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●亜米利加レコード買い付け旅日記 10
大江田信
<番外編・レコード盤にまつわるちょっとした言い回し>
買い付け旅行中には、もちろん阿部と大江田のあいだで様々な会話をするのだけれども、この10月の買い付け中に気づいたことに、僕らが会話の中に使う不思議な用語って、たぶんわからない方が多いのではないかということだ。業界用語というほどもないけれども、ある種の符帳というか、ぼくらの間で分かり合って使っている言葉がある。独特の言い回しや、略語もある。今回はそれをちょっと整理してみようという思いついた。もしかすると輸入中古店の実態、ハイファイの不思議を、少しはお伝えできるかもしれない。思いついたままに、いくつかピックアップして書き出してみることにしよう。
●針トビ
レコードの盤面になんらかの傷があり、レコード針が溝をトレースできずに、音トビをおこすこと。
針飛びするレコードはもう直らないと思っている方が多いが、これはうまくやれば直すことができる。溝がなんらかの要因でつぶれているために針がそこを通らないのが、針トビの原因だ。だとすると、つぶれている溝を元に戻してやれば針が通るようになるはず。
症状が軽い場合の修復方法は、トラブルを起こす箇所の先から、レコードをゆっくりと逆回転すると直ることがある。その際にカートリッジの上に、5円玉なり数枚の1円玉なりをおいた方がいい。ゆっくり、ゆっくりと針を戻す。
これを数回繰り返して、直ればめっけもの。どうしてもダメな場合は、こんどは爪楊枝の登場である。爪楊枝を使ってトラブルの箇所を。針を戻すのと同様に先から手前にトレースする。これで直る場合もある。
もちろんこれらは外道な方法なので、こと時と場合によっては直らないし、かえってノイズを残すことになる場合もある。ゴミを一緒にプレスしてしまった、盤がゆがんでいるなど、修復不可能な場合もある。とはいえ試す価値がある方法があるだけでも、針トビのレコードの前で茫然とたたずむしかない場合など、救われる気持ちになるはずだ。
とあるイージー・リスニングのコレクターの方にうかがったところによると、60年代中期以前の古く汚れているレコードの場合だと、レコードの最も内側から冒頭に向かって、針をおいたままゆっくりとターンテーブルを逆回転させるといいのだそうである。ノイズがとれ、音質が向上することがあるという。ものすごい荒療治をなさる方もいるのである。
●底抜け
レコード・ジャケットの下部、そこの部分が破けていること。手にしたレコードを、そのままストンと落ととし、それがなんども繰り返されると、しまいにはジャケットの底が抜ける。ハイファイの店頭にあるレコードは0.9ミリ厚のビニールで包装して、段ボール箱に収納している。そのビニールを突き破ってしまっているレコードもある。レコードは想像以上に、重いのだ。
どうしてこのところ底抜けが起きるようになったのかというと、これはレコード・ケースに収められているレコードの数が多すぎることから来るのではないかとも思う。スペースに余裕のあるアメリカのレコード・ショップでは、おおむねゆったりとレコードが入れられている。底抜けしているレコードは、まずない。ゆったりとレコードが入れられていると、格別にレコードを引き出さなくても、ジャケットを見ることができる。かつてレコードが主流だった時代は、日本の新譜店のほとんどでそうしてケースに収納するのが通例だったので、中古盤店でレコードを見るときも、決してレコードをストン、ストンと落としながら見る人はいなかった。
かつての時代を知る年輩の方は、やはり丁寧にレコードをご覧になる。若い人のあいだには、ときおりストン、ストンとレコードを落としながらすごく速いスピードでレコードを見る人がいる。本人は、それを格好いいと思っているふしもある。こうした態度を僕は許すことができない。
速いスピードでレコードを見る事なんて、実は偉くもなんともないのだ。要するに自分がジャケットを見たことがあるレコードを、彼は探しているだけ。並んでいるレコードから何かを発見しようとか、ジャケットに書かれていることに興味を傾けながら、おもしろそうなレコードを探し出そうという態度のかけらもない。もしかすると、いとおしく愛することになるかもしれないレコードを乱雑に扱うことのなかには、彼の音楽に対する態度がにじみで出ていると思ってしまうのだ。
DJの現場では、暗闇の中で、グァシッとレコードをつかみ、操ることが必要となる場合もある。そうした荒っぽさを通して見えてくる音楽があることも、充分に理解できる。確かにレコードはモノだ。
しかしどうしても僕は許せない。そうした人に、ハイファイでは止めて欲しいと声をかけることがある。お願いをする。そうしながらも、これでいいのだろうかと葛藤も残る。
どうしたら底抜けを防ぐことができるのか。なにかいい方法はないものだろうかと、常日頃に考えあぐねている。
●スクラッチ
scratch
「ひっかき傷」のこと。針トビはしないまでも細かい傷で、プレイ中にチリチリと音がする場合、そのアルバムにはスクラッチ・ノイズがあるなどと使う。
レコードが手荒く扱われたことから傷付く場合もあれば、使われていたレコード・プレイヤーの品質が大きく影響する場合もある。日本盤の中古には、それほどスクラッチ・ノイズがない。あるとするとそれはかつて有線放送の代わりに喫茶店で使用されていたものだろう。スクラッチ・ノイズとは縁が深いのはアメリカ盤で、スクラッチのないシングル盤にお目にかかるのが難しいぐらいだ。
必要以上に針圧の重たい針でプレイした場合、またレコードの溝の太さに対して、必要以上に太い針でプレイした場合にスクラッチが起きる。アメリカのプレイヤーには、いまだに古くさい機器が使われていることもあるので、推してしるべきかと思う。一億総オーディオ・マニアとまではいわないまでも、日本人のレコード・ファンの方がプレイヤーにずっと神経を使っている。
パッと盤面を見てきれいだなと思ったのに、ノイズが出るのは、プレイヤーが残したスクラッチのばあいが多い。ゴミによるノイズは、洗浄機を使えば、完璧にとれる。盤質に気を使われる方は、試聴を通して確認をされるのがいいだろう。
なお余談だが、放送局向きに配布される宣伝用サンプル・レコード(DJ盤とも言う)の中古盤の多くは、盤質がいい。一放送局に配布される枚数は10枚、20枚と多く、それらのすべてが使用されるとは限らないからだ。そのうちに倉庫が一杯になると、放送局はサンプルを処分する。こうして未使用のレコードが中古店の店頭に並ぶ。
サンプル盤には、ジャケットにオン・エア推奨曲のステッカーが貼ってあったり、書き込みがあったりする。シュリンクしないで配布する(一刻も早くプロモーションをしたいからだ)ことがほとんどなので、ジャケットに多少の汚れがあったりもする。ジャケットの美観を求める方は、サンプル盤を嫌う。しかし盤質の良さという点では、サンプル盤はおおむね良好の場合が多い事を、お知らせしておきたい。
●初めて見た
買付中は、朝の10時頃から夜は8時近くまで、一日中レコードを見る。はっきりとした数は解らないけれども、おそらく一度の買付で数十万枚は楽に手にしていることになるのだろう。仮に一日3万枚を見ているとする。だいたいハイファイ6軒分くらい。これくらいは見る。1回の買い付け、ほぼ20日間で60万枚。これを年に4回。となると240万枚。5年間で1200万枚という驚異的な数字になる。
もちろんそのすべてではないだろうが、驚くべき事に一度でも手にしたレコードは、しかもそれが面白いものであればあるほど、ジャケットのたたずまいを覚えてしまうのが阿部君の得意ワザである。
彼の前に初対面のレコードがまるで処女の出で立ちを持って登場した時に、彼が発する言葉がこれだ。「初めて見た」。このあとに次のように続くのである。「初めて見るレコードがあると、むかつくんですよねえ」。
●魚や
渋谷駅近く、井の頭通り沿いの居酒屋。東急ハンズに向かう道すがら、富士そば向かい交番の少し先の左手。
ハイファイで勤務を終えたスタッフが、一杯飲みに行く定番の一軒だ。東京小平にある魚の卸店が経営している。鮮度のいい魚料理を、実に安価に食べさせてくれる良心的な飲み屋さん。多いときは、週に3回も4回も出向いたこともあった。
しまいには店員さんの名前やチェーン店内での人事移動まで知ることになった。そうするうちに、魚やの店員さんもこちらの名前を知ることになる。たまたま店に残っていたお客さんといっしょに繰り出すこともあり、そんなときは「魚に行く?」というのが、一種の暗号。ハイファイのお客さん達が、こんどは自分たちだけで通うこともあるらしい。テーブルに着くと、「さっきまで、XXXちゃんが来てたんだよ」と、笑いながら声をかけられることもある。XXXはハイファイ常連の女性の名前だ。ノア・ルイス・マーロン・タイツのメンバーである森田君は、珍しいスーツ姿が話のきっかけになって、店のスタッフから就職祝いのビールを振る舞われたこともあるそうだ。
スタッフがにこやかにフランクにお客さんに声をかけることが、店の雰囲気を作っている。居酒屋激戦区の渋谷で、実にまっとうな商売をしながら、生き残っているユニークな店だ。
●U-Haul
アメリカでレコード買い付けをされているショップの方ならばどなたもご存じに違いない。引っ越し用のレンタル・トラック、梱包部材などを専門とするチェーン・ストアだ。アメリカ中のどこにでもある。
レコードを梱包する段ボール箱は、実はなかなか適切なものがない。あったかと思うと値段が高いとか、ほんのちょっと小さくレコードが入らないなど、残念なことも多い。そうこうするうちにU-Haulの段ボール箱に気づくことになる。アメリカの中古店でこの箱を販売用のレコードケースに使っているところもあるからだ。
ただし残念なことにこの箱、段ボール紙が薄く、いまひとつ強度に問題がある。アメリカから日本に着く間に、箱が破れることもあり万全ということではない。補強が必要になるのが、難点だ。
そんなことからか、段ボール箱にぼくらはひとかたならぬ関心がある。あるとき阿部君がどこだったかの空港で東インド会社(East
India Trading
Company)の名前が書き込まれた段ボール箱を見つけた。東インド会社といえば、世界史に登場する名前ではないか。ブリタニカによれば、イギリスのそれは「1600年、東洋貿易を目的とする諸会社を合同して設立された株式会社」とある。この会社が今でも継続しているのかどうかはよくわからない。相次いでヨーロッパ各国に設けられた東インド会社のうち、オランダとフランスの東インド会社は、その後18世紀から19世紀にかけて解散している。
その後、僕も東インド会社の箱を見た。世界史は、飛行場に転がっていた。
(大江田 信)
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