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●17 レコードの出来るまで
大江田信
先日、石川茂樹さん主催の青空音楽会に参会させていただいた。石川さんは、ハイファイのホームページからもリンクさせていただいている個人HP「趣味趣味音楽中年探偵団」を運営されておられる方。インターネットやCDショップの店頭、そしてハイファイなど、さまざまな場所で知り合い年齢や職業もまちまちの石川さんの友人たちが、思い思いのポップスを持ち寄り、互いに試聴しながらわいわいと語り合うパーティ、「青空音楽会」を催しておられる。もともと数人の仲間と共に多摩川の河原で「青空音楽会」と称して試聴会を開いていたことから、会場がビルの一室に移った今も、その名前を用いているそうだ。今回は総勢20数名の方たちが集まり、音楽への思いをざっくばらんに語り合う場になった。
その会に出席されていた方のお一人、松山さんから、ちょっとおもしろい話をうかがった。1962年に「Remember Me
Baby」のヒットを放ったアールズの翌年の同名アルバム「Remember Me Baby」は、あまりにもレアな盤として有名なため、ブートレグが幾種類も存在している。この盤がオリジナルかどうかを判断する根拠は、LP収録最終曲の次に用意されている針を周回させるための部分の幅(無音内周部、英語では
Trailoff と言うそうです)なのだそうだ。この幅が1インチ以上あるものがブートレッグで、それよりももっと幅が狭く5/8インチ程度しかないものがオリジナル盤。なるほど、そうやって判断するのかと驚きを持って、お話をうかがった。書籍でも初版が尊ばれることがあるが、アナログ・レコードでもこれは同様で、オリジナル盤はマニアの間で強い人気がある。なにをもってオリジナル盤とするか、そもそもオリジナル盤とは何なのか、どうしてそのように価値を尊ばれるのか、ハイファイでも店頭でお客様から尋ねられることがたびたびあった。そんなときには、僕がかつて働いていたレコード会社での経験をお話ししてきた。今は職を辞した会社での経験をお話しするのは、どうにもやや胸につかえるものがあったのだけれども、最近になってやっとそのつかえも取れた。それに覚えているうちに、こうして書き残させてもらったほうがいいと思うようになったことから、今回はアナログ盤の出来るまでをまとめさせてもらうことにする。そろそろキチンしておかないと、僕の物忘れもやや老境の域に達しつつある。
1975年から10年余、僕は日本コロムビア(株)(現コロムビア・ミュージック・エンターテイメント(株))に勤務していた。入社して3ヶ月の研修期間には、まず制作現場から工場の製造現場まで、一通りの実地的な研修を行う。その後に当時の言葉で言うところのニュー・ミュージックの制作部門に配属され、そして宣伝部門に配転した。制作部門で働いている者でも、新入社員となれば工場が目一杯の稼働を余儀なくされれば、たびたび手伝いに駆り出される。朝の8時過ぎに始業し、夕方の5時にきっちりと勤務が終わる工場での仕事は、それはそれで爽快な達成感と心地よい疲労感とがあった。仕事の後の川崎の街での一杯が楽しかったこともある。レコードのプレスやカセット・テープ(当時の主力商品の一つでもあった)の製造現場の仕事を随分と経験させてもらい、また他部門の仕事をたびたびのぞかせてもらった。
制作現場でのおもしろいエピソードも山ほど有るが、それはまたいつか別の機会にゆずるとして、ここでは商品の製造プロセスにしぼって記すこととさせていただくこととする。
トラックダウンを終えてまとめられた音源は、コロムビアの赤坂スタジオと同じフロアーにあるカッティング・ルームに廻される。コロムビアではカッティング・ルーム内で、エンジニアがマスタリング作業とカッティングを同時に行っていた。マスタリングとは、収録曲ごとのボリュームや音質などの最終調整をおこなうもの。その後にカッティング作業に入る。カッティングとは、30cmLP、あるいは17cmシングルの大きさの黒い合成樹脂で出来た円盤状のものに、特殊な針で凹状の音溝を刻み込む作業だ。大きな音量の場合は、音溝と音溝の間の幅を用意しながら刻み込むこと、また曲間のために針を落とすための無音幅を用意することなどの作業が行われる。レコーディングしながら溝の切り込みを直接に行うことをダイレクト・カッティングと呼び、これは音質の劣化が無いことから、オーディオ・マニアに喜ばれる商品として、制作・製造されていた方法だ。アメリカにはダイレクト・カッティング専門のレーベルもあった。ただしこの方法は、SP初期に用いられていたある種の古典的な方法でもある。レス・ポールの伝記には、詳しく触れられていた。もちろんこうしてカッティングされた円盤は、通常のレコード・プレイヤーを用いて再生することが可能なので、カッティング作業の終了後に、エンジニアの方にお願いして数枚の盤を作ってもらうこともあった。手間も原価もかかるのでシングル盤の場合がほとんどだったと思う。通称ラッカー盤と呼ばれていたこの生まれたてレコードを使って、ラジオ局でオン・エアしてもらったり、有線の放送所で流してもらったこともあった。アメリカでレコードを探しているときに、ときおり英語の表記では「Test
Cutting」と表現されるこの種の盤をみつけることもある。
松山さんが述べておられた Trailoff の部分の幅は、このカッティング作業の過程で決まる。自動的に針の上げ下げをするオートリターン・プレイヤーがアメリカでは相当に流通していたから、実はむしろ一定の規格幅があったのではないかとも想像される。この
Trailoff の部分には、カッティング・マスター・ナンバーが刻印される。これをマトリックス・ナンバーと呼ぶこともある。お手元のレコードをご覧になっていただくと、かならずや番号が刻印されているはずだ。商品番号と同一の場合も有れば、そこに独自のコードを付け加えている場合もある。これもその昔は手書きで行われていたようだが、僕がコロムビアに在籍していた際には、ナンバリング刻印用の簡単なスタンプのような機械を用いていた。この作業に目を留めたアーチスト(佐藤奈々子さんです)が、カッティング終了後の自筆のメッセージを書き込んだことがあった。彼女は興味津々でカッティング・ルームでの作業に立ち会っていて、エンジニアから先端部分が極細になっている金属製の工具を借りると、いかにも嬉々とサインとマークを書き込んだ。
カッティングを終えたカッティング・マスターは、川崎の工場に送られた。そこでは、凹状に刻み込まれた円盤状のカッティング・マスターをもとにして、凸状の金属製の円盤を作成する。これはスタンパーと呼ばれるもので、このスタンパーを用いて、高音の状態でやわらかい塩化ヴィニールに溝をくり返し刻印していくことになる。スタンパー作成の作業は、一種のメッキにも似た行程だと説明を受けた記憶があるが、残念ながら理工的な知識に欠ける僕には、うまく説明できない。ただしスタンパーを製造する場所は、工場内でも特殊な化学薬品の匂いが漂う一角で、また製造を担うスタッフの服装も、いかにも危険物を扱う人たちという出で立ちだった。
このスタンパー1枚から、約3000枚のレコードをプレスすることが出来る。当初から初回出荷が3000枚以上を予定されている場合は、もちろんスタンパーを複数にわたって製造する。当初の予定製造枚数が少ない場合は、少数のスタンパーを製造するのみだが、思いもかけずにその作品がヒットした場合など、保存しておいたオリジナルのカッティング・マスターから再びスタンパーを作り直すこともある。カッティング・マスター1枚から、何枚のスタンパーを製造することが出来るのか、そういえば残念ながら知り得なかったけれども、大ヒットに対応するためにカッティング・マスターを再度つくったという話は聞いたことがなかったように思う。
川崎の工場だけではまかないきれないくらいに商品が大ヒットした場合には、このスタンパーを他の製造工場に送って、プレスを依頼することもある。コロムビアが他社からそうした依頼を受けることもあって、おそらくプレス・マシンによって、その凸盤の規格がきまっていたのだろうと思う。コロムビアを退社後、とあるときアメリカの業者からスタンパーを入手して、ためしにプレスが可能かどうか確かめてみたら、やはりそれは無理だとの回答をもらったことを覚えている。スタンパーに刻印された音源の中身は、ちょっと秘密。
こうして出来上がったスタンパーを用いて、こんどはなかばオートメーション化されている行程を通って、塩化ヴィニールがレコードにプレスされる。ここでスタンパーと塩化ヴィニールの間に挟み込まれるのが、レーベルと呼ばれる円状の印刷物だ。プレスの過程で熱が加わっても、脱色したり変形したりすることのない特殊な紙が用いられたレーベル。これはそのレーベルのデザインが設定された時点で、既に大量に印刷されている。印刷の工程で同一のレーベルを大きな1枚の紙に何十もの数を面付けして刷りだし、この既に用意されたレーベルに、曲目やアーチスト名、商品番号などをあとから重ね刷りする。これを裁断して一つ一つの商品に対応するレーベルにする。これが工場に送られてくる。プレス・マシンの上に、黒い固まりのままの塩化ヴィニールとレーベルを置くのは、自動化された機械の仕事で、これを間違いがないように、至近の場所からチェックして、管理するのが、人間の仕事と言うことになるのだが、なにしろ工場内は暑い。夏になると大汗をかきながらの作業だったように思い出す。
このプレスの過程で、さまざまな偶然が起きる。A面のレーベルとB面のレーベルとが、別々のアーチストのレーベルがプレスされてしまったり、レーベルのセンターがずれてしまったり、ということが起きることがある。少なくともその後の検品の過程で、そうしたプレス・ミスの商品は廃棄されるのだが、そこの目をかいくぐって市場に出回ってしまうことも無いわけではないようだ。アメリカ盤には、そうした例がけっこうある。
その後の行程は、レコード外袋への封入、そしてジャケットへの封入の作業となる。そしてこのジャケットだが、だいたいにおいてジャケットのほうが、レコードよりも数多く作られている。それは商品の追加注文に対応するためのものであり、印刷物の方が製造に時間を要するし、印刷の枚数が増えたとしても、印刷物全体にかかる経費は、それほど増えないからだ。印刷においては、紙にインクを刷り込むときに用いる凸状の版を作る費用が、経費の相当に多くの部分を占める。よほど特殊な紙やインクを用いない限り、たとえ刷り出す紙の枚数が2割増えても、全体の費用が2割り増しになることはない。
そうしてジャケットに封入されたレコードは、最終的にビニール袋に入れられ、工場にストックされる。その後に注文に応じて工場から出荷するのだが、ここにもひとつの取り決めがある。それは工場内にその商品が保管されている限り、印税や著作権などの費用が発生しないということだ。ひとたび工場を商品が出ていくと、それ以降はそうした費用が発生する。ということは、工場内で保管される場合と、工場を出て配送センターに保管される、そして市場に出回る場合とでは、商品の原価が違うことになる。
新入社員の3ヶ月間の研修期間に於いて、まず最初に僕らに与えられた仕事は、店頭から返品されてきたレコードの廃棄処分だった。山ほどに積まれたレコードから、ジャケットとレコードそのものを分別し、レコードは今一度溶かして再利用する。ジャケットなどの紙素材は、焼却される。用意されたものすごく大きな袋に、分別したレコードを投げ込む。時間がたつに連れ、仕事にもなれ、そしていささか飽き始める頃になると、まるでフリスビーを投げ込むようにして、レコードを投げ込むことになるのだが、それにしても返品されてくるレコードは、驚くほどの数だった。
市場に出荷さえすれば、作詞家、作曲家、歌唱者などには、応分の印税が配分される。たとえ1枚も売れなくともだ。同時にレコードがヒットするためには、ある最低の枚数が市場に配布されている必要もある。だからと言ってはいけないのかもしれないが、この初回出荷数を巡るレコード会社とその周囲の関係者とのあいだには、微妙な攻防が生じることになる。
いまにくらべれば、まだまだ管理が緩かった時代だったのかも知れない。返品が少なければ少ないほど、利益が上がるのは間違いないところなのだが、必ずしもそこに精緻な損益の計算や管理が行われていたとは言い難い。どこかまだ経験則を根拠としたどんぶり勘定の時代だった。コンピューターが導入され、事業所単位での損益が瞬時に計算されるようになると、各セクションの独立採算性が叫ばれ始めるのだが、それはまだまだ先のことだった。とにかくレコードを出荷しろ、ヒットを店頭から作れ、という時代だった。ものすごい数のレコードが店頭に送られ、ヒットを目指して鞭を入れられ、そしてその意に漏れたレコードが、無惨な姿で工場に帰ってくる。その後始末が、新入社員に与えられた最初の仕事だった。
だいたいにおいて、そのレコードがオリジナルかどうか、その判断はレーベルと、ジャケットを手にして、行われている。どのレコード会社が、どの時期にどうしたレーベルをレコードに貼り付けていたのか、それをまとめて整理した私家版の書籍もアメリカでは売られている。発売時期によって、レコード盤の材質、厚さなどに特徴がある。これも判断の一助になる。ただしこれには、さまざまな例外も生まれる。ヒットに対応するため、複数の工場で同時にレコードの製造をした場合などに起こることもあるし、また初回プレス用に用意しておいたジャケットの余り分を用いて、時期をおいてから2回目のプレスをした場合など、これはジャケットはオリジナル、レコードはセカンド・プレスということになってしまう。急激な大ヒットの過程で、用意していたはずのレーベルが不足したこともあったかも知れない。レーベル・デザインの切り替え時期に、なんらかの混乱が生じたこともあっただろう。企業の売り買いが盛んなアメリカでは、前会社から新会社に資料や音源が正しく手渡されたかどうか、これが混乱の要因となることもあったかも知れない。
どうして、それほどまでにオリジナル・アルバムにマニアはこだわるのか。音楽を聴くことさえ出来れば良いのではないかとする意見にうなずく気持ちも強い僕にも、たしかになるほど、オリジナル盤はすごいと思わされる事例がある。
それは音質に関わる点だ。たしかにオリジナル盤は、音がいい。CDの音質で聞き慣れている60年代のヒット曲を、オリジナルのシングル盤で聴いて、その音質の違いに愕然とすることは、けっして少なくない。そしてこれにはマスター・テープの複製の問題がかかわっている。マスター・テープは、それを親とすると、子、孫、曾孫というふうに、数々の複製が行われる。子、孫といったテープは、それらはたとえば諸外国に送付される、あるいはオリジナル・テープを保管し子テープ以下を製造工程に用いることもあった。アナログ・テープ・レコーダーの精度、あるいはテープそのものの精度がそれほどに高くなかった時代の出来事だとする想像をそこに付け加えることも必要だろう。
そういえばこんな実話を聞いたことがある。いささか差し障りがあるので、実名は出せない。アメリカの50年代から70年代にかけて、相当の優位を誇ったレーベルにまつわる実話である。仮にそれをA社としよう。A社は社屋をロスアンジェルスに持ち、テープの保管庫も同様にロスにあった。自社スタジオや自社工場は持っていない。そのテープの保管庫が、70年代に焼失したというのである。レコード会社の焼失と言えば、ハワイのレコード会社「49
State」を思い出すが、A社はその規模ではない。はるかに大きい大会社だ。その焼失の事実は、決しておおっぴらにはされなかった。それ以降、A社がリリースした50年代、60年代の音源を含むアルバムはどのようにいて、製造されたのか。それは世界各国に散らばっていた複製されたテープを再度アメリカに回収して行われたのだった。すなわち孫、曾孫のテープがマスターとなった。過去音源の再発がこれほどまでに盛んに行われている今日に於いて、かつて保管庫焼失以前にアナログ・レコードとして発売されたことがあるアイテム、あるいはレコーディングが行われたと確認されているセッションなど、未だに再発が行われないA社の音源について、マスター・テープはまず焼失されていると考えた方がいいという。そして今後の再発に付いては、まずほぼ絶望的だということである。
ついでにもう一つ、レコードはなぜ黒い色をしているのか。これは必ずしも塩化ヴィニールの色が黒いからではないそうだ。塩化ヴィニールそれ自身は、無色なのだという。針を乗せる作業、曲間の無音部分を簡単に探し出すためのことなどを考え合わせて、黒が選ばれているということだ。つい最近になるまで、全く知らなかったことだ。これは塩化ヴィニールにまぜる染料を扱っておられるドイツに本社を持つ世界規模の会社にお勤めの方から伺った。なんとその方は実に熱心なアナログ・ファンで、ハイファイにくり返し通って下さるお客様のお一人だった。
(大江田 信)
●上記の文章を記載してしばらくしてから、「ドイツに本社を持つ世界規模の会社にお勤めの方」から個人的なメールを頂戴した。それは僕の誤解の訂正、そして、それにとどまらずなんとも慧眼に満ちたお便りだったので、ご本人のご了解を得て、ここに転載させていただくこととした。これでレコードの色の謎が解けた、そんな気持ちになる方もおおかろうと思う次第。
意外な形でマガジン・ハイファイに登場させていただいて有難うございます。アナログ・ファン、ハイファイ・ファンとしてファン冥利に尽きるというもんでございます。
ここで一言、レコードの着色剤について申し上げておきたいことがありましてメールしました。一口メモとして気楽にお聞き流しください。私のご説明が不行き届きだったか、多少の誤解があるようです。
まず、LP盤・EP盤に使われる着色剤のカーボンブラックは顔料であり、染料ではありません。些細なことと思われるかもしれませんが、見る人が見れば不審に感じられると思います。神は細部に宿るというわけです。
また、音溝の判定という着色剤本来の役割ももちろんありますが、むしろ盤の成型性・熱安定性の意味合いで使われているというのが本当のところだと思います。
顔料には着色剤としての役割と、成型安定剤(型に流し込んだあとできちんと形を作り上げる)・増量剤(樹脂だけで作ると重すぎたり曲がり易かったりする)・熱安定剤(高温がかかっても変形しにくい)などの役割があり、後者は染料には期待できない事柄です。
また、カーボンブラックが使われるのは塩化ビニール製のLP・EP盤だけでなく、SP=シェラック盤時代から当たり前でした。ここのところは簡単に箇条書きすると以下のようになるのではないかと私は推察しています。
シェラック=ラック虫の分泌物(東南アジアに広く生息し、樹木の成分を吸って一部を樹脂状にして分泌)=古来からある天然樹脂の1種=<白蝶貝ボタンの代替として使用>以上の事からシェラックには貝の成分が使われたとの風評が立ったのではないでしょうか。
シェラック盤=上記シェラック樹脂+コーパル樹脂(生木から取れる天然樹脂)+カーボン・ブラック。つまりSP盤時代から樹脂と顔料による成型物として一般的な形としてカーボン・ブラックを含有したレコードが存在しつづけたという訳ではないかと。
以上長々と書いてしまいましたが、登場した嬉しさと知っていることは黙っていられない性格ということでご理解ください。それでは、また。
●そしてもうひと方、土橋一夫さんから読後の感想と、ご自身の体験談をメールにて頂戴した。こちらもまたご了解を戴きましたので、下記に転載させていただきます。
「Hi-Fiな出来事〜No.17」の文章を読み終わって、これを書いております。
レコードの出来るまでのご説明、良い勉強になりますね。僕の世代ですと、テイチクに入社した90年には既に市場はCDが大勢を占めていたため、実はレコードのプレス工場は見たことがありません。アナログは一部の演歌や踊り関係のみしか作られておらず、しかも91年の6月には自社生産を止めましたので、実はあまり売ったりした経験がないのです。もっともテイチクの自社工場は、創業地の奈良にあったため、行くこともありませんでした。僕らの頃は、同じ松下系のビクターの中央林間にあるプレス工場を新人研修で見学しました。工場はオートメーション化されていて、大江田さんのお話にあるようないわゆる技術屋さんのいる工場というよりはむしろ、生産ラインといった感じの味気ないところでした。
ちなみにテイチクは、入社するとまず新人は松下電器の目黒にある研修施設に泊まり込みで行き、CDの生産から音楽制作・宣伝・販促・営業の話、あるいは著作権や印税や原盤・出版など権利関係の話、さらには各部門長が講師になって、現場の実体を話す、それから電話の受け答えなど社会人としての常識学習などを3日間。その後、仮配属先が決まる頃には、例のプレス工場見学と、営業所での実地研修などが待っていました。僕は最初、営業所のセールスに配属されましたので、その後さらに池袋の五番街というレコード店(東武百貨店の中に今でもあります)にて販売研修を受け、それから晴れて営業マンとして仕事をするのが5月頃から、という感じでした。
あと、返品商品の廃棄の話ですが、今ではすごく進んでいて、例えば静岡にあるJDSでは、返品されたCDを段ボールごとマイクロ波を出す特殊な機械の中に送り込むと、マイクロ波によってCD盤の金属部分だけが破壊されて出てきます。つまり外見上は変化ないのですが、中身を開けると盤だけが金属部分がひび割れている状態ででてくるのです。その後それを回収し、無傷だったジャケットや外箱など紙部分は再生紙に、CD盤の金属部分も溶解して再利用、ケースや盤のプラスチック部分は細かく砕いてCDのトレイ部分の原料として再利用されます。しかしこのマイクロ波にかける作業は、何故か火葬場を連想させるので、見ていて複雑な気分になります。今やどの過程もみな自動化されていて、ソニーの静岡プレス工場ではCDの原材料がなくなると、ロボットが動いて自動で補充したりと味気ないものです。しかし例えば特殊ジャケットやボックスのようなものは機械作業ができませんので、体育館のような広い作業所にパートの方が何百人も集められて、昔ながらの手作業でCDがセットされていきます。これもなかなか壮観です。
ちなみに大江田さんが書かれていた、佐藤奈々子さんのアルバムを僕も持っているので確かめてみたところ、『Sweet Swingin'』のSIDE
1には「�� TRY THIS PIE! NANAKO」と、SIDE 2には「YOU LIKE THIS〜〜NANAKO」と確かに刻まれておりました。しかも不思議なことに、このアルバムのプロデューサーである黒田晃章氏には、以前お話したと思いますが、僕もトライクル(93年〜98年まで存在した、テイチク傘下のレーベル)時代に色々とお世話になったことがあり、5年ほど前にはよくご一緒させて頂いていた方でした。僕の当時の上司が黒田氏の親友で、トライクルのオフィスにもよくみえていました。世間とは狭いモノです。
それから、オリジナル・マスターから子や孫のテープを起こして海外に送るという話も出てきましたが、僕の好きなフィレス・レコードのマスターもまさにそうで、何とオリジナル・マスターから起こされたレコードは、当時のアメリカ盤シングルとアルバムのみだという話を聞いたことがあります。つまり、その後UKや日本で出たものも含め、アメリカでの編集盤なども含む全てが、サブ・マスターから起こされたものだったのです。だからフィレスのファンは、オリジナル・シングルにこだわるのです。ちなみに現在流通しているABKCOのCDは、初めてオリジナル・マスターから起こされたリイシュー盤です。
実はHi-Fi Record Storeの常連である石川茂樹さんともこの大江田さんの制作舞台裏エピソードについてお話したのですが、なかなかこういったアナログ時代の制作現場の様子を窺い知る機会が一般的にはありませんので、是非またチャンスをみて貴重なお話、お聞かせ頂けると嬉しく思います。
●ここが違ってるぞ、私の場合はこうだった、といったメールをありがたくお待ちしています。どうぞよろしくご教示下さい。(大江田)
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