Hi-Fi な出来事 Hi-Fiな人々

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●亜米利加レコード買い付け旅日記 21  大江田信


 真夜中のこと、消したはずのテレビの画面が突然に光り出した。画面がコロコロと変わり始める。驚いてベットから飛び起きる。画面がチカチカ光りながら、数十ものチャンネルががぐるぐるとまわる様は、まるで映画「エクソシスト」の一場面のようだ。30年以上も前に見た映画なのに、あの恐怖の感覚は体のどこかが覚えている。そのうちにテレビの画面が、すっと消えた。時計を見ると、深夜の2時過ぎだった。

 気がつくと外はものすごい大雨。そして雷鳴がとどろいていた。ジーンズとシャツを羽織って、モーテルの廊下に出る。おずおずとドアを開けると、ちょうど向かいの部屋のドアからもちょうど同じタイミングで出てきた人がいる。すごく可愛い若い女性だった。「こんばんわ」、「いったいどうしたのかしら?」。そんな会話をしながら、階段を下りてロビーに向かった。ロビーも廊下も真っ暗。モーテルの中の照明は、一切消えていた。ロビーには沢山の人が集まっている。誰もがベットから飛び出したままか、せめてその上に簡単な上着を羽織ったような格好だ。それとなく外の様子をうかがいながら語り合っている。ラスベガスの街に昼夜と無くきらめく不夜城のような輝きを放っているホテルの明かり、看板、そして装飾の類は、花火が消えたように光を失っていた。街頭や交差点の信号も消えている。街中が停電していた。

 確かにこの日の昼間は、猛烈な暑さだった。摂氏40度を優に超える気温のなか、街中から蜃気楼がめらめらと立ち上っているようだった。巨大なホテルが両脇に並ぶ目抜き通りでわずかに見かける姿を除けば、人が歩いている光景など全くと言っていいほど出会わない。あまりの暑さに何か飲み物を買おうと車をコンビニの駐車場に留め、そして車から店内を往復するだけで、もういやになったくらいだ。午後も早い時間のうちにほとほと疲れてしまった僕らは、早々にモーテルに戻ってベットに潜り込んだ。いくらでも眠れる気がするほど、くたびれ果てていた。

 ラスヴェガスは、ロサンジェルスから東に車で4時間半ほど。砂漠の真ん中の人工都市だ。ロスの中心街を抜け出し、1時間ほども走っていざ砂漠地帯に入ると、街並を走っているときには聞こえた複数のラジオ放送が、もうほとんど聞こえなくなる。とうとう最後にはAMラジオの一局しか聞こえない。このラジオ局、ステーション・コールでデザート・ラジオと称して交通情報と音楽、そして気象情報を繰り返し放送していた。なにしろ地味な放送だった。テレビ同様に数十近くもラジオ局があることに慣れていると、車のラジオから聞こえる放送が一つしかなくなるというのは、結構にショックな出来事だ。不安な気持ちになる。気が遠くなるほど延々とまっすぐ続く道を走ると、はるか彼方の丘の上に光に包まれたラスヴェガスの街が現れる。一面の砂漠の中に、突然のビル街。そして派手な広告看板が立ち並ぶ。こんどは、ほっとした気持ちになる。おそらく周囲数百キロのなかで、人が集っている場所というとラスヴェガスの街しかない。

 また雷が光り、雷鳴がドンと来る。まるで爆弾でも落ちたようなものすごい音が響く。相当に大きな雷雲が街の上にあることは、もう分かりすぎるくらいに分かった。停電の原因もこの雷雲だ。電力施設のどこかに雷が落ちて、街の電気系統にトラブルが出た違いない。おそらくあのテレビの異常な動きも、この雷がもたらした電気のせいなのだろう。
 様子をうかがっているうちに、モーテルの駐車場の端っこにある数本の巨木の下に停めてある車が目に入る。昼間のあの暑さの中で、いまいちどの車の乗り下りの際にせめてもの涼をと考えて停めたのだ。車まではおおよそ60メートルほど。このまま車を放置しておくのは、危険ではないかとロビーの誰もが思い始めていた。もしも落雷があるとすれば、あの巨木に落ちるだろう。そのときに、すぐ下に停めてある車にも影響が及ばないはずは無い。車は2台。

 ぼくらの車がその1台だった。しょうがない、車をモーテル側の近くまで動かすことにしようと考え始めたのは、もう一人のドライバー氏と同じタイミングだった。なにしろ落雷の大きさや頻度がどんどん増していたのだ。ふたりは目で合図をした。一斉に車まで走り始る。数メートルも走ったところで、また雷鳴がとどろいた。バケツをこぼしたように降りしきる雨で、全身がびしょ濡れになる。キーを差し込んで車のドアを開けようとするが、なかなか入らない。やっとドアが開く。エンジンをかける。すぐにエンジン音がした時には、思わずほっとした。車をバックさせ、こんどは鼻先をモーテル側に向けて、停め直した。ロビーに戻ってきて、互いにびしょ濡れだった彼と目で合図をした。この間、何分もかからなかったに違いないのだけど、とても長い時間に感じた。

 翌朝には、宿泊客の誰もが薄暗いレストランでひっそりと朝食をとった。サービスの初老の女性は、暖かい食べ物がなくてごめんなさいねといいながら、パンとミルクとチーズの食事を届けてくれた。テレビのニュースでは、落雷を受けたホテルの様子を報道している。天井が抜けたためにドッと水が落ちて、深夜のカジノを逃げまどう人たちが映し出されていた。猛暑によって生まれた雷雲から放電される目標物はこの地域ではラスヴェガスの街くらいしかないこと、したがってラスヴェガスではこうした落雷は珍しくないことを知った。信号の消えた交差点では車が渋滞していた。ガソリンスタンドも閉まっている。午前中は、空港での飛行機の発着が無かった。この日に帰国や移動の予定を組んでおかなくてよかったと心底から安心した。

 それにしてもこの大騒ぎの中で同室の阿部君は、ずっとぐっすり眠りこけていた。ひとたびも目を開けなかった。たいした度胸である。朝食のテーブルに着いた際に、彼は初めて、あれ、なにかあったんですか?と、口を開いたのだった。
 

大江田 信


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