。
「じゃあハチマキ…お兄さんとは違うんだ?」
「…俺は親父や兄ちゃんみたいなスチャラカ宇宙飛行士は嫌いなんだ」
コーヒーを飲み、ペーパーナプキンで口を拭く。
「アー 食った食った…。 ―― 悪いけど、これから仕事なんで」
九太郎は席を立ち、ジャケットを手にする。
「あ あの、またお会い出来ますか?」席を離れる九太郎に声を掛けるノノ。
「……? 構わないけど……」
シャトルの時間が気になり、時計を気にしている。
「本当? それじゃあ連絡します。」
「――― コレ、一緒に払っとくから」
九太郎はレシートを手にカフェテラスをあとにした。
「…… ったく、また兄ちゃん繋がりかよ……」

「そっかァ… ハチマキの弟なんだ」
受け取った名刺を胸のポケットに仕舞うと昼食を取り始めるノノだった。

「お前、この後暇か?」
終業後の開発課。同僚等が九太郎を呼び止める。
「特に予定は無いけど、何」
「今日の健康診断の時のナース達と合コンやるんだ。お前も来いよ」
「飯食って酒飲んで気に入った者同士、後はご自由にっていつものだろ?いいよ俺は」
帰り仕度を始める九太郎。
「まァ そう言うな。お前が来ないとメンバーが揃わないんだよ。頼む!明日の昼飯奢るからさ。どうせ真っ直ぐ寮に帰るだけなんだろ?」
「……るせーな。 飯食ったら帰るからな。」
いつも強引な同僚に最近ウンザリしていた。初対面の人…しかも女性と話すのは正直言って得意じゃない。職場での人間関係だけでも疲れるのに……と思った。
1人で過ごす方が性に合っている。昔から変わらなかった。
―― アルキメデス・クレーター市の繁華街、夜になると若者で賑わう。
期待で盛り上がる同僚達の一番後ろを九太郎は歩く。
若者向けの飲食店。軽快な音楽と客の話し声で賑わっていた。
「こっち こっち―― !!!!」
奥のテーブルに女性が8人。今日の合コンのメンバーだった。昼間の白衣を着た彼女等とは全く印象が変わっていた。
“―― あれ?” 一番端の席に昼間の女性が居た。8人の中でも一番背が高い。
“兄ちゃんの友達…エート 名前、なんだったっけ……”
オーダーした飲み物が運ばれ、乾杯。簡単に自己紹介となった。
「……星野 九太郎です。」一言だけ言うと座った。別に気に入られようとは思わない。
“明日はドルフ社長が開発課を視察に来る。今度のプロジェクトメンバーに入る為にはどうしても―― ”
周りの声は耳に入らず、明日の仕事の事で頭がいっぱいだった。

「―― 星野さんッッ 聞いてます?」
耳元で大きな声がして我に返る。
「…… えッ?! 何」思わず手にしていた水割りを溢しそうになる。
「何か頼みましょうか?」ノノがメニューを差し出す。
「イヤ、いいよ。 ……今日はどうも」
「大丈夫ですか?お酒だけじゃ良くないですよ」
大皿にあるパエリヤを皿に取り分け、九太郎に渡す。
「…えーと…」
名前を聞こうとするが、上手く切り出せない。
「あ、言ってなかったけ。私、ノノ。呼び捨てでいいよ。皆そうだから」
「あ そう… じゃあ、ノノ…ちゃん」少し照れ臭い。
「呼び捨てでいいのにー」ノノは笑う。
「こういうの、結構来るの?」水割りを飲み、テーブルに置く。
「……断ったんだけど、先輩がどうしてもって言うから……」
“早く帰りたい”表情に表れていた。
「ふーん… 」会話が続かない。
「―― あ、ハチマキや愛さんとは連絡とってるの?」少し身を乗り出し、話し始める。
「あ、うん… 兄ちゃんは来年辺りに還って来るらしいし、愛さんは元気にしているよ。
今、俺の実家で母さんと子供と3人で楽しくやってる」
「子供、今何歳?」
「もう直ぐ5歳になるよ。」
「そっかー そうなんだァ」笑顔で時折相槌を打ちながら話を聞くノノ。
“ノノちゃん、か。結構可愛いか…な”
暫くの間、ノノの顔を見つめていた。

「…… ? 何?」振り向くノノ。
「あ…イヤ、別に」慌てて視線を反らす九太郎。
“ノノちゃんって…医者とか…付き合っている奴いるのかな”
“イヤ、いたらこんな所には来ないよな?”
“やたらと兄ちゃんの事詳しいけど…惚れてたのかな”
ノノの事で頭が一杯になっていた。
「星野、早く帰るんじゃなかったのか?」同僚がグラスにウィスキーを注ぎながら話し掛ける。
「るせーな、もう帰るよ」本当はもう少しノノと話をしたい。
ノノの方を見ると他のメンバーと話をしている。何となく話し掛け辛くなる。
“やっぱり帰るか”席を立つ。
「いいのかよ?彼女の事、狙ってる奴いるぞ?」
引き止める同僚に会費を渡し、店を出ようとする。
「関係ねぇって……あ、明日の昼飯忘れんなよ」
「―― 帰るの?星野さん」
ノノの声に耳を傾けずに店を出た。

“ノノちゃんかァ…畜生……可愛い子だったのにな ”
シャトル乗り場のベンチに腰掛ける。こんなに異性を意識するのは初めてだった。また会えるだろうか?
次のシャトルまで15分ある。ボンヤリと足元を眺めていた。
「ホ、シ、ノ、さん」
聞き覚えのある声に顔を上げる。ノノだった。
「私も…抜けて来ちゃった」
九太郎の隣に座る。
「いいのかよ?君と話したがっていた奴、いたぞ」少し不貞腐れて言う。
「だって……何だか怖くって。私、ああいうの苦手」
「あ…あ、そう…。あのさ、また…会えるかな?」
キョトン とするノノ。
「もっと、君と話がしたい……ダメかな?」
「ううん!いいよ、嬉しい!」
笑顔になるノノを見て、ホッとする九太郎だった。

参照:スレ1 >>278,304,305,314


PHASE 3


「ヤベェ… 今日も遅刻だ」
終業時間を1時間過ぎ、開発課のフロアを出る九太郎。今日はノノと食事に行く約束をしている。
強引につれていかれた合コンで知り合って半年、初めはメールの遣り取りだけだったが、お互いのスケジュールが合う時に食事をしたりするようになっていた。
仕事帰りに待ち合わせて食事をしながらその日有った事や、会うまでの間に起きた事等を話す。
時間に余裕がある時は映画を観たり…ただそれだけであったが、お互いに会う事を楽しみにしていた。

駅前広場。広場の中央に噴水が有り、ちょっとした憩いの場になっている。此処を2人は待ち合わせ場所にしている。
「星野さん 遅ーい!」
九太郎の姿を見付けると、ノノは手を振った。
「ハァ…ハァ… ゴメン、また遅刻だ」
ノノに駆け寄り、呼吸を整えながら誤る九太郎。
「いいよ。忙しいんだもん、私も今日は15分遅刻」
笑顔のノノ。ホッとする九太郎。
「さて…と、先ずは腹ごしらえ、だな」
「…… だね」
歩き出す2人。肩が触れそうで触れない、微妙な間隔で並んで歩く。時折擦れ違うカップルは手を繋いでいたり腕を組んでいたり。少し羨ましい気持ちになる九太郎。
食事をして、話をして…… ただそれだけ。ノノを異性として意識し始めた九太郎にとっては物足りなさを感じ始めていた。もう少し、ノノの事を知りたい。2人の距離を縮めたい ――。
―― でも、どうやって?
―― ノノはどう思っているんだろう?今のままで満足?
―― 俺の事、どう思ってる?

「私、明日休みなんだ。星野さん、時間、まだ大丈夫だよね?」
店を出て歩き出す2人。ノノが腕時計を見ながら言う。
「うん… 何処か行きたい所、あるの?」
「ちょっと 付き合って欲しいんだ。一緒に来て」
「……?」
「海に行ってみない?」
「…… 海??」
ノノに着いて行く九太郎。細い通路に入って行く。
「早く。こっちこっち!」
手招きをするノノ。
「……ノノちゃん、一体何処に行くんだよ?」
突き当りの扉を開けるノノ。
「―― ちょっと待ってて…… ハイ、これ」
「?! コレ…… 酸素ボンベ…?」
ノノも酸素ボンベを1つ抱え、扉を閉め歩き出す。ノノの後を着いて行く九太郎。
「こんな物持って何処行くんだよ?」
不安になって来る九太郎。
「この先にZPSの置いてあるエアロックがあるの。そこから月面に出ても平気なんだ」
「へーェ… ?! ―― 外っっ?!」
思わずボンベを落としそうになる。月面に出るのは研修以来だ。
「平気平気。早くしないと時間が無くなっちゃう」

―― 見上げると、そこは地球では見たことの無い満天の星空。
音は無く、当然ながら風も無い。着慣れないZPSのせいで歩きにくい。転ばないように足元を見ながら慎重に歩き出す九太郎。
「通信、入ってる?」
ノノの声に視線を上げると、遙遠くにノノの姿があった。
「ウ、ウン聞こえる。ちょっ… ちょっと待って…」
「あははッ はーやく!」
両腕を広げたノノはジャンプをして、そのまま横にクルッと1回転する。
“お月様にはね、ホラ、ウサギさんが居るんだよ ――― ”
いつだったか、幼い頃に母親が聞かせてくれた昔話。今となっては単なる子供騙しの話でしか無いのだがノノの姿を見た瞬間、忘れていた記憶が蘇った。
大人になったら月へ行って、そのウサギを見てみたい。宇宙への憧れを抱き始めた最初のきっかけは“月のウサギ”だったっけ……。
仕事に追われ、精一杯の毎日で自分の夢を見失い掛けていた自分を気付かせてくれた“月のウサギ”。
「―― ありがとう ノノちゃん」
「…? どうしたの?」
「ノノちゃんがウサギに見えた」
「? ウサギ?? ―― こんな感じ?」
両手をメットの上にくっ付け、飛び跳ねる。
「ウフフッ どう? …尻尾は無いけどネ」
「ハハハッ ―― うん 可愛いよ」
笑う2人。

「ね、星野さん、今日は地球が真ん丸だよ」
地球を指差すノノ。その先には真っ青な地球が浮かんでいた。
「あ…… 本当だ。外で観るのは久し振りだな」
ようやくノノの傍まで追い着き、暫くの間黙って地球を眺めていた。
「私、ずっと前に習ったんだ。命の始まりって皆海からなんだって」
「…… そうだっけ?」
「うん。 ―― 命って……綺麗だね」
「…… そうだね」
「海…… 見てみたいな」
「海、か……」
1つ深呼吸をして、思い切ってノノの手を握る九太郎。胸の鼓動が早くなる。
「…… 星野さん?」
「ノノちゃん… 俺の事、どう思ってる?」
下を向き、黙っているノノ。
「俺は… もっと… ノノちゃんの事を知りたいと思ってる」
「……私だって もっと… だけど…」
「だけど?」
「星野さん、いつかは地球(おか)に帰っちゃう…… だから…」
「…それは… だけど、ノノちゃんはもう大丈夫なんだろ?地球(おか)の重力に耐えられるって」
「でも 実際わからないもん… 恐いよ……」
「…… 俺と一緒でも、恐い?」
ノノの手を握る手に力が入る。
「今は忙しくてさ、まとまった休暇が取れないしノノちゃんだって忙しいけど、その内……」
「その内?」
「本物の海、観に行こう、2人で。」
「―― うん。嬉しい。」
ノノの目から涙が零れる。

「私ね、海に行ったらこうやって遊ぶの。あ、そうだ」
九太郎の足元で砂山を作るノノ。
「―― なに?」
「水着、買わなくちゃ… どんなのがいいかな?」
「うーん…… そうだな……」
ノノから少し離れ、ノノの全身を見る九太郎。
「…… ZPSの上からじゃイメージが湧かないよ」
「アハハッ それもそうだね」
「あー、でも布が少ない方がいいかな……」
「布……? わ、星野さんってエッチ!!!!」
「男は皆 そうなんだよ」
暫くの間、2人は月面散歩を楽しんだ。

「今度会えるのは再来週だね。また連絡するね」
「あ、ああ……」
寮の前までノノを送る。九太郎の仕事が忙しくなる為、暫く会えなくなる。
「星野さん、最近何だか疲れてるみたい。無理しないでね」
「あー、大丈夫…… あのさ」歩き出すノノを呼び止める。
「なに?」振り向くノノ。
「明日、休みだって言ってたよね?」
「? うん」
「今度は俺に付き合ってくれない?」

――― 3日前。 久し振りに実家に連絡をした九太郎。
生憎、ハルコは愛の子供を連れて散歩中で愛が電話にでた。近況報告をして電話を切ろうとした時、愛が切り出した。
「…… ノノちゃんとはどうなってる?」
少し前にメールで愛にはノノとの事を報告していたのだ。
報告… といっても、時々食事に行ったりする程度ではあるが、出会いのきっかけや、自分はノノに好意を持っている事。
「うん…… それで…なんだけどさ」
「何? 今なら相談にのれるけど?」
未だハルコには口止めをしているのだ。
「最近、マンネリっていうか… 他に何処か楽しめる場所って無かったっけ?教えてほしいんだけど」
「デート?そうね……ウーン…… アポロ記念公園は?」
「最初に行ったよ」
「ン――…… あ。」
「なに? 何処??」
「ステーションのホテルとかは?」
「ああ… ステーションの―― って、ホッホテッ――」
受話器を落としそうになる九太郎。
「知らなかった?時間で部屋を借りて、其処で食事したり映画観たりするの。」
いつだったか、同僚のリュシーに同じ事を言われた事を思い出し、笑う愛。
「……そうでもしないと2人きりになるのは難しいでしょ?お互い寮なんだし。」
「あ… まァ… そうだよ…ね」
「勿論、そのまま泊まってもいいし?」
少し意地悪く言う愛。
「愛さん… 冗談キツイよ!」
「経過報告、待ってるからね〜! が、ん、ば、っ、て!! じゃあね」
電話は切れた。

「―― 頑張って、って…そりゃねーよ……」
通話の切れた受話器に向かって独り言を言う。胸の鼓動が早くなっていた。顔が熱い。
“ナ…何動揺してんだよ、俺は… 落ち着けッ……”
スーツの胸ポケットから電子手帳を取り出して来て、スケジュールを見る。
ノノとの次の約束は3日後だ。
“確かに今の俺達が2人きりになるには良い方法かもしれないけど……”
“時間で部屋を借りるって…これじゃまるで…… ”

「 ―― 星野さんッてば!」
「エッッ?! あ、何?」
耳元でノノの声がして我に返る九太郎。
「……今、私の話、聞いていなかったでしょ……」
ノノは少し怒っている。ツカツカと九太郎を追い越し歩く。
「ゴメンッ…ちょっと考え事してた… もう一度言って」
ノノに追い着き、腕を掴むとノノは立ち止まった。
「だから、今日は… もう少し遅くなってもいいかな、って…… 言ったの」
「えっ……」
「……暫く会えなくなるんでしょ、寂しいよ…私。星野さんは平気なんだ」
エレベーターへ急ぐ人達が2人を見ながら追い越して行く。
「そんな事ないよ」
エレベーターを見る。上りのエレベーターの扉が閉まりかけていた。
「―― 待って!乗ります!!」
ノノの手を引きエレベーターに駆け込む。2人が乗り込むと同時に扉が閉まった。

混雑するエレベーター内。
ノノは少し体を傾け、腕時計を見る。門限の時間まで僅かだった。
“今から急いでも間に合わないか……”
小さく溜め息を吐いた。門限に遅れたからといって何か困る事が有る訳ではないが、未成年の頃からの習慣で、この時間になると急いで帰らなくてはという気持ちになってしまう。
明日は休日…九太郎は仕事だから会えない。お互いのスケジュールの調整が上手く行かず、この先半月は会えなくなる。
だから別れ際の九太郎の誘いは思いがけず嬉しかった。
もう少し遅くなっても ―― ノノにとっては精一杯の勇気だった。
大胆過ぎただろうか、九太郎は気を悪くしたのではないか、と少しずつ後悔し始めていた。
「凄ェ混んでる……大丈夫?」
九太郎がノノの顔を見下ろした。
「うん…平気」
ノノが顔を上げた。丁度その時、ノノの背後の客が後へ下がった。
「ァ… 失礼」
ノノは押され、九太郎の体に押し付けられる。
九太郎の唇がノノの額に触れた。
「……ゴメン……」
身動きが取れない状態で少しでも離れようと、九太郎は顎を引いた。
「……ううん」
ノノは繋いでいる手を強く握り返した。

“これからどうしようか……”

此処が地球(おか)だったら ―――
ノノちゃんの行きたがっている海にでも連れていくとか、車で夜景の綺麗な所へでもドライブするとか。
初めて観る海が夜の海なんて可哀想かな…真っ暗で恐いだけだ。
そういえば、こっち(月)に来てから車の運転なんか無縁の生活だな…。学校の合間にバイトして金溜めて免許採って……兄貴のバイクは随分乗らせて貰ったけど、車は殆ど乗らなかったなー、今どうなってんだろう? 母さんが乗ってるのかな?
……21時半か……引き止めておいてコレじゃマズイよな……でも暫く会えなくなるし。
ノノちゃんだって俺と会えないのは寂しいって言ってた… 信じていいのかな。
まだ俺、ノノちゃんにハッキリ言ってないよな“好きだ”って ――――
そんな事を考えながら行く宛ても無く、ノノの手を引き歩く九太郎だった。
歩くスピードが少しずつ早くなる。ノノはそれに合わせ着いて行く。
“星野さん、明日も仕事なのに… 私があんな事言っちゃったから困ってるのかな”
ノノは時折九太郎の横顔を見ながら考えていた。
「……戻って来ちゃったね……」
ノノは九太郎に話し掛ける。
「あ… うん……」
最上階でエレベーターを降り、ステーションのホールまで来る。
平日はこの時間になると広場も人が疎らになる。このまま真っ直ぐ行くとホテルの入り口になる。
数日前の愛との会話を思い出してドキリとする。
当然、それなりの事を想像してしまったりする。軽く頭を左右に振った。
「あ… あのさ、初めて会った時の店、行ってみない?」
「? うん… でも」
「でも?」
「星野さん、明日も仕事だし…遅くなっちゃう」
「平気平気。ちょっと…話したい事もあるんだ」
再びノノの手を引き歩き出す。
2人きりの時間を過ごす事を考える前に大事な事忘れてるじゃないか…落ち着け、と自分に言い聞かせる。

カウンター席に座り、九太郎は水割りをオーダーする。
普段は自らすすんでアルコールを採る事は滅多に無いのだが、勢い付けに必要だった。
ノノは運ばれて来たソフトドリンクを一口飲む。
「……星野さん、困ってる?」
少しの沈黙の後、ノノはグラスを見詰めたまま話し始める。
「…俺が? どうして」
九太郎はノノの顔を覗き込む。
「さっき私が…あんな事言ったから…困っているんじゃないかな、って思って」
「あんな事って?」
「……もう少し…遅くなっても… なんて言ったから……」
自分の思い切った言葉に、恥ずかしい…言うんじゃなかった…と後悔の念に駆られていた。
ノノは九太郎の顔を見る事が出来ずに下を向いたままだった。
「困る所か俺は… 嬉しかったけど」
「……本当? よかったァ……」
ノノは顔をあげ、気持ちが解れて表情が明るくなる。
「そうだ、話って何?」
「えっ?」
「さっき、私に話したい事があるって」
「あ…あァ、そうだった…」
急に緊張して来た。少しネクタイを緩める。
「 ―― あのさ、あの……」
グラスの中の氷を見詰めたまま話し始めた。
「さっきの… “外”の話の続きっていうか……」
「続き?さっきの?」
「ノノちゃん… 俺と“海”、見に行くって言ったよね」
「ウン。行きたい」
「俺も… ノノちゃんに“海”を見せてあげたいって思ってる」
グラスを持つ手に力が入る。
「その… “友達”とかじゃなくて、ちゃんとした…関係… イヤ、えーっと」
“ウワ―ッ 何言ってんだ俺… 落ち着け――!”
チラッと横を見る。ノノは下を向き、黙って聞いていた。
九太郎は動揺を隠すように水割りを一気に飲み干す。

空になったグラスを弄ぶ九太郎。
「さっき、言えなかったんだけど…俺と… 付き合ってくれないかな」
もっと気の利いた言葉を言いたかったが、今思っている事をそのまま言葉にした。
「……初めて会った後、もう一度会いたいって思ったんだ。そういう気持ちになったのは初めてだった」
「……私も」
下を向いたままノノは答えた。
「また会いたいって言ってくれた時、物凄く嬉しかった……」
「ホント?」
「うん。あの時、私も星野さんとまた会いたいって思ったから」
漸くお互いに視線を合わせる。
「あの時、凄ぇ勇気要った」
「私、嬉しくって舞上がっちゃった」
「……一目惚れってヤツかな」
「そうなの?」
「俺の第一印象ってどんなだった?」
「……言っていいの?」
「いいよ、言って」
「…チョット難しそうな人、かな?でも話してたら違うかもって」
「へぇ……」
「それじゃ、私は?」
「いきなり“ハチマキの弟?”だもんな、チョットむかついた」
「あ…! あの時は御免なさいッ でも」
「冗談だって… 病院での事はあまり記憶に無いっていうか、腹減ってたからなー
この店で会ってからは……」
「……からは?」
「だから、それは…さっき言ったろ?」
「――― お互い、一緒だったのね」

「……明日から暫く会えないネ……」
ノノはストローでグラスの中の氷を突きながら寂しそうな表情になる。
「うん… でも、連絡は毎晩するから」
「ホント?……待ってる。遅くなっても大丈夫だから。私からもするね」
嬉しそうなノノの笑顔は九太郎を和ませた。

店を出ると人通りは少なく、2人の足音だけが響く。
元来た道を歩き、エレベーターホールまで来る。
「寮まで送るよ」
九太郎はノノの手を握った。
「遅くなっちゃったね。明日、大丈夫?」
「平気平気……」
エレベーターに乗り込み、静かに扉は閉まる。
さっきの混雑とは反対に乗り込んだのは2人だけだった。
九太郎はノノの肩を抱いた。
「……キスしていい?」
ノノが九太郎の顔を見上げた瞬間、返事を待たずに九太郎はノノの唇に軽くキスをした。
顔が離れたと同時に扉が開いたが、ノノはその場から動かなかった。
「 ? 降りないの?」
九太郎の言葉にノノは言った。
「星野さん、ズルイ」
「……ゴメン、迷惑だった?」
「……そうじゃなくて……」
ノノはエレベーターから降り、九太郎に近着く。ムッとした表情に九太郎は焦る。
「……初めてなんだから…もっと…そんな急いだりとかじゃなくて……」
「……悪かった…… でも、仕方ないだろ?2人きりになれる所なんて少ないんだし」
3日前、愛と電話で交わした会話を思い出し、思わず口を押えた。
“イヤ、早過ぎるよな……ウン、今日はそういうのは考えるな”
九太郎はノノを直視出来ない。

「此処でいいよ、どうも有り難う」
ノノは寮の少し手前の細い路地で九太郎に言い、手を離す。
「そう…か、また連絡するよ」
さっきの一件でお互いに気まずくなり、顔を見ることが出来ない。
「うん… 待ってる。仕事、頑張って……」
「うん……」
「……さっきはごめんね」
「イヤ…… 俺の方が悪かった。俺… 焦ってた」
「え?」
「そんな焦る事、無いのにな…… ゴメン」
「……星野さん……」
俯いたまま立ちつくす九太郎に近着くノノ。
「?」
「今度は焦らないで… ちゃんとして?」
「ちゃんとって…… ノノちゃん?」
「……だって暫く会えないんだよ?このままじゃ私はイヤだな」
「だ、だけどさ」
「最初にキスしたのは星野さんだよ?」
「それは… そうだけど、ここで?」
周囲が気になる九太郎。幸い人通りは無かった。
赤面した顔で九太郎を見上げるノノがとても愛しく思え、九太郎は
ノノを軽く抱き締めるとゆっくりとキスをした。
ノノは躊躇いながらも勇気を出し、九太郎の背中に腕をまわした。
唇が離れ、お互いに腕を緩める。
「今度はもっと……ゆっくり会いたいな」
九太郎の言葉にノノは小さく頷いた。

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