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●亜米利加レコード買い付け旅日記 15 大江田信
いつも通りに高速道路の高架の下をくぐって、広々とした芝生が広がる敷地に世界各国の国旗がはためくF社の前を横切ると、市庁舎の数ブロック先の右手に、その店「H」はあるはずだった。裏手の駐車場に車を停めてから、入居者募集中の看板をかけてあるだけのガランとしたビルが目立つ界隈を、ちょっと駆け足で走り抜けさえすれば、昼のさなかでさえも人影が薄くていささかぶっそうなこの街でも、飛び切りのレコード屋に飛び込めるはずだった。それが、無い。夕暮れになれば店内のあかりが界隈に暖かさをもたらすささやかな簡易な食堂が、向かいに店を開けている。中はまだガランとしていて、客はいない。女主人を取り囲むようにして半円形に作りつけられたカウンターの中には、いつものエプロンをした老婦人が立ち、手持ちぶさたげにこっちを見つめていた。
ガラス越しに、誰もいない「H」の中をのぞき込んでみる。いくつかのポスターや看板などがいくつか残されていたものの、レコードも無ければ、棚も無い。ガランとしている。いかにも寂しげだ。「引っ越したのかな?」「いやあ、何もないですねえ。引っ越し先ぐらい書いて貼っておけばいいのに」。松永クンが言う。さて、どうしたものか。手元には店の電話番号をメモしておいたノートがある。電話をして聞いて見るという手もあるけれど、どうも気が進まない。アメリカ流の独特の道案内が、うまく理解できないというのもある。そういえば、この店は、中古レコードを扱っている店にしては珍しく、チェーン店だった。ちょっと離れたところに、支店があったはずだ。そこに行って、事情を聞いてみよう。それが簡単かなということなった。
いま来た道を戻って15分。あるはずだった支店のひとつは、こちらも閉店していた。そこからまた10分。もう一つ別の支店に行く。ここはCDだけを扱っている。「本店は閉めちゃったの?」「違うの、引っ越したのよ」。舌の奥にふたつ、銀色のピアスを埋め込んだレジの女の子が、移転先を教えてくれる。なんと、さっき前を通った市庁舎の手前に、3ブロックほど移動していただけだった。女の子が「Take
care! Bye now!」といって、僕らに手を振る。また舌の奥のピアスが光る。
どうやら引っ越しを終えて間もないのか、改めて訊ね当てた「H」は、いかにも整然としたたたずまいだった。店の中、左側に7割ほどにCDが置かれ、右側にアナログ・レコードが並べられている。ほんの一年前の様子と違う。随分と狭くなった。半分もないように見える。「なんだか、レコードが減っちゃいましたねえ」とがっかりしたように松永クンが言う。店の中の空気が明るくなったようにも感じる。レコードのジャンルの分け方、特徴の出し方も少し変わっている。
店には若い女性スタッフが一人、男性スタッフが二人いる。なにやらレジの使い方や、商品の注文の仕方などについて頭を付き合わせて話し合っている。すると甲高い声の中年女性が店に入ってきた。そういえば、彼女には何度か会ったことがある。話したこともある。そう、このチェーン店の女主人だ。きびきびと動き回りながら、店のスタッフに指示を出している。だんだんと思いだした。華やかなで、饒舌で、情熱家。せかせかと動き回る。ジーンズではなくスラックスをはき、はっきりとした色合いのシャツを着る。いかにも仕事が好きだという想いが全身に溢れているタイプだ。
「ちょっと待ってね、すぐ帰るから」と言いながら彼女が外に出ていった間も、僕らはオフィスに乱雑に積み重ねられた在庫をチェックしていた。「そういえば、去年来たときは、山ほどレコードがあったじゃない。あれ、どこへ行っちゃったの?」と聞いた僕に、彼女はあっさりとこう言ったのだ。「捨てたのよ(throw
away)」。「そんな。馬鹿な」と嘆く僕たちを、彼女は店の裏にあるオフィスに案内してくれた。「ここにもレコードがあるから。自由に見てね」。鍵束を手に、彼女は裏の駐車場に出ていく。乱雑に片づけられたポスターやら、2メートル近くもあろうかという蛍光灯の束を動かし、レコードが詰まった段ボールを動かしながらストックを見る。たしかに何枚かの興味深いレコードが数枚あるが、プライスが付けられていない。どうしたものかと思っているうちに、女店主がサンドイッチを手に帰ってくる。プライスの無いレコードについて訊ねてみると、「そうね」と言いながら、店内の男性スタッフを呼び込み、なにやら話している。彼女はレコードのことに、どうもそれほど詳しくないのかも知れない。「全部で40ドル。どう?」彼女の口から、ガーリックの匂いが飛び出してくる。サンドイッチされているステーキに使われているのだろう。
値段の付けられているレコード、付けられていないレコード、それらをひとまとめにしてレジに運ぶ。レジを打つのは、いかにもレコード店の店員に多いタイプの20代半ばくらいの男性スタッフだ。ちょっと気が弱く、口ごもりがちで、いつもTシャツ姿。ジーンズがずり落ちている。レコードについての細かいことにやたらと詳しくて、それを友達と熱心に語り合うのが大好き。愛すべきキャラクターだ。いかにも女の子にはもてそうにない。支払いを済ませる頃になると、女主人が「この街のどこか他のレコード屋にもう行ったの」と聞いてくる。既に買い物を済ませた店のことを話すと、「じゃあ、『G』に行ったら?」と教えてくれる。訳すと「レコード墓場」。スゴイ名前の店だ。「どう?良い店?」「とにかく全部がレコードだから。あなた達だったら好きなはずよ」と二人が口をそろえる。
裏の駐車場に置いてある車まで、店員クンがレコードを運ぶのを手伝ってくれる。「店は彼女のもの?今は彼女がボス?」と聞くと、「そうだよ、彼女が僕のボス。彼女がオーナーだよ」と、いくぶん含み笑いしながら教えてくれる。ボス役を引き受けている彼女と、彼女に仕える彼との関係に、幾分とまどっているようにも見える。「いい人?」、「うん」。まだまだ微笑ましいボスなのかも知れない。
教えられた「G」にさっそく向かうことにする。まだ行ったことがない街に向かう。街の雰囲気もわからない。ちょっとわくわくする。
それにしても、どうして今まで来たことがなかったのだろうか。店に入ってみると、それこそ学校の体育館ほどもありそうな広い店に、すべて床にはレコードだらけだった。隅から隅までレコードだ。シングル、10inch
LP、12inch LPがざっくりと仕分けられている。値段の付けられているレコードもあれば、「Ask For Clerk」と書かれたコーナーには、プライス・タグが付いていないレコードも山ほどある。およそ観光客に向けて営まれているレコード店にはたまにこうした例があり、そうした場合は、お目当てのレコードを持ってカウンターに行くと、客を品さだめするかのような法外な値段を店主から付けられることになる。ところがこの店では、すでに根付けが終わっているレコードが相当数あるので、タグが付けられていなくとも、おおよそ見当は付けられる。決して不心得な店ではない。一安心する。いや、むしろ良心的な店かもしれない。腰までとは行かないものの、肩よりも長くたれた髪を束ねた長身の男性が、どうやら店の主人のようだ。はきつぶしたのだろう、すり切れたジーンズに、ざっくりとしたシャツもジーンズ生地。気ままさが身に付いているように見ける。レコードの整理をしたり、値付けをしたりしながら、店内をゆったりと動き回っている。かたわらでは、若い女性がせっせとレコードを通信販売用の箱につめて、パッキングしていた。
しばらくすると聞き慣れたメロディが耳に付いた。店内に流れている音楽だ。「I'm so lonesome I could
cry」。邦題では「泣きたいほどの淋しさだ」。カントリー・ファンには良く知られたハンク・ウィリアムスのナンバーだ。ところが耳馴染みのあるハンクのボーカルと違う。誰のヴァージョンなのだろうと思ってカウンターまで出向き、店主に尋ねてみた。彼は微笑みながら「アル・グリーンだよ」と言い、1枚のアルバム・ジャケットをこちらに投げてよこした。こちらを見て嬉しそうににやっと笑う。目が小さくなる。アル・グリーンと言えば、宣教師も努めていた黒人のゴスペル・シンガーのはずだ。その彼が、白人のカントリー歌手、ハンク・ウィリアムスの十八番のナンバーを歌っていたことを、この時に初めて知った。フレーズを少しづつくずして、そして自分のものにしているボーカルが、いかにも懐の深さを響かせる。店主の好みなのだろう。そういえばさっきから店内でかかっている音楽は、いずれもがLPアルバムをプレイしているものだった。ときおりは例の収録曲が終わった後の周回状態の中で聞こえるプツン、プツンという音が続くこともある。
3時間ほどもレコード探しを続けただろうか。段ボールふた箱分にもなるレコードを、レジの横に積み上げて精算を始める。タグが付けられて無いレコードは、店主が一枚ずつ値段を付ける。それぞれ「イエス」、「ノー」を答える。もちろん値段が高いかなと思う場合は、買うことを取りやめることもある。それにしても彼は適切なプライスを提案する。確かに黒人音楽のアルバムに付けられる値段はやや高いかなと思うけれども、音楽のこと、レコード・コンディションの判断の仕方、ファンの気持ちなど、なるほど良く知っているものと感心する。
支払いを済ませると、彼はこう言った。「この3月に店を開いた。それまでは、『H』のオーナーだった」。「へえ、そうだったんだ。だからジャンルの分け方とか、古いあの店にそっくりだったんだ」と、レコードを抱えて車に戻る道すがらに松永クンがつぶやく。なるほど、「H」の地下室にあった在庫がそっくりそのまま、ここ「レコード墓場」に送られてきたことになる。根付けの終わったものも、ストックとして保管されていたものの、それをそのまま店頭に出しているのだろう。開店して半年ばかりなのに、この在庫量というのも、なるほどうなずける話だ。「それにしても、3月に開店したばかりなのに、もう立派に古い店みたいな雰囲気でしたね」と片島クンが続ける。たしかに店内には、所狭しとレコードが並び、ちょっとした開いているスペースには、シングル袋やら中身のない空のアルバム・ジャケット、裸のシングル盤などが積み上げられていた。それに埃っぽい。レコードを見ているうちに、知らず知らずに立ち上がる埃に、思わず咳き込む。裏のストック置き場には、山ほどの段ボール箱が積み上げられ、それらはちっとも整然とはしていない。にもかかわらず、どこか心休まるスペースでもある。古いものに囲まれている安らぎと言えばいいのか、身に付いた雑然さとでも言えばいいのか、いかにもアナログ・レコード屋の空気が広がる店だった。
「どういうことなんでしょうねえ」と松永クンが言う。ぼくが「たぶんあの二人は離婚したんじゃないのかな」と言う。「そうですよねえ、アメリカは離婚が多いから。そうかも知れない」。松永クンの答えを聞きながら、僕は、ほぼ一年ほど前に尋ねたときの店の様子を思い出していた。そういえばレコードが山ほど積まれ雑然としたアナログ売場と、整然としたCD売場。その両方がひとつに同居していた店だったように思い出す。まさかあれがそのまま夫婦二人の個性の反映だったのだろうか。
翌日にはこの街で古くからレコード店を開いているボブの店を尋ねてみる。なにかと僕らの面倒を見てくれる親しい友人だ。ボブは連日のハード・ワークでいささか疲れ気味だった。
そういえば「G」のことを最初に教えてくれたのは、ボブだ。昨日のうちにすでに訪問したことを伝える。「彼らふたりは離婚したんだよ。女房がCDを選んで、彼はレコードを選んだ。そんな具合さ」。なるほど。「またこの街に来るだろ。また連絡をくれよ。もしかするとまた新しいレコード屋が出来てるかも知れない」。
僕らの予感は当たったことになる。しかしなんとも愉快だなと思う。彼女は別れた夫の店を真っ先に僕らに勧めた。彼の店は、開店して半年ほどのうちに、もう10年以上も前からレコード店をであったかのようなたたずまいだ。昔のままのスラックス姿の彼女。彼はすり切れたジーンズだ。ファイト満々にCDビジネスを選んだ元妻。レコードの山に溺れ込むかのようにして、ゆらゆらと過ごす元夫。たぶん彼は、レコードから離れられないのだろう。チェーン3店のうちの1軒を閉店し、2軒を妻に渡して、それで残ったレコードを受け取ったに違いない。彼女にしてみれば、それはレコードを捨てる(throw
away)ことに等しかったのだろうし、新たなスペースに引っ越しも終えて、身軽になってビジネスに走り出したところなのだろう。それぞれに人生がある。人生の分かれ道を経てみれば、それぞれ二人の個性の違いを、そのままに描きだだした店が生まれたことになる。
どちらの道筋が幸せをもたらすのか、まだわからない。車で走り去る店の前を通りながら、アル・グリーンのLPアルバムを、嬉しそうに目を細めながら差し出した彼の顔をもういちど思い返す。あれは、心からレコードが好きな男の顔だ。実に嬉しそうな顔をしていた。
(大江田 信)
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