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Yasunari Morimotoの'Live Scraps'No.10

「転がる石に苔がむすまで」
 あのー、巷間よく言われる「加齢による記憶力の変調」ですけどね。「固有名詞が出てこない」っていうヤツ。
 これねえ、経験するようになるとわかるんですけど「全体的に固有名詞が出てこない」ってわけじゃないんですよね。偏りがある。たとえば。

 僕がよく思い出そうとして出てこない人名にステファン・グラッペリという名前が あります。もう絶対すぐには出てこない。んで、思い出そうとしたときには出てこなくって、それから数時間経った、例えば冷蔵庫の中のビールを探してるときなんかにふっと思い出すわけです。「そうだ、ステファン・グラッペリだ」なんていうふうに。
 んで、それをつい言葉に出してしまって、横で包丁を握っている妻に怪訝そうな目で見られたりする。そういう経験が日常茶飯事としてある。

 それでもってですよ、僕の場合この「ステファン・グラッペリ」を思い出そうとすると、必ず出てくるのが「フェリックス・パッパラルディ」なんですな。
 「えーと、えーと、ほらあの、ラリー・コリエルと一緒にジャンゴを演奏したあの、ニールス・オルステッド・ペデルセンも一緒だった、ほれ、あの」と考えて出てくるのが「フェリックス・パッパラルディ」。もういいかげんにしろよ、ってかんじ。

 ことほどさようにこういう他の複雑な名前はホイホイ出てくるわけだから、「固有名詞が全部出てこない」わけじゃなくて、「記憶力の変調」と言うよりは「「記憶力 の偏重」っていう感じです。どういうわけなんでしょうね。
 だいたいどうしてステファン・グラッペリを思い出そうとするとフェリックス・ パッパラルディが出てくるのか、その因果関係がわからない。弾いてる楽器も違うし、音楽の種類も近くないしね。「ファ」と「フェ」が近いからか、それとも「ラッペリ」と「パッパラ」が近いからか。ともかく不思議な感じです。それに加えて最近、眼もおかしくて(笑)

 えー、たぶんいわゆる「老眼」っていうのなんでしょうけどね、こう、全体的に焦点が甘いわけ。だからパッと、例えば新聞の見出しなんかを見たときは全体のイメージで内容を把握するようになる。これはまあ、歳を重ねて経験値が若い人より多い分、頭の中の情報量があるからできることで、「はっきりと見えなくても内容がわかる」という点で視力の減退を補って余りあるものがあります。ところが、これにも副作用があって、それは「自分の都合のいいように読む」ようになっちゃうこと。つまり個人的な事情でいうと「面白い方に、面白い方に」読んじゃう。「お笑い」が好きだから。これが時々困るわけです。

 こないだも新聞を読んでいたら広告に「豚の関節が気になる方に」って書いてあって驚いちゃった。「なにー?ブタの関節う?」。
 へー、あれも鳥の関節と一緒で揚げて食べたら(鳥の関節。油で唐揚げにして塩・ コショウをふって食べるとメチャクチャうまいんですよ、大江田さん!)ウマイのか ね、なんて思いながらよく見たらこれが「豚」じゃなくて「膝」。「膝の関節」のトラブルを直す健康食品の広告だったもんで、いっそトホホな気分です。
 続いてワールドカップ・サッカーをやってた時もまた。前日の結果を報じる新聞のスポーツ面のコラムに「スットコドッコイの眼」なんて書いてあるから、ふーん、面 白いコラムの名前つけるんだなー、とよく見るとこれが「ストイコビッチの眼」。ひとりで大爆笑ですよ。ホントにもう。

 こんな風にパッと遠くから見ると面白そうに見えるけど実はそうでもなかった、っていうのが今回のお話。いやー、やっと到着しました。すいません。長い前フリでし たね。

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 そういうわけで1975年の春、暗くも楽しい浪人生活の結果、10校受けてよう やく引っかかって通い始めた大学は、浪人している外から見た場所とは少し、いやかなり違う世界だった。それはまず「音楽をやりたい」と思って訪ねたクラブが始まりで、結局その後、僕が音楽を演奏することなく、聴くだけになるのは(もちろん向かなかった、ってこともあるんだろうけど)これがそのきっかけだ。

 「そこ」には僕と同じく音楽をやりたいと言う新入生が数人いた。当然音楽の話になるかと思ったが、最初に誘われたのは喫茶店だった。そこで音楽についての話を切 り出したが、彼らは高校の同級生とは違っていた。彼らはジョン・セバスチャンはおろか、ラヴィン・スプーンフルも、ジョー・コッカーもカントリー・ジョーも知らな かった。ウッドストックの映画すら見ておらず、口から出てくるのはラジオや有線でよくかかる当時流行中のディスコ・キッド達の名前だった。
 悪い人たちではなかった。そんなものかもしれない。と思った。そして、誘われるままに飲みに行った。新宿。六本木。ディスコ。ビブロス。長崎物語。カンタベリー ・ハウス。インドネシアラヤ。踊りたくない僕はボックスシートに座り込んで、踊る人たちを眺めながら水割りを大量に飲んで吐いた。
 高校の時にはあんなに飲んでも吐くことはなかったのに、なぜだろう、と思いながらまた吐いた。収穫といったら、そこで出会った、やはり同級生だが一歳年上の女性に教えられて読んだマルクス、エンゲルスの文庫本が意外と面白かったということだけだった。彼女はディスコの暗闇でそんな話をした半年後に大学を去った。

 授業に出ると、知らないことを知らない言葉で話す教授と、入ったばかりだというのに「就職によいのはどこの教授か」と話す同級生がいた。これからの数年をそこで 過ごすのかと思うと、少し、途方に暮れた。いる場所を間違えたのか?
 もちろんもう一度半年前の生活に戻ることなど考えられなかったが、試しに浪人の頃に携えていた「試験に出る英単語」を開いてみると、驚くなかれそのほとんどを覚 えていなかった。逃げ場はなかった。

 5月に姉が入学祝いに、と連れて行ってくれた「クイーン」の初来日コンサートが 救いだった。3枚目のアルバムをリリースした翌年で、「オペラ座の夜」を発売する直前のコンサート。真っ暗な武道館の中に"Procession"が流れた後、途方に暮れる僕の前にすっくと立ち上がったフレディー・マーキュリーがカッコよかった。一曲目の "Now I'm Here"から始まったコンサートは瞬く間に終わった。

 一ヶ月後、僕はその音楽クラブを立ち去ることにした。きっと、たくさんある音楽クラブの中から選択を間違えたのに違いない。そこで知り合った同級生達が違うエリ アの人々となり、キャンパスですれ違ったても「よう」と、挨拶を交わさなくなるまでに、半年とかからなかった。すでに彼らの手に楽器はなかった。音楽にはそんなに深い興味はない、そういう人たちもいるのだ、と彼らが教えてくれたのだった。

 そして、もうすぐ夏休みという頃、7月の始めだというのに校舎の廊下に机を出し て、新入生を勧誘している人たちがいた。部員が足りないのだ、という。高校時代にも入っていた漫画倶楽部だった。
 高校時代の環境を延長したかったのかもしれない。思わず机の上にあったノートの入部希望リストに名前を記し、そのまま夏休みに入った僕は未だに浪人生活を続けていた高校時代の友人達と、その夏を過ごすことにした。山登りをして、そしてまた神保町をうろつき、映画を見、レコードを聴きながらたくさんのビールを飲んだ。しっかりと入学前の生活に戻った。

 そして夏休みが終わり、一緒に過ごした友人達が浪人生活に戻るのを励ましながら見送ったあと、その漫画倶楽部の会合に出て驚いた。そこには僕と同じ人たちがいた。
 音楽とSFと映画と、そして何より漫画と絵が好きで、しかもひねくれて、世間をはすっかいに見ていた。全員が。つまり。
 彼らは「踊りたくない人たち」だった。そして、僕は残りの3年半の大学生活を、 ここにいた人々の間で過ごすことに決めた。かくして「転がり続けていた石」はようやく落ち着く場所を見つけ、そこで苔を生やした。

 そうと決まると堰を切ったようにコンサートへ足を運んだ。フォーカス、ルー・ リード、ステイタス・クオー……。
 そしてその年のクイーンのステージと共に僕の記憶に深く刻まれたコンサートが、 かのイヴォンヌ・エリマンと共にステージに立ったエリック・クラプトンのライブ だった。アルバム"E.C Was Here"とほぼ同じステージはバックの演奏も含めて素晴らしかった。
 その後、デビッド・クロスビー&グラハム・ナッシュのコンサートにクラブの先輩と一緒に行く頃になると、世間ではウエストコースト・ブームが始まろうとしていた。
 今でもその中の数人が僕の周りにいて、一緒に遊んでいる彼らと、街を歩き回り、 飲んでは口論をし、そしてまた飲んだ。大学1年の終わりになると、ニール・ヤングが来日した。

 小説や漫画には「人生を決定づける瞬間」がある、とよく書いてある。イラストレーターとして生活をしている今になって思うのだけれども、結局のところ、今に至る僕の人生を決めたのは、当時生協でよく見かけたあの安い大学ノートの「入部希望者」という手書きの表組みに、自分の名前と住所を書いたあの瞬間だったのかもしれない。
 人生がけっこう簡単に転がっちゃうことも、あるのだ。

 次回はニール・ヤングのコンサートの話から始めるウエスト・コースト・ブームのお話です。

クイーン チケット [クイーン チケット]
日本公演最終日。 異様な盛り上がりで、ファンの間でも未だに語りぐさになっているライブらしいですね。

フォーカス チケット
[フォーカス チケット]
"ハンバーガー・コンチェルト"と"フォーカス・ポーカス"しか聴いていないのにそれが好きで行ったコンサート。イアン・アッカーマンのギター炸裂。

ルー・リード チケット
[ルー・リード チケット]
"Sally Can't Dance"を出した直後だったか?こぢんまりとしたステージだったけどさすがに迫力がありました。なんかこう「怒られてる」感じがしたのを覚えてます。

ステータス・クオー チケット
[ステータス・クオー チケット]
まだちゃんと聴いてもいないのに、その存在感から「行っておかなくちゃ」と思って行きました(だから二階席)。この頃からギターもぐるぐる回してくれて楽しかった けど 曲が全部ほとんど同じなので(笑)ちょっと眠くなりました。

クラプトン チケット
[クラプトン チケット]
別に「招待券」ではありません。当日会場へ行ったら、ちゃんと買った席にPAが置 いてあって強制的に席を移動させられたのです。しかもちょっと後ろへ。憤慨したけど文句は言えませんでした。若かったんだね。コンサート自体は良かったですよ。


クラプトン ステッカー
[クラプトン ステッカー]
けっこう大量にばらまいていた記念ステッカー。布製です。席を移動したおわびにもらった訳じゃなくて、興行元へ直接買いに行ったらそこにあったのをもらったも の。


チラシ
[チラシ]
今で言えばフライヤーってヤツですか。一色印刷で、あまりお金をかけていませんでしたね。

チラシ2
[チラシ2]
上のチラシのウラ。スージー・クワトロも来ました。僕は行きませんでしたが。

 

 

 


盛本康成

 「人生を決定づける瞬間」。わかるな。後になって気が付くんだよね。その時は、それが決定的な瞬間かどうかは、気づいていない。
 思わず共感するのは、大江田と全く同世代だからかな。いつもと少し違う2枚目タッチの連載第10回目になりました。
 盛本氏ご自身のページで連載しているこちらも、ぜひクリックをどうぞ。(大江田)

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