Sounds Zounds! 稲葉将樹

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僕をとりまく女たち
 Susan Cadogan、Marcia Griffichs、Pauline Black、Sade、Lisa Kindred、Karen Dalton、Essra Mohawk、Linda Perhacs、Woody Simmons、Dionne Warwick、日暮愛葉、栗原淳、荒井由実。
 今回挙げることのできなかった愛おしいレコードと優しい女たちに、感謝をこめて。



■Everything But The Girl / Walking Wounded
Everything But The Girl / Walking Wounded

 十一月の半ばに恋人と別れた。夕食を済ませお茶を飲んだ後、道を歩きながら言葉を交わし、関係を終わらせることを決めた。時間にして、一分か二分。話し合いは低い声のまま穏やかに終わった。「もうあなたと会わないなんて、なんか不思議」と彼女は言った。
 駅に着けば、僕たちはそこで別れる。ほんの数分の道のりだ。二人で過ごした四年の間にあったいくつかの出来事を思い出し、湿っぽく笑ったり俯いたりしながら、僕と彼女は、いつもより少し遅いペースで歩いた。改札口で立ち止まって少し喋った後、結局、僕たちは駅の横を通り越してそのまま歩き続けることにした。過去に何度も二人で来たことのある公園に着くと、いつもそうしたように、噴水の前に腰を下ろした。
 話したいことは次から次へと湧き出てくる。そんなことは本当に久しぶりだった。街灯だけが静かに光っている、冷たい夜。晩秋の星空はどこまでも澄んでいた。寒さを忘れて話し続けるうち、噴水が止まった。終電の時刻が近付いた。
 駅へ向かう横断歩道の前で信号待ちをしている時、音をたてて風がふいた。刃物のような突風だった。彼女は「寒い」と呟き、肩をすくめて両手を擦りあわせる。瞬間、僕はその小さな手を握りしめたいという強い衝動に駆られた。縮こまって震える彼女。ためらい、迷った末、僕はその手を握らないことにした。握るべきではないと思ったのだ。それは、とても寒い夜だった。僕は目の前を通り過ぎていく車を黙って眺めながら、信号が変わるのを待ち続けた。



■UA / 電話をするよ
UA / 電話をするよ


 悩みごとがあると、決まって、ある女友だちに電話をかける。彼女は細長い手足 を持ち、美味しいレストランを沢山知っていて、バスキン・ロビンスのキャラメル・ リボンみたいな甘い声をしている。彼女に電話をかけるのは年に二〜三回。僕は常にしょぼくれて受話器を握る。「なーに、また何か落ち込んでるわけ?」「たまには元 気な時に電話してきなさいよ」そう言いながら、彼女は根気よく僕の愚痴に耳を傾け てくれる。
 UAの初期シングルのB面には、アルバム未録の名曲がしばしば収録されている。中で も僕が好きなのは、ホフ・ディランをカヴァーした『電話をするよ』という曲だ。
 「内緒だよ/秘密だよ/少しだけ、僕は狂っているよ/誰よりも/何よりも/総理大臣よりも、きみに頼っているよ/また電話をするよ/きみに電話をするよ/きっと電話をするよ/頼むから僕を、慰めて」。この幼稚な歌詞。だらしのなさ。やだやだ!と思いながら、何故か僕は泣いている。そりゃそうだ、酔ってるんだから!右手には缶ビール、左手には受話器。「なーに、また酔っぱらってるわけ?」彼女はよく分かっている。僕は何も分かっていない。彼女は、バーゲンセールでは絶対に買い物をしないという。「良いものは、バーゲンなんかには出ないでしょ」。
  僕はもう八年近く、彼女に電話をかけている。




■ERICA / You Used To Think
ERICA / You Used To Think

 月に一度か二度、僕は幼稚園で園児たちに絵を教えている。子供たちはみな素直で、正義感に溢れ、時々こちらが驚くほどの賢さと分別を見せてくれる。人見知りをせず、初対面の日から僕の背中に乗ってきたり、抱きついてきたりする彼ら。四十人の子供たちが声を合わせて「せんせい、よろしくおねがいします」とお辞儀をする。それは、僕が持っているチルドレン・ポップスのどのレコードよりも純粋で、感動的な響きだった。
 ある日、園児の女の子が僕に話しかけてきた。「ねえ先生。わたしのお父さん、死んじゃったの」。えっ……?あまりの唐突さに、僕は言葉を失った。どう応えればいいのだろう?戸惑う僕を意に介さず、彼女は淡々と話し続ける。お父さんは肺炎だったの。あっという間に死んじゃった。涙を流すわけでもなく、静かな、しっかりとした口調で彼女は語った。
 エリカが1968年に作ったアルバムを、どのように説明すれば良いのだろう?呪術的なアシッド・フォーク?少女の錯乱した内面を描いた前衛アニメーション的世界?僕は彼女の、覚悟を決めた少女のような声が好きだ。エリカ・ポメランツのかたく、まっすぐで繊細な唄に誘われ、僕は自分の中にある崖淵から深くて暗い底を覗き込む。痛々しく、美しいレコード。少女は震えているが、その目は据わっている。
 子供たちと喋る時、僕は目だけではなく、僕の中の崖の底までを見つめられているような気分になる。



■Elyse Weinberg / Elyse
Elyse Weinberg / Elyse

 男のいいなりになる女は面白くない。男のいうことをきかない女にこそひかれる。風にあおられる凧のように、あっちをフラフラ、こっちをフラフラ。またはプカプカ。僕自身は、凧糸の端だけ持っていられればいい。だいたい、亭主関白ってやつは本当に嫌いなんだ。女に威張る男ほど醜いものはない。フェミニスト気取りの尊大な態度?まあ、そうかもしれないですけれど。
 エリス・ウェインバーグは、無条件に従順な態度をとるような女ではない。彼女の唄とギターは、はすっぱでふしだらで、埃っぽい安酒場の煙草とアルコールの匂いがする。乾燥したサイケデリックな音像の中でのけぞりながら痴態をさらしたかと思えば、シタールやタブラに乗ってしおらしい表情をのぞかせる。したたかなのだ。女なのだ。圧倒的に。
  時折見せる伏目がちなたたずまいに騙されて、僕は彼女に会うため夜毎に店へと通い続ける。彼女は笑いながら、適当に僕をあしらうだろう。それでも微笑む僕。しかしある日、彼女は風のように現れた強引なカウボーイと恋に落ちる。何が何だか分からないうちに急展開、二人は結ばれてハッピーエンドだ。
  天を仰ぎながら僕は悟る。彼女は「僕の」いうことをきかなかっただけであって、他の誰かの前ではまたたびをもらった猫みたいに言われるがままの素直な女なんだ、と。魔法は消え、こうして僕はまたひとつ諦め上手になっていく。やれやれ。
 これは、エリス・ウェインバーグについての文章ではない。



■かまやつひろし / ムッシュー
かまやつひろし / ムッシュー

 その年下の女性は過去に一度、離婚を経験している。彼女の別れた夫は僕の友人で、僕は彼を通じて彼女と知り合った。彼が僕に彼女を紹介してくれたのは、二人が結婚するよりもずっと前、彼らが付き合い始めるよりも前のことだ。三人は友だちだった。
 彼と彼女が付き合い始めたことを知ったのは、あるクリスマス・パーティーの夜だった。彼はパーティーの主催者で、彼女はアカペラ・グループのヴォーカルとして"Christmas Wish"を唄った。DJとして参加していた僕は、買ったばかりのCD、かまやつひろしの『ムッシュー』を用意していた。パーティーの終盤、彼と彼女がきっと好きであろうボサノヴァ『二十才の頃』をかけたが、二人は互いの目を見つめ合うのか何かに夢中だったらしく、僕のかけた曲など全く聴いていなかった。
 数週間後、彼らは「『二十才の頃』ってあれ、いいね」と僕に言い、最近あの曲が二人のお気に入りなんだ、と話した。訊けば、CDを買ったという。どうやらあの夜、タイトルだけは覚えて帰ったらしい。しばらくすると、彼は貴重なアナログ盤まで入手していた。
 数年後彼らは結婚して、それから離婚した。その間の出来事を、僕は知らない。『ムッ シュー』のアナログ盤は再発された。彼女は、ヴォーカリストとして数枚のレコードに参加している。昨年、彼女がギターを始めたと聞いた。今のところ、彼女のレパー トリーは『二十才の頃』だけだそうだ。



■浅川マキ / 灯ともし頃
浅川マキ / 灯ともし頃


 ハイファイ・レコード・ストアに通うようになってまだ間もない頃、僕は手痛い失恋をした。二十一歳か二十二歳か、そのぐらいのことだ。失恋といっても、僕は彼女と付き合ってすらいなかった。単なる友だちだった。しかし僕は、後にも先にもそこまで落ち込んだことはない、というほど酷く落ち込んで、閉め切ったカーテンをぼんやりと眺めながら部屋でレコードを流し続ける、どうにもこうにもお寒い日々を過ごしていた。
 ある日ハイファイで、大江田さんが僕に尋ねた。「こないだ、女の子と歩いてたでしょ」。電力館の前を歩く僕たち二人を、大江田さんは目撃したという。僕も、その時のことははっきりと覚えていた。それは僕が彼女と会った最後の日のことだ。道ですれ違いざま、僕と大江田さんは視線を交し、無言のまま軽く頭を下げて挨拶をした(今でも覚えている。大江田さんは僕を見つけるとニヤッと笑って、煙草に火をつけた)。
 「ああ……もう、彼女とは会わないんですよ」。僕がそう言うと、大江田さんは短く「あー」と声をあげて視線を宙へと泳がせ、それから僕に一枚のレコードを渡してくれた。「そういう時はね、これだよ」。こうして浅川マキの七枚目のアルバム『灯ともし頃』と、僕は出会った。
 ジャズとフォークとブルースが薄暗闇の中で溶け合っているこのレコードは、1975年 暮れ、西荻窪のジャズ・ライブハウス「アケタの店」で一週間弱かけて録音された。つのだひろが『それはスポット・ライトではない』を歌い、近藤俊則は行き場のない『センチメンタル・ジャーニー』を吹く。オルガンを弾く坂本龍一は二十三歳だ。
 「変わることのないおいらのこの暮しは/明日も同じように続いて行くのだろう/ああ、あなたなしで行くさ」(『あなたなしで』)
 これは僕の最も好きな歌い手による、最も好きなレコードだ。電力館の前で大江田さんが見たあの女の子とは、何年か経って仲の良い友だちになった。久しぶりに会った彼女は、以前よりも化粧が上手になっていた。僕はといえば、相変わらずだ。『灯ともし頃』に針を下ろすと、今でも特別な気持ちになる。




■Linda Cohen / Lake of Light
Linda Cohen / Lake of Light

 美しい女性は、美貌の活かし方を心得ている。その女の子は、僕と同じ大学に通っていた。きれいで頭が良く好奇心に満ちていて、嫌いなものは嫌いとはっきり口にする。たまに泥酔して失態を見せる隙まで含めて、とても魅力的な女性だ。彼女は自分の魅力をよく自覚していて常に堂々としているが、その立ち振舞いに過剰な自意識は全くといってよいほど感じられない。自然なのだ。当然のように、彼女は男にもてる。もて慣れているから、男の扱いが上手い。
 九年前のある夜。僕と彼女は二人で駅のホームに立ち、電車が来るのを待っていた。僕はそのころ一向に上手くいかない恋に悩んでいて、飲んだ帰りということもあり、つい彼女に向かって愚にもつかない泣き言をこぼし始めてしまった。彼女は黙ってそれを聞く。僕は言葉を垂れ流す。しばらくして、僕の言葉が途切れた。すると、タイミングを計っていたかのように彼女は柔らかく微笑み、軽く首を傾げてみせた。少し困ったような、けれど自然で優しい笑顔だった。
 その途端、僕は酔いから醒めて我に返った。それほど、その笑顔は完璧だったのだ。俺はこんな可愛いコに向かって、何をくだらないことを言ってるんだ。美人に気をつかわせてどうする。冷静になった僕は、自分の不覚を恥じいった。村上龍は『69』の中で「美少女は、男達の爆笑を止める力を持つ」と書いた。僕はこの時、初めて知っ た。美少女が止められるのは、爆笑だけではないのだ。
 リンダ・コーエンのアコースティック・ギターは、闇の中で静かに光っている。モーグ・ベースやシンセサイザーといった1973年当時の電子楽器がつくり出すぼんやりとした混沌をしなやかに律する、あたたかく明確なメロディ。闇はいつしか、鮮やかな色彩を帯びはじめる。僕は立ち上がって、部屋のカーテンを開ける。
 彼女に恋をしたことは一度もない。何故かと問われてもうまい答えは見つからないのだけど、そういうものみたいだ。



■Nina Simone / Black Gold
Nina Simone / Black Gold

 伊丹十三氏に倣って:恋人を探しています。「美しい」というよりは「可愛い」外見をしていて/きれいな姿勢を保ち/濃い化粧を必要とせず/健康で/賢いのだけれど、どこか抜けたところもあって/よく笑い/愛想笑いをせず/適度にやきもちをやき/読書が好きで/美しい字を書き/ブラックユーモアを理解し/村上春樹の文章が好きな男に冷たい視線を送ったりはせず/子供が好きで/美味しい食事に多少の手間とお金をかけることをいとわず/散歩を楽しみ/占いを気にかけず/一緒に美術館に行ってくれて/電車に乗った途端に携帯電話を取り出したりせず/旅行を好み/映画を観てつい涙を流したりもし/指圧が上手で/奢られることを当然と考えず/つよいというほどではないけれどお酒が好きで/本当はとてもいやらしくて/ニーナ・シモンの唄が好きな/現在未婚の女性の方。




徳田 洋之
 僕の代になってからのハイファイについて、彼はほぼそのすべてを見届けれくれている何人かのお客様の一人だ。ハイファイが迎える出来事の節目々々に、徳田クンは立ち会っている。ファイアー通りの木造店舗から、今のビルに引っ越す作業をした日の夜。早朝からの疲れがたまった体に心地よくビールがしみ込み始めたころ、遅い夕食をとるために集ったメンバーの前で、高校の水球選手時代のエピソードを、彼はいつものきまじめな口振りで披露した。水球の試合の際に、選手達がすいすいと泳ぎ回るあの水面の下では、どれほどに醜い戦いが繰り広げられるのか。それは驚きに満ちていて、せつなくもおかしい物語だった。子細に丁寧に語るほどに、彼の語り口は周囲の笑いを誘い、そこには暖かい風が吹いた。
 たぶん彼とつきあうことになる誰もが、徳田クンの真面目さを
好きになるだろう。なぜか真面目な男は、女で苦労する。このSounds Zoundsのテーマは、執筆者の方に考えてもらうこともあれば、僕の方でこれで行こうとお願いをすることもある。今回のテーマ、「僕をとりまく女たち」は、大江田がお願いした。"作家"徳田クンの名誉のために、書き添えておいていいのかもしれない。
(大江田)


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