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●亜米利加レコード買い付け旅日記 12  大江田信


 当方のウェッブ・サイトをご覧になるほどの音楽ファンの方ならば、まずはご存じ の音楽雑誌「レコード・コレクターズ」に連載中のエッセイ、「続・蒐集奇談」が好きだ。著者、岡田則夫氏が集めておられる歌謡曲、演芸ものなど、日本の戦前SPレ コード蒐集にまつわる雑記帳的なエッセイなのだが、なんとも言えない面白みが溢れていて、毎月、毎月、ほんのりしたり、思わず含み笑いをしたり、そうそうとうなず いたりして読ませてもらっている。バリバリのロック〜SSWファンの方が、「あのページが好きで」としみじみ語られる機会に出くわし、心底から共感したこともある。毎回6ページにわたる長さの、決して短くはない文章が、もはや既に連載100回を越えているのだ から、氏の懐の深さというか、これは驚嘆すべきことに違いない。

 ところでこの連載「続・蒐集奇談」には、いくつもの有益な卓見がさりげなく披露されている。たとえば我々のようなアメリカでのレコード探し稼業にとって、最大のヒントとなる事柄が、 何食わぬ顔で記されていることもある。日本でのSPレコード探しにせよ、アメ リカでのアナログ・レコード探しにせよ、古いものを探し出す点に置いては、共通することがらなのかもしれない。なにより岡田氏が掘り出し物のSPに出くわす町と、僕らが掘り出し物のアナログ・レコードに出くわす町とでは、その町の成り立ちに於いて、何ら本質的な違いは無いのだ。

 中古レコード・ビジネスには、お客様よりの買い取りを中心としたリサイクル型と、 価値ある(とスタッフが信じている)レコードを直輸入するセレクト・ブティック型 の二通りがあるように思う。ハイファイはもちろん後者。リサイクル型では、チェーン店、あるいは大型店展開が可能だが、後者セレクト・ブティック型となると、どう しても店舗規模は小さくなり、スタッフの個性が色濃く商品に現れる。店舗運営全体にも、個性が反映する。こうしたビジネス・スタイルの違いは、その店を擁する町の成り立ち具合を抜きにしては考えられない。

 個性の強い店主が生き延びる術を許している寛容な町は、まず間違いなく個性的な気の利いた、それもチェーン店ではない個人営業のレストランやカフェがあるし、ライヴ・ハウスがある場合もある。ジャズ・レコードの豊富さ、フォークやカントリー・ミュージックに対する態度、ブルースやゴスペルの扱いなど、店頭の様子を見ていると、その町の人達の音楽に対する嗜好が、 なんとなく見えてくることもある。まず間違いなく、僕らとは肌合いが会う。大規模モールが点在し、タウン・ハウスが立ち並ぶ新興住宅地には、ユニークなブティック型のショップはほとんどない。むろんインター ネットの時代だから、そうした個性はすこしずつ際だちを失う、とする意見もあるが、 そう簡単にはいかないのがアメリカでもある。

 その店は町の中心街から、2時間ほどかかる郊外の一角にあった。古本とレコードを併売 していて、音楽ソフトは、エジソンが発明した再生装置のために作られた円筒状の蝋管レコード(19世紀末近くに製造された)から、CDまで並べている。体育館2つ ほどもある店舗には、奥の階段をくぐると地下室があるのだが、その店舗にも収まりがつかず、付近に数件の倉庫を借りてレコードを保管している。1枚のレコードを探すために、ひとかたまりもある重たい鍵を手に、複数の倉庫を周り歩くことになる。どこかのチェーン店でも、また一介のブティック・ショップなどでもない。なにしろまるで大学図書館のような規模の古書・中古レコード・ショップなのだ。

 カウンターに座っているのは、にこやかに笑う巨漢の女主人だ。年齢は60歳を越えているかも知れない。すぐ脇に置いたテレビに映し出されるニューヨーク国際貿易 センタービルのニュース映像を見ながら、「何千人もの人達が、一瞬にして死んだのよね、こうして。すると今度はアメリカがアフガニスタンに攻め込んでして、また何の罪もない人々が死ぬことになる。世界は一体、どうなっていくのだろう」とつぶや く。9月11日のテロ以降、アメリカのリベンジは、アメリカの正義だとする空気が支配的な中で、こうした感想に出会うことは希だ。僕が手にしていたピート・シーガーのアルバムをめざとく見つけ、「ファンだったのよ、私はね」と彼女は言う。「ピート・ シーガー、ウィーバース、大好きだったのよ。素晴らしかった。フォーク・ソングか ら、随分と学んだものよ。ニューポートのフォーク・フェスティバルに出かけたこともある、ヒッチハイクをしてね。確か67年のことだった」。

 店主は彼女のご主人だ。体の具合が悪く、もうほとんど動くことが出来ない。文字を書くことも出来ないが、会話は可能だ。口振りには、張りがある。奥の部屋で一日中、そっと横になって休んでいる。高血圧や睡眠障害のために、12種類の薬を一日4回に分けて服用している。とはいうものの、これという 商品の値づけけは、彼が行う。レコードにプライスの記載がない場合は、ご主人の所に 持っていくと、値段が口頭で伝えられる。彼は、克明に音楽の詳細を覚えている。

 一体全体、何枚のレコードがこの店にあることだろうか。アメリカの音楽の歴史の全体、そのものがこの店に収まっているのではあるまいか、と錯覚させるほどの厖大な量だ。おそらくこの老夫婦にも全体量はわかるまい。そのレコード、本、なにからなにまで、彼らが買い集めたのだということに改めて思い当たり、僕は思わずため息をつく。
 「ご主人は、もう動けなくなってしまって、寂しくはないのでしょうか?」。
 彼女は、微笑みながら言う。
 「とんでもない。彼は音楽の記憶と共に生きているのよ。彼はとても幸せ。彼の中 で音楽が生きているのだから」。
 こうしてまた、音楽が生き続けているさまをひとつを、 僕は知る。

大江田 信


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