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Yasunari Morimotoの'Live Scraps'No.13
「卒業 ミセス・ロビンソンなんかいない」
いつかはこういう日が来るとは思っていたんですけどね。ついに来ましたねえ。僕が仕事を始めた1979年よりも後に生まれた人が仕事の担当者になる日。23だそうですよ。何だか不思議なもんです。
今まではたまに僕が仕事で描いた絵を「学生の時に読者として読んでいましたー」なんていうことが主で、それはそれでけっこう「来る」もんだったんですけど、もうそんなことも凌駕して驚いちゃいます。ええ。
ただ、もちろん向こうが合わせてくれていたんでしょうけど、思っていたよりは「話がかみ合わない」ということはありませんでしたね。けっこう一緒に飲んで気持ちよく盛り上がりました。リターナーだった、っていうこともあるのかな。
ましかし、こんだけ歳が離れると、こうなんていうか「なまぐさ系」の発想がこちらにはありませんからね。非常に「大人と子供」というか、「おお、おお、まだ青いのう」なんていう気分。昔はこっちもそんな風に思われていたんだろうと思うと、いわゆるひとつの「お釈迦様の手の上でもてあそばれていた」のであるなあと、首肯してしまいます。
もちろん今の自分に彼ら、彼女たちを手の上で遊ばせる度量なんかあるわけもなく。仕事をしていても一緒に「途方に暮れて佇んでしまう」ことばかりで、なんだかかえって我と我が身の情けなさばかり思われて身につまされてしまうんでありますよ。
というわけで、今回で大学生の話は終わり。池から出された魚は否応なく川から海へ、と放流されるのです。
さて、冒頭の話に出てきた編集者が生まれる前の1977年に僕が観たコンサートというとWishbone Ash、Todd
Rundgren、Ritchie Blackmore's Rainbow、Tom Waits、Guy Clark、Jackson
Brown、Aerosmith、Kiss、Queen、Dave Mason、Roy Buchanan、10CC、Brian
Ferry、Michael Franks、Rory Gallagher、Gregg Allman Band、Eric Clapton、Jesse
ColinYoung、Stuff、Fleetwood Mac……。
卒業を次の年に控えてこの本数。おわかりの通り、もちろん就職することなどこれっぽっちも考えていなかった。が、かといってどうやって食べていくか、ということもやはり考えていない。
理由は二つある。一つはよくいう「自分は会社員には向かない、あるいはなりたくない」という発想とはまったく逆で、「自分が会社員になったらこうなる」ということが容易に想像できたこと。そしてそうなるのが怖かった、ということ。
そして、もう一つは自分にさきがけて会社に勤めるようになった先輩達を見ていて、やっぱりあまり楽しそうには見えなかったことだった。
みんなレコードを買わなくなり、コンサートに来なくなった。来る人ももちろんいたけれど、かくだんに回数が減った。そんなのツマラナイじゃないか。
とりあえず会社に勤めることはやめよう。そう決めた。
今になって考えると、会社に勤めている同年代の人たちを見るにつけ、それもそう簡単ではないということも知ったし、会社員でありながら音楽を聴き、本を読み続けている人だっていることも知った。でもそれがそう安易な意志では続けられないことで、自分にその根性がないことも今ではわかる。
だから、おそらくはあの時自分で想像したように、かんたんに会社員になれたわけではなかったろう。むしろ「自分にはつとまらない」ということを無意識に感じただけだったかもしれない。でもともかく、あの時はそんな風に考えていたのだ。
就職希望者のためのガイダンスには出なかった。おかげで友人達のところへ山のように送られて来たリクルートの分厚いカタログ(積み上げたら高さが身長と同じになったなんて言ってました)も一冊も来なかったし、そのおかげで両親もそんなものだとだまくらかすこともできた。
そしてあいかわらず本を読んで、同好の士や留年した友人達と映画へ出かけ、コンサートへ行って酒を飲み、そして友人達が忙しいときには女の子と遊んだ。金は似顔絵のバイトで稼いだ。
そして78年、4年生となりいよいよ同級生が次々と就職先を決めていくさなかでもコンサートへ行き続けた。
Bonny Raitt、Bob Dyran、Jimmy Cliff、Graham Parker & The Rumour、Sparks、B.B
King & Albert King、Ry Cooder(2年連続で来日)、Wishbone Ash(これも連続)、Scorpions、Little
Feat、Rick Danko、Genesis、David Bowie、U.K.……。書いていて我ながら驚く。よくこんなに行ったもんだ。しかも脈絡なく。意地になっていたのかも知れません。
学内の話は省く。11月になり、キャンパスには圧倒的にスーツ姿が増えている中で、あいかわらずチェックのネルシャツ、ダッフルコートにジーンズとワークブーツという出で立ちで歩くと断然に目立ってしまっていたことと、しだいに自分の執行猶予がなくなっていく不安でワクワクした記憶が残っているだけで、授業にも出なかったから、ほとんど覚えていないのだ。幸運にも2年生で落とした単位も3年生の時に取り戻していたので卒業だけはしよう。そう思っていた。
こうしてまったく社会に出る準備も予備知識もなく、ぼんやりと手をこまねいたままタイム・オーバーの時を迎えた。思えばこの77〜78年にその後の10年間がかなり決定的になったというわけだ。
でもこれだけは言える。もちろんその時はそんなことは思いもしなかったけれど、僕はこの2年間で、とてもとても貴重な体験をしていたのだ。
本当に残念だけど、そういうことはずいぶん後にならないとわからない。そして必ず「あの時、もう少しこうやっていればもっとうまくやれたのになあ」と思う。それを繰り返して知らないうちに自分の細胞が変質しているのだ。 卒業証書を手に入れると就職しないと怒る父と喧嘩をし、家を出た。もちろん金をもらうわけにはいかないので安いアパートを探した。貸屋式、家賃3万2千円、トイレ有り、風呂なし。大家さんが一階に住む2階建てのアパート、2室あるうちの1室で、23年間夢に見た一人の暮らしが始まった。
住んだのは中野区・野方。年収なし。もちろん波瀾万丈。次号を刮目して待て!
というわけで、大学生活もドタバタのうちに終了。まあ、就職もせずに貧乏生活突入という事態に父は反対したわけですが、今だとそんなの普通ですなあ。
そう考えると、今のフリーターとどこが違うんだ、という気もしますが、「とりあえずイラストレーターになる」という目的があったわけで、その点はやはり少し違うかな。
話では「何か目的があって、それだけでは食べられないから」と、フリーターになるんだ、とも聞きますけど「目的のために貧乏する」というのもそれはそれで楽しい気分でしたね。ま、別にバイトなんてできなかっただろうし。毎度言うようですが、ホントわし、器用じゃないから「二足のわらじ」なんてはけないのよねえ。っていうか、ナマケモノなんですな。
次回は大江田さんが大好きな「貧乏な話」です。
To 盛本康成
いかにも忙しそうです。サイトに書かれた文章の一端から察するに、それも相当に。忙しい方が、いい仕事が上がるんじゃない?なんて言うのは、素人の戯れ言かな。ボクはと言うと、忙しいときの方が、気持ちよく頭が動いてくれる気がするもんで。そんなときにマガジン・ハイファイ用原稿をありがとう。
(大江田)
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